ムーン08 悪の組織のロケーション
悪の組織に油断はない。
世界に喧嘩を売った彼らに敵は多い。むしろ人類社会が敵、味方がお互いしかいない状況。実働戦力ならばたった一人、常識を圧倒する超科学の力があるとはいえ立ち回り方には慎重を期するのが悪の科学者マッドバニーの方針なのだ。
土曜日。
明日に三回目の襲撃を控え、悪の組織員二人は朝から会議を開いていた。
「どう、この衣装。着てみたけど変じゃない?」
「明日の打ち合わせ中に感想を聞いてくるのが一番変だな」
「さっき出来たばかりのホヤホヤだからしょうがないでしょ」
作戦司令室で向き合っていたのは学生服姿の弘士と、まっさらな衣装に身を包んだマッドバニー美波。
彼の意見も聞き取った結果、十二単をモチーフにした豪華な着物姿をベースにした黒いウサ耳衣装が採用された。科学者要素は仮面につけたモノクルと手にした機械的な杖で取り繕っているが充分かは微妙なところだ。
「宇佐見はかぐや姫っぽいから似合うっちゃ似合うんだが」
「何か不満が?」
「露出度ゼロで悪の女幹部要素を欠いたのが玉に瑕」
特撮の悪女と言えば何故かお色気デザインの黒色衣装、そう有識者は指摘する。そんな体たらくでは年上のお姉さんにドキドキするちびっ子もガッカリするだろうと落胆を隠せない。
「お黙り有識者! 体型晒すと形状スキャンで正体がバレちゃうかもしれないって説明したでしょ!」
「ああ、科研ドラマで見たことある。歩き方とかで個人を特定できるんだよな」
「科学の進歩は怖いんだから。マッスルラビットのスーツも同じ理由で身長や体型、声や脳波パターンに至るまで色々誤魔化してるのよ」
「芸が細かい」
本物の宇宙人なら問題ないが彼らは騙りの地球人。身元バレのリスクも高いが宇宙人じゃないことがバレると『来るべき宇宙時代に地球人同士争ってる場合じゃないだろ』という美波の計画が根本から揺らいでしまう。少しでも危険を減らすに越したことはないのである。
芸の細かさは打ち合わせの内容にも及び、詰めの確認は昼頃まで続いた。
「そろそろ正午ね、お腹も空いたし何か食べる?」
「ほう、手作り料理でも振る舞ってくれるとでも?」
「そこのフードプロセッサで好きなもの頼んで。大抵の物は合成できるから」
「……凄い技術なんだろうが詫び寂びの欠片もない」
弘士の放った『料理できるのかお手並み拝見』との挑発は超科学の調理器具により不発に終わった。感情の置き所はともかく美少女の手作り料理とのワードに期待感を持たない青少年はいないというのに。
「出来なくは無いわよ。料理って突き詰めると科学で得意分野だから」
「やだこの子、料理漫画みたいなことを言ってる」
「機会があれば腕を振るってもいいけど、手作りの時間が勿体無い気がするのよね」
「もののあわれが足りてない」
科学者テンプレの性質か情緒が不足していると有識者は指摘する。ただしこちらには当該女性からは何も反論がなかった、今の性格に満足しているらしい。
有識者敗れたり。
「先に食べてて。わたしはユートピアンに襲撃予告出してくる」
「なんて?」
「だから襲撃予告。明日どこそこの企業を襲いますよーって」
「なんて?」
聞き逃せない戯言を紡いだ悪の科学者に待ったをかける。戦いにおいて奇襲、先手必勝は有利な状況を作り出す基本戦略だ。
攻め込む側の優位性を捨て去る、いったい彼女は何のつもりでそのような。
「薄い警備を破ってもただのヴィランや企業テロ扱いだし、もっと厳重警備に防衛するヒーローを引き連れて欲しいかなって」
「文字に起こすととんでもないこと言ってる」
「最初からそう言ってたでしょ? 人類の未来のため、わたしのエゴのため、ミラームーンを宇宙の脅威だと認識して欲しいんだって」
こうして美波による犯行予告はユートピアンの統制局と対象企業に送信された。それぞれがどのような対応をするかは今後二十四時間を観察する必要があるだろう。
「今度からUFOでも作って飛ばそうかしら」
「悪くないアイデアなのが否定し辛い」
かくして悪の組織ミラームーンによる襲撃予告は出された。
今頃当局は防衛体制を敷くのと同時に発信元の特定を急ぎ、本拠地を急襲することでテロ組織の撲滅に全力を注いでいるはずだ。
彼女の超科学の前に現代科学が勝利する可能性は万に一つも有り得ないが。
「そういえば、この秘密基地ってどこにあるんだ?」
発信元で閃いた雑談のきっかけ。悪の少女は明日に備えた最終チェックとばかりに何やら空間投影モニターと格闘している。曰くユートピアン当局の動きを随時監視しているのだとか、逆探知される危険などまるで警戒していない余裕の図がそこにある。
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いても無かったからな」
