閉ざされた村

こうしき

閉ざされた村

 ──言い伝えがあった。


 願いを叶えてほしくば、魔女に己の肉体を供物として捧げよ。さすれば願いは叶う、と。肉体といっても人々が捧げるのは爪や僅かな血液、或いは髪といった己を激しく傷つけない部位のみであった。


 住民が百人にも満たない小さな村に住む者たちは皆、髪を伸ばしている。いつでも魔女に供物を捧げられるように、という古い考え方をする者は最早一握りとなったが、いにしえより続く文化となってしまったその風習により、老若男女問わず腰のあたりまで髪を伸ばして生涯を過ごすのだった。




「魔女さま、魔女さま、おねがいします」


 齢十にも満たぬ少女が捧げるのは、籠いっぱいの赤く瑞々しい果実と、願いだった。村の外れの小さな祠の前で膝をつき、真っ白な石で組まれた祭壇の上をちらちらと見つめては、同じ台詞を繰り返す。


「魔女さま、魔女さま、おねがいします。どうか弟の病気を治してください。魔女さま、魔女さま、おねがいします。どうか弟の病気を治してください。魔女さま、魔女さま、おねがいします……」


 何十分同じことを繰り返しているのか、時間を数えることにも飽きてしまった女が木の上に一人。祠の右斜め上の太い木の枝に腰掛け、その光景を見下ろす女──魔女は、少女の台詞に飽き飽きとし始めていた。少女の手汗のうっすらと付着した、あの赤い果実に早く齧りつきたいというのに、一向に立ち去る気配のない少女。


「しつこいのぅ……」


 あくびを噛み殺し、喉を鳴らして少女と果実を交互に見つめる。そうこうしているうちに少女が立ち去ったので、魔女は赤い果実の籠を手に取るとひと口ふた口と齧り、意気揚々と森の最奥の自宅へと向かった。


 その光景を、遠目に見ていた少年が一人。先程の少女よりも四、五歳程度年重に見える少年は、立ち去る少女と魔女の両方を見つめたあと、年不相応に感嘆の溜息をついた。


「……なんてキレイなんだ」


 紅潮した頬は、魔女が齧った果実よりも赤く火照り、小さな心臓はバタバタと暴れまわっていた。彼の目に焼き付いて離れないのは、艷やかな漆黒の巻き毛に、水晶をそのままはめ込んだような瞳──それに、妖艶な体つきのあの魔女であった。


「僕もセリのように、魔女様に近づきたい……」


 上着の裾をキュッと握りしめ、少年は美しい魔女の余韻に浸る。どうやって家まで帰ったか、記憶に残らないほどに。




「魔女さま、魔女さま、おねがいします。どうか弟の病気を治してください。今日はわたしの爪を切って持ってきました。魔女さま、魔女さま、おねがいします。どうか弟の病気を治してください」


 翌日になって、再び少女──セリは、村の外れの祠の前で頭を下げていた。真っ白な紙に包まれているのは、彼女の十本の指の爪だった。毟り、剥ぎ取ったほうが魔女が喜ぶかとも思ったが、恐怖が勝り実行に移せなかった。


「おい、お前。その爪はいつ切ったんだい?」


 セリのすぐ背後から、冷たい声。背中にのしかかるぞくりとした悪寒に振り返ることもできず、少女の体はガタガタと震えるばかり。


「け……今朝です」

「ほぅ……」


 祠に手が伸び、魔女の長く赤い爪が包み紙を摘み取る。包みを広げると、中には少女の丁寧に切り取られた小さな爪が十欠片。


「なんと見事な……早速頂くとしよう」


 真っ赤な紅の引かれた唇を艶っぽく上下に開いた刹那、セリが振り返る。細く長い舌にまずは二欠片──上顎に触れた瞬間、じゅわりと口内に広がる唾液。


「これは、美味である……!」

「あ……ありがとうございます……?」


 魔女と目が合った瞬間、セリの頬はカッと熱を孕み、今までに体感したことのない、雷のような衝撃が全身を駆け抜けた。



(なんて、きれいな人なの……!)



 少女は恋に落ちていた。村で一番の美女と呼ばれる女性よりも、遥かに艷やかな魔女の長い黒髪。瞬きをする度にキラキラと輝く水晶のような瞳に、その周りを縁取る同色の長い睫毛。ぷっくりと柔らかそうな唇は、手を伸ばして触れたくなるほど魅力的だった。



(なんと、儚く可愛らしい娘なのだ)



 同様に、魔女も少女に惹かれていた。ペリドットのような輝きを放つ瞳は、くり抜いて皿に盛ったあと、口内で転がし噛み潰したくなるほどに美しい。あまり肉付きはよくないが、もう少し太らせれば美味な汁が滴りそうな脹脛。



(いけない、いけない、涎が)



 手元で愛でるかどうか、悩ましいほど上玉の少女である。慰み役にするには少し幼いが、自分がしっかりと教育すれば良い娘に育つであろう、と。


 魔女は余ったセリの爪を頭の上の帽子に放り込むと、少女の艷やかで真っ直ぐな亜麻色の髪に触れた。


「美しい髪だ」

「ねっ……願いを叶えて下さるのでしたら、差し上げます!」

「ほう、子どもの分際で儂に直接交渉をするのかい」

「弟の病気を治してほしいんです!」


 懇願するように、セリは魔女の前で頭を下げた。少女の両親は家族が食べていくために働きづめで忙しい。兄は頼りにならず、病弱な弟の世話はセリと祖母の二人が中心となっていた。両親は申し訳なさそうに毎日セリに感謝を伝えているが、少女は大好きな弟の世話ができることを喜んでいた。

