第3話 突然の呼び出し

 学生街にある洋風のレストランを何軒かまわったが、どこも満席で列ができていた。不安になった哲哉はネットで検索し、近所にある店の混み具合を調べる。予想どおり全滅だった。

 イヴの夜に予約なしで入ること自体が、無理な相談だったようだ。

「ごめんな。おれから誘ったのに」

「仕方がないよ。だって急に決まったんだもの。予約なんて入れられるわけがないでしょ」

 いつものように沙樹は笑って許してくれる。哲哉の焦る気持ちがスッと消え去った。

「クリスマスらしさなんて縁のないところなら、当てがあるんだ。そこでもいいかい?」

「もちろん。得能くんのお勧めならどこでもいいよ」


 沙樹の言葉に甘え、哲哉は家庭の味が恋しくなったときに行く店を選ぶ。ネットには載っていない、隠れ家的な和風食堂だ。

 目立たないように看板も暖簾のれんも出していない。玄関の横に「商い中」という札がかかっているだけの、ひっそりとたたずんでいる店だ。

「こんばんは、おばさん。二人分の席って空いている?」

 そう声をかけながら哲哉は引き戸を開けた。小さなカウンターと二人用のテーブルが三つだけで、小ぢんまりとしている。

 もちろんクリスマスツリーといった洒落たものはおいていない。

 がっかりさせたかと、哲哉は申し訳なく思う。ところが沙樹はえらくはしゃいでいる。

「あたしって自宅通学しているでしょ。だからこういう店に来ることがなくてね。みんなと気軽に行けるお店で食事するのに、ずっと憧れていたの」


 指示されたテーブルにおかれたメニュー表を見ていると、年配の女性が熱いお茶とお手拭きを持ってきた。

てっちゃん、彼女をつれてきてくれるのはうれしいけど、今日くらいはムードのある店に行ったらどうなんだね」

「それがさあ、どこもいっぱいで入れなかったんだよ。行くとこ行くとこカップルばかりでさ。まいっちまう」

 哲哉は海外ドラマでよく見かける、肩をすくめながら両手のひらを上に向けるポーズをとった。

「それでうちに来たっていうのかい」

「だって、おれにはここの手料理が一番のごちそうだもんな」

 哲哉がそう答えると、女性店員が豪快に笑い「決まったら声をかけてな」と言い残してテーブルを離れた。

「唐揚げ定食、煮魚定食、焼肉定食、それから……ああ、それぞれにおひたし、肉じゃが、おみおつけがついているんだね」

 ごく普通の家庭料理の並ぶメニューが逆にめずらしいのか、沙樹は興味深そうに眺めている。

「うーん。どれも美味しそうで迷っちゃうな。得能くんのお勧めはどれなの」

「おれは煮魚かな。焼き肉なんかだと家でもパパッと作れるけど、煮物は自分じゃ作らないから」

「じゃああたし、それにする」

 哲哉はふたり分の煮魚定食を注文し、湯呑みに手を伸ばす。熱い緑茶が身体を中から温めてくれた。

「得能くんって、ここの常連なんだね。お店の人とも親しいみたいだし」

「そうさ。おじさんとおばさんの手料理が、ひとり暮らしにはたまらないんだ」

 ライブ喫茶ジャスティも心地よいが、こことは雰囲気が異なる。親に拒否された哲哉が欲しくても手にできない家庭の温かさ。それがここにはある。

 とおりすがりに偶然見つけたとき、哲哉は自分の運の良さに感謝した。


 ほどなくして料理が出てきた。沙樹は煮魚を一口食べて「美味しい!」と頬を緩ませる。

 大切な友だちに喜んでもらえ、哲哉は自分が褒められたような照れくささを感じた。

 ふたりで料理に舌鼓を打っていると、突然哲哉のスマートフォンが鳴った。画面に「ジャスティのマスター」と表示されている。

「なんだろ、急に。今日はおれ、ジャスティの予定はなかったはずだぜ」

「ジャスティの予定?」

 箸を止めた沙樹が疑問を口にする。哲哉は答える前に通話のアイコンをタップしていた。

「えーっ。今から来いって? おれ食事中なんだけど……五分ですませろって無理だよ。でもなるべく早く食い終わって行くからさ。それまで間を持たせといてよ」

 哲哉は軽くため息をつきながら、スマートフォンをコートのポケットに戻した。

「マスター、なんだって?」

「よくわからないけど、手が足りないから助けてくれ、だって。せっかくの家庭料理をじっくり味わえないなんて」

 哲哉は名残惜しそうに残りの料理をきこむ。沙樹もあわせてくれるように、急いで食べ終えた。

「ごめんな、おばさん。また今度ゆっくりと食いにくるから」

「仕事納めまでは開けているから、いつでもおいで」

 レジでふたり分の料金を払い、店を出た哲哉は腕時計で時刻を確認する。マスターに呼び出されてから十分が過ぎていた。哲哉はともかく、女性の沙樹に早食いは難しかったようだ。ふたり分の料理代を払ったのは、詫びの気持ちからだった。



  ☆  ☆  ☆



 哲哉と沙樹は、徒歩で十五分ほどの距離を早歩きで移動した。沙樹が半分息を切らしているのを見ると、無理してでも帰宅するように促すべきだったと後悔する。

(それもこれも全部、マスターが悪いんだぜ)

 心の中で悪態をつきながら扉を開ける。クリスマスイヴのジャスティはほぼ満席だ。

 だがアルバイトの男子学生もいる。わざわざ呼び出さなければならないほどの忙しさは見られない。

 哲哉と目があった途端、マスターがカウンターから飛び出してきた。

「思ったより早く来てくれたんだな。助かったよ。おや、沙樹ちゃんも一緒かい」

「人手が足りないって本当? そうは見えないけど」

 店内を見回しながら哲哉がいぶかしげに訊ねると、マスターはステージの上にあるピアノを指さした。

「本当に申し訳ない。実は今日のピアニストが急に体調を崩して、生演奏をする人がいなくなったんだよ。イヴの夜に有線だけってわけにはいかんだろ。だから、な」

 マスターは本当にすまなそうに、手をあわせて頭を下げた。

「そういうことなら仕方ないか。そのかわり、バイト料は弾んでもらうよ」

「もちろんそのつもりだよ。無理言ったのはこっちだからな」

 マスターの返事にニッと笑い、哲哉は沙樹を残してスタッフルームに移動する。

 衣装に着替えながらテーブルに目をやると、楽譜とセットリストを書いた紙が目についた。

 ざっと目をとおすと、今までに何度も弾いた曲ばかりがならんでいる。

「これならぶっつけ本番でも問題なく弾けるぜ」

 哲哉そうつぶやき、手早く準備をすませた。そして楽譜とセットリストを手にしてピアノの前に立つ。

「さあ、思う存分楽しませてもらうぜ」

 哲哉は軽く指をほぐし、ピアノの前に座った。

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