基地についての興味はあった。何しろ秘密基地、男の子ってこういうの好きでしょと言わんばかりのシチュエーション。弘士も例に漏れず基地の中をあちこち歩き回ったりはしたものだ。
内部は結構な広さがあり、彼がよく利用する訓練室やシャワー室、娯楽室などの他にも開発室、計算室、観測室など謎の機械に埋もれた無縁な場所も多数。一番目を引いたのは
「あの『自室』ってプレート、宇佐見はここに住んでるのか?」
「割と」
素っ気無い返事に家庭環境の闇を感じたのでそれ以上突っ込まずにおいた。弘士は処世術のレベルが上がった。
小さな冒険の果て、彼はホテルのフロア丸々借り切ったよりも広い基地の秘密に気付いた。基地にはひとつの共通点があったのだ。
窓が無い。
部屋にも廊下にも、外を見られるガラス張りの採光機構が設置されていなかった。さてはて秘密主義の徹底か、それとも組織員の逃走防止目的か。
「気密性の保持が理由。それに外を見ても暗くて意味が無いから」
「機密? 秘密保持に気を遣ってるってことか」
会話にズレが生じた。知る者と知らない者の間に生まれた小さな齟齬。
気付いたのは当然知る者だ、瞬きを二回した美波はニッコリ笑い、
「ちょっと外に出てみる? スーツの機能チェックも出来るから丁度いいし」
何が面白かったのか、弘士には分からないまま頷く。興味を満たしてくれるというのなら断る理由は無かったからだ。
美波が先導した先はエレベーター。普段はロックされて動作しなかった重厚な両開きの扉の前。
「これが外に出られる唯一のルート。まあ出入り手段は転送装置があるんだけど」
「非常用ってことか、万一装置が壊れて直せなかったら怖いしな」
「どちらかといえば搬入口の名残だけどね」
詳しくは説明する気が無い笑顔のまま、二人はエレベーターに乗り込む。上と下にしかボタンの無い金属の箱はスイッチオンで軽やかに上昇を始めた。
そう、上昇だ。つまり基地は
「成程、地下にあったのか。そりゃ窓は無意味だな」
ひとつ納得がいった。秘密基地は所在が秘密でなくてはならない。その隠し場所には幾つかのテンプレートが存在し、地下も代表例のひとつ。地面を掘る技術さえあれば監視衛星からも見つかることなく拡張できるのが利点だ。
「五十点」
「なんて?」
「この基地の真価を半分しか言い当ててないから五十点」
どういう意味かを問う前にエレベーターが止まった。普段乗りなれた昇降機に比べて結構な時間をかけて上昇していた気がしたが、どれほどの距離を動いたのだろうか。
「六百メートルくらい?」
「スカイタワー並みに掘ったのかよ」
「地下に帝国があったりすると困るからちょっと調べたの。何もなくて安心したわ」
「なんて?」
「さ、外に出て。スーツには宇宙機動服の機能もあるから問題なく動けるわよ」
多大なるヒントに気付かず、弘士は促されるままに外に出る。静かに開くエレベーターの扉、外に踏み出した足がなんだか軽くなる。すわ何事かと確認する前に、そう、目の前の光景に意識を奪われた。
時刻は夕方のはずなのに、外は真っ暗だった。まだ5月、つるべ落としには早すぎる季節なのに。彼が目を凝らすまでもなく超人スーツの光学機能が明度調整を行い周囲を見易くしたのだが、そこはどうだ。
一面見渡す限りの岩と岩肌、岩山の世界。人工物は何も無い、地平線まで広がる生命の息吹を感じない死の世界、そして夜空を照らすのは弱々しい星の光。
しばらく呆けた後、上手い言葉も浮かばず弘士は率直に尋ねた。
「ここどこ?」
「月の裏側」
「なんて?」
「だから月の裏側。月の組織を名乗ったんだから月に基地を作るのが妥当よね。基地内は重力制御も利いてるから違和感無かったでしょ」
地下にだけどね、ニンマリと告げた悪の女王は妥当性のスケールが大きかった。
どうやって作ったか、そんなことが本当に可能なのかを問うのは無意味だろう。天才を超えた神才の科学力はこれくらいやればできるのを見せ付けているのだ。
なので聞き方に少し工夫をする。
「……ちなみに宇佐見が本気出せば、どれくらい宇宙開発を出来るんだ?」
「そうねえ、太陽系の開拓くらいなら今の手持ちで出来るかな。外宇宙に出るならワープ装置の航続距離アップと動力源の改修を再設計したい」
「その才能を世に出させない人類は勿体無いことをしてるなあ」
「あーでも惑星改造には時間がかかるから全環境型コロニーの建造を先に」
「よし何言ってるのか分からんゾーンに突入してきたぞ」
あまり風雅な光景ではないが、二人きりの世界。
地球上では見ることの出来ない星空を背景に、マッチョスーツに十二単というおかしな格好をした男女は壮大なる夢と馬鹿話に花を咲かせたのだった。
どうせ今の人類に二人の逢瀬を観測する術など無いのだから。
******
「比呂田くん、準備はいーい?」
「……俺はいいけど宇佐見、なんか変じゃないか?」
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