ムーン06 ウサギに弾は通じない

 敵を知り己を知らば百戦危うからず。

 彼我の戦力を把握しておけば易々と負けたりしない的な意味の故事だ。

 戦力分析の手段が乏しい時代にあって、情報戦の大切さを説いていたのだから戦の絶えない時代に生きていた人間の教訓は侮れない。


「ちゅうちゅうたこかい……はい掌握」

「宇佐見、今度は何をしてるんだ?」

「ユートピアンの防衛システムを掌握して警備体制の情報を抜いただけ」

「こいつ、さらっとえげつないことを言ってる」


 美波が二回目のユートピアン襲撃予定を告げてから二人は準備に余念が無い。

 弘士はマッスルラビットの超人スーツと装備の習熟訓練、そして次なる演説の練習程度に収まったが悪の総帥が何をしていたかまでは把握できていなかった。

 彼は戦闘員、彼女は科学者と作戦参謀と悪の女王を兼任する存在。分野があまりにも違うので下手な手助けも出来ず己のやるべきことに集中したのだった。


「正しい」

「なんて?」


 そんなこんなの分業体制、本番を明日に控えた今現在。

 襲撃先の情報を引っこ抜いて丸裸にしたと聞かされたのである。ただでさえ科学力で圧倒的なアドバンテージがあるというのに無慈悲そのもの。


「悪の女王マッドバニーは人類を見下してるからね。こういうところで慈悲は与えないの」

「地球人の宇佐見としては?」

「被害を出すのが目的じゃないし。わたしの目的は局地戦勝利のずっと先にあるのよ」


 宇宙開発を本格化させ始めた人類、しかし高い競争意識そのままに狭い星の中でも対立関係は続けている。

 そんな地球に現れた宇宙人の襲来に人類は無力、政治宗教領土問題きのこたけのこ阪神巨人等の対立はあれど宇宙の脅威に対しては結束して戦うべきでは?と妥協のラインを見出させるのが彼女の目的。地球の現行戦力を打ち負かすのは過程でしかないのだ。


「でも人類の中で降伏したりミラームーンに恭順したりする勢力も出たりしそうだぞ」

「大丈夫、聞く耳持たないから。愚かな人類よ戦うか滅ぶか選べ路線で行くから」

「スパルタァ」


 こうして地球人類の未来を憂いた無慈悲なる女王の手によって第二次襲撃計画は立案されたのだった。

 派遣するのはマッスルラビット、一騎当千を誇る無敵の月来人。

 恐るべき秘密組織ミラームーン、今のところ戦力は彼しかいないのだから。


******


 5月某日、未曾有の道化テロより一週間後。

 自らを宇宙人と名乗ったヴィランの破壊行為は宇宙開発参画企業のひとつに甚大なる被害を出した。事態を重く見たユートピアン統制局は人工島の警備体制を強化、倍の監視ドローンを飛ばしての警戒には当たっていたのだが。

 結論から言えば全くの徒労である。

 ユートピアンがどれほどドローンを展開し厳重な電子警戒網を敷いていても無駄。マッスルラビットは超科学の転送装置で空間を跳躍、突然その場に現れる。侵入経路や速度観測など全く意味を持たない。

 よって彼の上空侵入を防ぐ術は現代科学に存在しないのだ。


 日曜の現地時間正午。

 太陽が眩い赤道直下の人工島にて高らかな笑い声がこだまする。

 都市上空千メートルに謎の浮遊物体が現れると同時同刻、世界中の電波、テレビメディアが、ラジオが、ネットが乗っ取られる悪夢が再来した。


『ハッハッハッハッ、久方ぶりだな愚かなる人類諸君!』

『我輩の声を忘れたか? 姿を忘れたか? ならば思い出せ!』

『ミラームーンの尖兵にして人類への鉄槌、マッスルラビットの名を!』


 制御を失った監視ドローンの数機が月の支配下に入り、タイツ姿の道化を撮影する。彼の声を、姿を、これから為す破壊の全容を世界にお届けするために。


『まずは嘆きを聞け、人類諸君。我輩は悲しいのだ』


 涙を振り払うように頭を振るウサギ仮面。オーバーアクションにウサ耳がコミカルに追随して左右に揺れる。前回ならば男の大袈裟な仕草、深刻みを欠いた挙動に失笑した者も少なくないだろう。

