ムーン10 ついぞ来たのはヒーロー


 未来都市ユートピアンに一機の輸送機が着陸する数時間ほど前。

 広井天音は機内で絶叫していた。


「せっかくの週末だってのに、なんであたしは飛行機に連行されてるの!」

「オヤジのせいだろ」

「そんなの分かってるけど!」


 激昂する姉を醒めた声で宥めるでもなく事実を突きつけたのは弟の御斗。一応姉弟の関係ではあるがそこは双子、両者の間には生まれた順による明確な上下関係はない。

 暴れる先輩をあしらう後輩のように見えるのは単なる性格の問題だ。 


「でも友達との打ち上げ中、いきなり屈強な黒服に囲まれてリムジンに乗せられたあたしの評判は死んだでしょ!? どう言い訳すればいいのよ!」

「プロのスカウトとでも言えばいいだろ。スポーツとか芸能界とか」

「無理がある!」

「ならオヤジの会社の人とでも言えばいい。まるっきり嘘でもないしな」


 そう、言い回しを工夫しただけで嘘は付いてない。あの二人は天音たちの父親が協力している環状諸国連合の軍人、彼女が連行されたのは軍事基地であり軍事輸送機の中。

 二人の父親は軍需部門で技術者を務めるエリートだったのだ。元は宇宙開発部門の所属だったのを上の都合で統合された経緯があるが、詳しい過去は子供たちの知るところではない。

 さて、そんなエリートの子供たちが拘束連行されたのは、


「父さんが唐突なのはいつものことだけど、流石に今回は強引すぎない!?」


 愚痴っても仕方の無いことだが天音は双子の弟には本音をぶつける。これもひとつの甘え、或いは心の整理をする過程というべきか。

 同じ我が儘被害者ならではの共感を期待する面が一番大きいかもしれない。


「やれ人類のため未来のためと実験に付き合わされるのには慣れたけど、いや慣れたくなかったけど!」

「そうだな」

「あたしたちを呼びつけるのって、父さんが帰国した時くらいだったじゃない。それが何なの、強制連行と有無を言わせない空の旅って」


 そろそろ興奮も収まってきたのか天音はドスンと座席に腰掛ける。旅客機とは異なる仕様の内装は座り心地が良くなかった。

 姉が憤慨する理由のひとつは詳しい話を聞いていないのもあるらしい、そう当たりをつけた弟は不満の解消に情報を提供する道を選んだが効果は今ひとつに終わる。


「現地でアレの実機テストをしたいらしい」

「あの攪拌機のォォォ?」


 あからさまに嫌そうな顔をする天音。彼女にとってのアレの使用はとにかく疲れる、心地よい肉体的疲労ではなく精神的磨耗とでもいうべき感触で、スポーツ後の達成感などまるでない。胃がグルグルして吐き気だけが残る、とても人類の未来とやらを感じ得ないのだ。


「オレにとってはそこまで酷くないけどな」

「そうねあんたは飛ばないもんね!」


 ただ、彼らの父親が未だ両機のテスト被験者に自分の子供たちを指定しているのには捨てられないこだわりがあるのだろう。十年以上も実験に付き合わせて収集した比類なきデータ量の存在以外にも捨てられない理想が。

 姉の蒸気噴き出す抗議に対し、御斗は熱の篭らない声で父親の理念を笑った。


「結局オヤジも夢に囚われてるんだろ、GEが人類の未来を切り開く幻想に」


******


 五月最後の日曜日。

 その日の襲撃を民衆は覚悟をして迎えたことだろう。美波の出した犯行予告、それは包み隠されずに公表され、周辺からの避難と警戒態勢の構築に役立てられた。

 犠牲が出ないのは良いことだ、しかし犯行を事前に予告されるなどは防衛を任された三大連の駐留軍にとって面子を潰されたようなもの。

 「お前たちなんて居ても居なくても変わらないよハハハ」と見下されたに等しく、また前回の敗戦を見れば何も言い返せないのは現実だ。

 それだけに今回の襲撃予告地域を担当するINB軍、インダスナイルバビロニア集連の機械化歩兵隊はひとりのヴィラン相手に考えられないほどの人員を投入していた。

 やがて正午。

 機甲服を身につけた歩兵が敷地にひしめき合うのを見下ろすかのように、


『ハッハッハッハッ! 久方ぶりだな愚かな地球人類の諸君!』


 世界規模の電波ジャックが始まり、未確認浮遊存在が声高らかに出現した。

 その瞬間を捉えようと世界中の軍事観測班が全力を出す。目視、電子、監視衛星と可能な限りの『目』を駆使し、彼がどのように都市上空に現れてているかを突き止め、犯罪の抑止に繋げるべくウサギの尻尾を掴み上げようとしたからだ。

