ムーン09 少女たちは酔いしれる


 土曜の昼過ぎ。

 広井天音は祝いの席にいた。


「我がテニス部の練習試合勝利を祝って、かんぱーい!」


 テニス部のキャプテンが音頭を取り祝杯が掲げられる。全員手に持つのはドリンクバーのコップなのはご愛嬌、会場も貸し切りのお座敷でもなんでもない市内のファミレスなのは高校生の財力ではこれが限界なのだ。

 だが参加者の笑顔に安っぽさは無い。手にしたジュースで勝利の味に酔っていた。


「練習試合とはいえ、あーし達トナ高に勝っちゃった!」

「二勝二敗の最終戦、部長と広井さんのダブルス!」

「燃えたわー、それ以上に萌えたわー」


 試合会場から場を移しても興奮は醒め止まない。格上相手の勝利とはこんなにも美味なのか、ファミレスのスイーツよりも甘露な味わいは彼女たちをさらに貪欲に、勝利への執念を育てるだろう。


「ありがとー天音ちゃーん! あなたのお陰で勝てたわよー!」

「あの、部長さん酔ってません!?」

「酔ってる酔ってる、勝利の美酒に酔ってるよー!」


 抱きつかれ、肩を抱かれ、頭を撫でられ揉みくちゃにされる。振り払うわけにもいかず天音は激流に浮かぶ流木の面持ちでいたが、決して嫌な気分ではない。

 こんなに喜ばれると助っ人をした甲斐はあるというものだ。


「天音ちゃん、どうすれば天音ちゃんを我が部に繋ぎとめることが出来るの!」

「それが家の事情で、いつ穴を開けちゃうかも分からないんで」

「あ~~~も~~~勿体無い~~~~」


 これが彼女が所属を決めずに助っ人しか出来ない理由。

 練習に出られない日があるだけならまだいい、大事な試合にも用事で抜けざるを得ない可能性がある以上、期待を裏切る真似はしたくないのだ。

 それにこれは彼女にも言語化の難しい感情なのだが、一所に所属するよりもあちこちの助っ人をしている方が肌に合うというか──


 携帯が鳴る。

 流れるメロディは古のロックバンドの名曲『ヘルプ!』。この曲をセットしている発信元は天音の父親だ。

 勝利の余韻は一瞬で冷めた。反射的に携帯を表示させる、この音は厄介事の始まりを告げる音だからだ。その予感は正しく当たり、携帯画面には一言


『迎えをやった』

「うげっ」


 広井天音は活発な少女だ。天然の明るさ、常に陽気を纏い、嫌なこともあっけらかんと後に引かない性格なのだが、そんな彼女が轢かれたカエルのような声を出すが早いか。

 ファミレスに屈強そうな黒服サングラスの男性二人組みが踏み込んできた。どこからどう見ても堅気には見えない雰囲気の闖入者にテニス部員は何を思ったか、部長が言い表す。


「え、なに、めんいんぶらっく?」


 戸惑いと緊張感流れる空間を空気読まない二人組がズカズカと足早に一点を目指す。呆気に取られた部員達の中、唯一頭を抱えていた助っ人の少女を発見し、


「ミス・アマネ、お迎えに上がりました」

「お車を用意しています、こちらにどうぞ」

「こんな呼び出し方があるかぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 後々、友人知人への説明に「あれは父親の会社の人で!」と言い訳する未来を幻視した天音であった。


******


 悪の組織は今日も元気。

 これから行う三度目の襲撃を前に互いの状況確認もしっかり行うのだ。


「比呂田くん、準備はいーい?」

「……俺はいいけど宇佐見、なんか変じゃないか?」


 弘士にとって宇佐見美波は知り合って一ヶ月未満の他人である。性格や人となりの全てを知っているなどおこがましいことは言わないが、それでも共犯者という立場で濃密な時間を過ごした自負はある。