 しかし今回は違う、男の為した破壊行為の凄まじさを人類は知っている。

 彼はただの道化ではない、破壊と殺戮を撒き散らすことの出来る人型兵器なのだ。


『女王陛下の慈悲により、諸君ら人類に身の程を弁える機会を授けたにもかかわらず、まるで反省の意を示しておらん』

『これでは我輩が女王陛下の叱責を受けてしまうではないか』


 人類からすれば身勝手甚だしい言い掛かり、だが悲しいかなそれを諭せる者も自制するよう働きかけられる者もこの場にはおらず、道化の独り言は身勝手な結論を得る。


『なればやむを得ない。諸君らに時間をやろう。手を止め足を止めて自らを省みる時間をだ。そのために──』


 そこでウサギの声は途切れ全世界の電波は自由を取り戻す、否、無造作に解放された。人類の技術者が制御を奪い返したのではない、ただ要らなくなったと放り出されたに過ぎなかった。その証拠に彼を撮影していたドローンだけは未だ彼を追跡している。

 我が偉業を余すところなく映し出せと言わんばかりに。

 マッスルラビットは墜落を始める。北方、ユートピアンの大港湾区域のある方向。島に運び込まれる物資の集積場にして玄関口、そこにはあらゆる資源が上陸し、供給網の初端と終端を構築している。

 だが筋肉ウサギが落下したのは港そのものではなく、港からもっとも運び込まれる素材の加工場。軌道エレベーターの建築資材、特殊鋼の製造を担当する大企業。

 エルリーシャ化鋼。


『ハッハッハッハッ、メテオダウーン!』


 ズガン。

 激しい爆発音ではなく岩と岩、鋼と鋼がぶつかったような重い音が区画を揺らした。

 ウサギの落ちた場所には引火物や爆発物は無かったのだろう、紅蓮の炎が周囲を埋め尽くすような惨事は巻き起こらない。

 代わりに被害を受けたのは無機物。マッスルラビットが粉砕したのは倉庫の一角だ。


『ふむ、ここは精錬された合金の置き場だったか。少々散らかしてしまったな』


 おそらくは綺麗に積み上げられ現場に運び込まれるのを待っていたであろう建築素材の山は無残に崩れ、または敷き潰されていた。まるで台風一過、まさに隕石直撃の惨事。人的被害の無さだけが唯一の救いである。


『では我輩は務めを果たすとしよう。どうれ、精錬の制御機械は──』


 のっそりと敷地を闊歩するウサギを取り囲む人の林。半円状に、対角線に入らないよう並んだのは訓練された軍人のそれだ。

 ユートピアンの警護兵、それともエルリーシャ化鋼の警備員か。いずれにせよ地球人、緊張と恐怖に呼気乱す彼らに気さくな道化はにこやかに挨拶を送る。


『やあ諸君、息を切らして大丈夫かね?』

「う、撃て!」


 誰かの号令を契機に銃口が火を吐き発砲音が鳴り響く。十数の自動小銃が容赦なく放ったのは殺意か恐怖か、篭められた銃弾が弱装弾実弾を問わず、敵に向かって浴びせられる。照準先の標的はひとたまりもないはずだった。

 ──だが。

 道化ウサギに殺到した鉛玉は彼の目前でピタリと停止した。勢い付いて蜂の巣を生み出そうとした無機質な弾丸は推進力を失い、ポトリと軽い音を立ててアスファルトに転がり横たわるのだ。