 無論それらの試みは全て徒労に終わる。蜃気楼のように風景が歪んだ次の瞬間に現れる、そのことを撮影できるのみである。後に様々な識者が議論を交わし「空間跳躍のGE」との妥当な推論が最も有力とされる。

 宇宙人脅威の科学力と認識される日は遠い。


『物覚えの悪い諸君らもそろそろ覚えたであろう、マッスルラビットの名を』

『怖れよ、我が名を。畏れよ、マッドバニー様の威光を』

『そして顧みよ、諸君らの愚かさを』


 彼の演説、行動開始前の長口上には意味がある。

 地球人類への薫陶は表向き、その裏では破壊する施設のスキャニングが行われている。理由はシンプル、建物内に逃げ遅れた人がいるかどうかのチェックである。

 宇佐見美波の人類啓発計画は可能な限り人的被害を出さないという大前提が存在する。実に夢想家らしき戯言に聞こえるが彼女はそのラインを守ることに余念がなく、彼女の超科学が下支えをしているのだ。


(生体反応あり、十二人。割と多いな)


 マッスルラビットが目立っている間、美波が仕込んだ空間ドローン──弘士にはそれがどういう物かさっぱり分からない──がスキャンを完了、良くない結果を弾き出す。危機感の欠如か、それとも仕事場のブラックぶりが原因か、事前予告を出したところで避難の実施は絶対ではないと知らされる。

 だがマッドバニーに隙はなく、逃げてない者を強制的に弾き飛ばすシステムを開発していたのだ。


(大脱走ジャンプ、執行許可!)


 言葉には出さないウサギの悪戯が秘密裏に発動した。理屈はシンプル、生命反応の座標を特定し強制的に破壊対象から外にワープさせる。それが入浴中やトイレ中でないことを対象は祈るしかない非道な行いである。

 こうして目標の生体反応が消えたのを確認し、マッスルラビットは次なる行動に移行するのである。

 即ち、大破壊。


『マスラビィ、メテオォォ、ダウンンンンン!!』


 落下する人間隕石、その正体は力場の変異調律による重力偏増大。見た目以上の大質量を無力な人類が阻止する手段はなく、悪は地球を穿つのだ。

 轟く爆音は月の勝利を謳う祝砲。巻き上がる破片と炎に照らされるウサギのシルエットは爆心地にありながら傷ひとつ無く健在、押し寄せる足音の気配を顧みずにただひとり哄笑を上げる。


『ハッハッハッハッ! 随分と遅い到着だな、機械化兵の諸君』


 孤高なるウサギを取り囲むのは装甲服を着込んだINBの兵士たち。装甲服の人工筋肉にサポートされた彼らが装備するのは生身では携行できない大型の火器。もはやヴィランを生きて逮捕するという建前を捨てた布陣である。

 その判断は正しくもあり、間違ってもいた。


「最初で最後の通告だ、武装を解除してその場に平伏せ」

『諸君らには我輩が武器を持ってるように見えるのかね?』

「ッ、撃て!」


 丸腰ですとおどけた悪党ウサギに銃火が殺到した。戦車の装甲板すら貫通する威力の大型弾が幾つも撃ち込まれ、並の生物なら挽肉に成り果てる運命を避けられない量の洗礼を浴びせたはずだった。

 だがしかし、マッスルラビットの前には豆鉄砲と変わらないのだ。


『気は済んだかね? 月のウサギに諸君らの鉛玉は通用しないのだよ』


 前回と変わらぬ結末、彼の足元にはウサギの毛ひとつ散らすことの出来なかった弾丸が勿体無くもばら撒かれたのみで落ち葉の有様を晒すに留めていた。

 二度の交戦で理解しただろう、人類の銃弾は彼に対して無力なのだと。

 そして早く俺たちを宇宙人だと思ってくれ、弘士は切実に願っていた。そうしないと美波の計画は前に進まないのだから。


『それでは諸君、またの機会に──おや?』


 去り際の言葉を区切り、空を見上げる。

 ウサギの視線に映るのは月ならぬ岩塊だ。未来都市ユートピアンに転がるはずもない巨大な岩。数トンの重量がありそうなそれは地球の引力に逆らい空に浮かび、今こうして彼の方向に落ちてきている。


「て、撤収!」


 機械化兵たちが蜂の子を散らすように逃げ惑う。それは戦意を喪失した以上に命の危機を感じたから。人類が蟻の如く四散する中でひとり佇み風雅に空を見上げたままなのは一体のウサギ。

 巨岩の接近を待っていたように、否、マッスルラビットは現に待っていた。

 彼らの登場を、彼らの襲来を。


『ようやく来たか、ヒーロー!』


******


「うむ、ようやく来たか、ワシの可愛い子供たちよ!」

「会話をしなさいよ!」

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