 その心が叫んでいる、こいつなんかおかしいと。


「比呂田くんが大丈夫なら大丈夫かなー。わたしは少し熱っぽいけどー」

「おい」

「お風呂上りに降りてきたー、アイデアの設計に夢中だったのがー、悪かったのかしらー?」

「それ答えだろ」


 正解は湯冷めによる風邪。作戦前日深夜に何をやってるのか、悪の手先は自分よりはるかに頭がいいはずの総帥に説教した。


「宇佐見は髪の毛長いんだから常人より身体が冷えるんだろ、ちゃんと乾かせ」

「あははー、ごめんごめんー。ひらめきっていうのはさー、ヘップシ、突然降って湧く天啓だからさー、ヘップシ」

「しっかり風邪引いてるじゃないか。会話も覚束ない」

「あははー、風邪引くとちょっと馬鹿になるみたいでさー、GEの反動かなー?」

「なあ、本当に大丈夫か?」

「大丈夫、こういう時のために特性の風邪薬がー……ヘップシ、あれ、お薬どこ置いたんだっけー?」


 ちょっとどころじゃない、との言葉は口に出さない優しさが彼にはあった。

 率直に言えばグダグダ、もうなんというかグダグダな様子だ。普段の彼女はくだけた口調でとっつき易い性格の一見バカだがその瞳には未来を憂いた知性を宿らせている。

 なのにモニター越しの彼女はただの酔っ払いの類。大丈夫自分は酔ってないと言い張り醜態を晒す大人と同じである。


「今日の襲撃は中止にしよう」

「えー駄目だよー予告出しちゃったしー」

「悪の組織が律儀に約束守る必要もないだろ」


 弘士の判断は妥当なはずだった。上官が酩酊状態で脳内宴会場の状態、薬箱すら見つけられない彼女に適切な作戦指揮など取れるはずもない。

 そもそも自分達は世間的にテロリストだ、己の都合で動いて何が悪いのかとの正論を熨斗つけて送って差し上げたのだが。

 宇佐見美波には譲れない一線があった。


「悪の組織じゃダメだよ」

「……なんて?」

「わたし達が目指してるのは脅威の宇宙人! 地球を襲う約束破ってホラ吹きになっちゃうのはイヤだなー」

「宇宙人設定が既に嘘なのにか?」

「それはそれー、これはこれよー!」

「……酔ってるくせに頑固者め」

「えー、酔ってないよー、おーいおくすりどこー?」


 いつも以上に馬鹿に寄ってるくせに、信念だけは揺がないらしい。比呂田弘士は肺を空っぽにする勢いで大きなため息をついた。

 彼女は馬鹿だ。

 自分は猛毒だからと真価を表に出せず、人類の破滅を見過ごせず、相争う世の有り方を無視できずに楽して生きる道を選ばなかった大馬鹿者だ。その超科学があれば人類全体を思うがまま洗脳することも可能だろうに、わざわざ面倒な手順で可能な限り被害を抑えて人類に自ら学ばせようとしている──被害を補填する保険業界の迷惑は考えないものとする。

 だが、こんな馬鹿に雇われる選択をしたのは他ならぬ彼自身だった。


「提示額の五倍貰うんだ、やる気も五倍出すべきなんだろうな」

「ごばーい?」

「宇佐見、お前は作戦中に全力で風邪薬を探し出して飲め。その間は俺が全部やる」

「なんて?」


 日頃の緻密な打ち合わせが活きる時が来た、と言うべきなのだろうか。

 美波には天才にありがちな「わたしが全部分かってればいいのよヲホホホ」という驕りはなく、彼を交えて情報の共有や事前シミュレートをみっちり行うタイプだった。それは前線に出る危険な役目を他人に押し付けている自覚からであろうが、今回の襲撃でやるべきことは全てセッティングされている。

 お陰で彼女が休んでいても何とかこなせるだろう──ハプニングさえなければ。


「電波ジャックに演説からドローン制御、企業襲撃から警護の撃破、最後に破壊工作。それでいいんだろ?」

「うーん心配だなー」

「お前の方が危ういわ、だから」


 マッスルラビットはマッドバニーに宣言した。


「だから今回はお前の選んだ尖兵を信じろ」

「………………………………うん、分かった」


 それはもう足りない頭で充分に悩んだ結果、馬鹿ウサギは頷いたのである。

 悪の尖兵、真なる孤軍奮闘が始まる。


******


 研究都市ユートピアンに外界からの出入りは激しい。

 物資輸送が頻繁な人工島の輸送路は主に海路だが、空路も負けじと大小を取り揃えている。特に三大連は大型輸送機の複数離着陸が可能な専用滑走路を保持、有事に備えている。誰かが戦いの鐘を鳴らすと信じているかのように。

 土曜深夜、平和な未来都市に今日も一機の輸送機が到着する。


「せっかくの週末だってのに、なんであたしは飛行機に連行されてるの!」

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