 しかし、苦しむ弟の姿は見ていられないほどであった。健康になってほしい……それがセリの、家族の願いであった。


「いいだろう。その代わり、その髪を貰うぞ?」

「……はい!」

「お前の弟は病気なのか……」

「はい。持病もいくつかあって、治ってもまたすぐに寝たきりになるんです。いつでも元気でいてほしいのに」

「足りるかのぅ」

「え?」

「髪だけで足りるかどうか、考えておる」


 少女を丸々食らえば、願いを叶えてやる程の力を発揮することは出来るだろう。ただ、少女に惹かれる身としてそれも勿体なく、魔女も悩んでいた。


 おまけに魔女には縛りがあった。百年に一度しか人間を喰ってはならぬという、過去に魔女本人が己に課した縛りが。その百日が開けるのが明日の正午なのであった。


「明日の夕方、また来るがいい。その時に願いを叶えてやろう」

「あ……ありがとうございます!」


 何度も頭を下げた少女は、足早にその場を後にする。駆けながらも、明日願いを叶えて貰えば魔女に会うことは叶わなくなるのかと、複雑な心境であった。



(魔女さまに好かれ、これからも会うには、どうしたらいいんだろう)



 魔女に魅せられた少女は、弟の病気を治すことよりも、自分がどうすれば魔女に好かれるのかということばかりを考えるようになっていた。



 少年も同じであった。少年は見ていた。魔女への想いを募らせて、木の陰に隠れてじっと魔女を見つめていた。



(僕も……爪を差し出せば魔女さまに触れてもらえるのかな)



 高鳴る胸をぐっと抑え込み、少年は魔女が立ち去るのを待ってからその場をあとにした。



 翌日になって少年は、少女よりも早く魔女の祠へとやってきた。切ったばかりの爪を捧げて、魔女に祈りを乞うために。


「魔女様、魔女様、お願いします。どうかおそばに置いてください。魔女様、魔女様、お願いします……」


「お前、あの少女の兄だろう? お前は弟の病気を治して欲しいと祈らないのかい?」


 少年が振り返ると、背後に立つのはあの美しい魔女。間近で見ると身の毛がよだつほど美しく、少年は尻もちをついてしまった。


「どうして……僕が兄だって……」

「ふん、匂いでわかるわい。それで、お前の願いはそれでいいのかい?」

「初めはセリと同じことを願うつもりでした……けど魔女様、あなたの姿を見て、気が変わってしまいました」

「気、だと?」

「魔女様、魔女様、お願いします。どうかおそばに置いてください」


 髪の色は少女と同じで美しい亜麻色。瞳は透き通るようなエメラルドで、こちらもまた美味そうだ、と魔女はごくりと喉を鳴らす。



(妹とはまた別の魅力のある少年だな……美しい)



 大人になりかけの少年の肉体を、喰らうか弄ぶか魔女は悩み始めてしまう。



(恋仲になるのであれば、異性の方が好みではあるが……妹も魅力的であったしな、喰らうには惜しい)



 悩ましげに目を伏せて瞬きをすれば、熱い視線が魔女を射抜く。少年の熱烈な眼差しに、魔女の胸がどくんと跳ねた。


「お兄ちゃん! 一体何してるの……?」

「セリ……」


 魔女と少年が振り返ると、そこに立つのは目を見開き驚く少女の姿。肩で息をする少女の目に宿るのは嫉妬の色だった。


「魔女さま、どうして……」

「どうもこうも、お前の兄が儂に願いを乞うていただけだ」

「願いを?」

「ああ。自己中心的な願いをな」


 鼻で笑った魔女は、兄と妹へ交互に視線を投げる。どちらともほしい、どちらとも喰らいたい──が、どちらとも一つなのだ。


「魔女さま、昨日の約束です! どうか願いを叶えてください!」

「僕だって……! お願いします!」


 少年が差し出した十欠片の爪を、魔女は半分程口に放り込み、悩む。残りの五つを帽子に放り込み、口角を引き上げると天を仰ぎ、太陽の位置を確認した──縛りは、解けていた。


「よし……わかった。お前たち二人願いを叶えよう。後ろを向いて目を閉じろ。開けば願いは叶わぬと思え」


 魔女の言葉に、兄妹は揃って背を向ける。同じ色の長い髪が、魔女の目の前で揺れる。右手を前に伸ばし、亜麻色の長い髪を鷲掴みにすると、大きな口を開く。人間の一人や二人、丸呑みに出来そうなほど、大きな口であった。涎が滴り、鋸刃のような歯が獲物を捕らえた。


 小さな悲鳴が一つ上がった直後──……それは一瞬にして消えた。その時何が起きたのか、目にしたものはいない。目を開けてしまえば、願いは叶わないと言われたのだから。






 森の奥の、おかしな伝承の残る閉ざされた小さな村には言い伝えがあった。


 願いを叶えてほしくば、魔女に己の肉体を供物として捧げよ。さすれば願いは叶う──その代わり、魔女に魅せられてはならぬ。魅せられてしまえば、二度と家に帰ることは叶わぬ、と。


 この村では百年に一度、必ず行方知れずになる者がいるらしい。行方知れずになり帰ってきた者は一人としていないので、原因はわかっていない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

閉ざされた村 こうしき @kousk111

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