「な、な……!」


 絶句しながら反射的に銃を撃ち続ける者もいた。パンパンと断続的に鳴り響く銃声もまばらに射撃を続ける健気な者も。ただし例外はない、月の尖兵を名乗る悪逆の徒に攻撃の意志は通じず、ただ彼の足元に路傍の鉛石を増やすのみだった。


「GE、GEなのか!? 銃弾が、銃が効かない!!」

『気は済んだかね、愚かなる人類の守護者たちよ』

「う、う、うわああああ!!」


 兵士の一人が絶叫を上げて銃を振り上げウサギに殴りかかる。そんな破れかぶれの抵抗すら透明な壁に行く手を阻まれ、下手糞なパントマイムめいた姿勢で縦方向にズルズルと崩れ落ちた。

 この場の誰にも理屈は分からない。ただ驚異的な力により銃弾は無力化され、兵士たちに抗う術はない。そのことだけを本能的に察した彼らは悲鳴を上げて逃げ出した。


『騒々しいことだ』


 後に「一週間後の悲劇」と称されたテロ事件の続報はこれで幕を閉じる。

 エルリーシャ化鋼は二ヶ月分の合成建材喪失と精錬制御システムの損害で株価を大きく下げ、軌道エレベーター事業にも遅れを生じさせることとなった。さらに鋼材の品質検査に不備があることがメディアにすっぱ抜かれ事業縮小を強いられるのだが、それはもうミラームーンの手を離れた出来事である。

 そしてこの一件でミラームーンを愉快犯と捉えるものはいなくなる。

 確かな悪意と害意を有した企業テロ組織と認定されたのだ。


******


「そんな認識じゃ足りないのよね。早く宇宙人認定して脅威を感じて欲しい」


 翌日。

 世界中の報道を漁りながら内容に満足しないのはテロリストの首領だ。あくまで世界の認識は企業を襲い、乱高下する世界経済で利益を得る犯罪集団。宇宙人だとの主張が認められるにはまだ遠いらしい。


「で、あの銃弾止めたあれって何なんだ? 機能は知ってるが原理が全く分からん」

「力場の変異調律」

「なんて?」

「重力、斥力、慣性力の方向や状態を時加速で偏らせた結果を出力更新してるの。例えば空を飛べるのは重力、メテオダウンは斥力を変偏重させて」

「完全に理解は諦めた」

「素直」


 世に冷蔵庫ありけり。

 衆生の大多数が冷蔵庫の世話になる世の中だが、冷蔵庫が物を冷やす動作原理を説明できるものは少ない。それでいい、常人にとって科学は便利だねでいいのだ。


「扱いの難しい装置なんだけど比呂田くんはGEでなんとなく完璧に使いこなしてるってわけ」

「それでわざわざ俺を探して転校までしてスカウトしたんだったな。そこまでする甲斐はあったのか?」

「勿論よ、あなたを頼ってよかった」

「お、おう」


 情緒を解さぬ科学の申し子はこういう時に飾らず返事を寄越す。捨て子だった弘士は自己肯定の機会があまりなく、臆面も無い感謝の不意打ちに動揺する心をどうにか制御して赤面は免れた。マッスルラビットのこっ恥ずかしい演説の賜物だろう。


「そ、そういえば今回もヒーローは出てこなかったなあ。そこだけは拍子抜け」

「出てたわよ?」

「なんて?」


 顔を逸らしての露骨な話題変更は照れ臭さを隠すため、内容はどうでもよかったのだが思わぬ事実が引っ掛かった。

 ヒーロー、弘士や美波と同じ特殊能力GEに覚醒した存在の片翼。彼らと対峙する時は今まで以上に熾烈な争いが展開するのだと覚悟していたのだが。


「比呂田くんに銃で殴りかかったのがいたでしょ。彼はムゲンガンナーってヒーローで弾丸を消費せずに銃を撃てるGEの持ち主」

「勝っちゃってたかぁ」

「勝っちゃってたわねえ」

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