第2話 家族の拒否

 哲哉の住むマンションは、大学の正門から徒歩で十分ほどのところにある。普段は自転車で移動するので五分とかからない。

「二十四時間セキュリティーつきの賃貸マンション? ここ、学生専用じゃないんだ。立派なところに住んでいるのね」

 哲哉の借りている部屋は四階にある。ひとりで住むにはいささか広い間取りだが、仲間がよく集まるためか手狭に感じることも多い。

 哲哉はリビングのクローゼットを開け、所狭しと並んでいるCDラックを引っ張り出して沙樹に見せた。

「大学生の下宿とは思えない数ね」

 沙樹はほう、とため息をついて感想を口にした。

「そうかな。まあ気にせず好きなだけ持って帰りなよ」

「得能くんは聴かないの?」

 哲哉は窓際を指さした。机の横にパソコンラックがあり、リンゴマークのついたノート形のPCがおいてある。

「昔は全部Macに取り込んでいたよ。でも最近はサブスクもあるし、ヘヴィロテしたい曲はそこからスマホに入れているんだ。ただ残念ながら好きな音楽が全部サブスクになっている訳じゃないし、いつ聴けなくなるか解らないだろ。結果、相変わらず買い続けているぜ」

 哲哉はそう言いながらポケットからスマートフォンを取り出し、電子ピアノの横にある充電器の上においた。


「うちなんかまだまだ少ないほうだぜ。ワタルの部屋はCDが壁一面にぎっしり並んでいるよ。知っているかい?」

「へえ、そうなんだ」

「今度会ったら、貸してって頼んでみなよ。うれしそうに解説しながら、あれこれアルバムを勧めてくれるからさ」

 哲哉はキッチンに入り、やかんを火にかけた。

「コーヒーならブラジルとモカ、紅茶はダージリンとアップルティー、それとココアがあるけど、どれがいい?」

「アップルティー、プリーズ」

 お湯が沸くのを待っている間に、哲哉はラックからCDを数枚取り出してテーブルに並べる。

「西田さんが話していたバンドはね、このアーティストの影響が強いんだ。彼らのトリビュートアルバムにも参加しているんだよ」

 解説を読んでいる沙樹に、哲哉は二枚のアルバムを見せた。

「この曲はこっちのアルバムに収録されているこの曲と似たメロディが出てくる。聴き比べてみるとおもしろいよ」

 哲哉はバックバンドやプロデューサーをもとにアルバムを結びつけて、沙樹にいろいろ紹介する。真剣に耳を傾けてくれるのがうれしくてつい熱弁していると、やかんの笛が鳴って説明を中断させた。


 アップルティーを入れてリビングに戻ると、沙樹が大量のアルバムをテーブルの上におき、腕組みしている姿が見える。

「得能くんのお勧めをもとに選んだら、こんなに増えちゃった。全部は持って帰れないから、優先順位をつけてもらえる?」

 沙樹がたくさん本を借りていたことを、哲哉はふと思い出す。それに大量のCDを加えたら、電車に乗るのは重くて大変だろう。

「西田さんは運転するよな。明日車で取りにこいよ。本も一晩預かるぜ」

「いいの?」

 哲哉の提案を聴いて顔を輝かせたのも束の間、沙樹は首を横にふった。

「やっぱ悪いよ。得能くんも明日には実家に帰るんでしょ。家の人たち、心待ちにしているよ」

 沙樹の言葉が哲哉の動きを止める。

(家族か……)

 自分に冷たい視線を投げてくる父と、無視する母の顔が浮かんだ。鈍い痛みが哲哉の胸をかすめる。

 哲哉は口を閉じて立ち上がり、CDラックをクローゼットに入れて扉を閉めた。ふりかえると、沙樹が申し訳なさそうに俯いている。

「ごめん。あたし何か悪いこと言ったみたい」


 沙樹の言葉に他意のないことはわかっている。だからポーカーフェイスで聞き流したつもりだった。

 でも残念なことに、思ったほどうまくはできなかったようだ。

「謝ることないって。西田さんは悪くないんだからさ」

 哲哉はあの家の子供でありながら、ずっと疎まれて育ってきた。両親は帰りを待ってはいない。

 自分は邪魔者でしかないのだ。

 哲哉は息を吐くように小さく笑い、少しだけ時間をおいて口を開く。

「おれは小さいときから、親の期待を裏切ってばかりでね。そのせいでとうとう親に見捨てられたのさ。普通の親なら、盆暮正月には子供が帰るのを楽しみにするんだろうな。でもうちの親は、おれの帰宅が煩わしいんだよ。だから……夏休みもそうだったけど、冬休みも帰るつもりはないんだ」

 平気な顔でさらっと流したつもりだったのに、沙樹は眉をひそめたままで、哲哉の話に耳を傾けている。


 言いふらすものでもないが、かといって隠すつもりもない。だがこうやってオープンにすると、みんな同じように口をつぐんでしまう。

 同情なんていらないのに、必ず気を使わせる。自分でもどこかふっきれてない部分があり、それが相手に伝わるのか。

 哲哉はそんな弱い自分が、そして仲間に気を遣わせる自分が嫌でたまらない。

「だからさ、明日でも明後日でも、好きなときに取りに来いよ」

 こわばっているな、と思いつつも哲哉が無理して笑顔を作ると、沙樹は安心したように微笑みを返した。


「はい、湿っぽい話はこれで終わりにしようか」

 パンっと手を叩くと、哲哉は食器棚からクッキーを出し、テーブルにおいた。

「次々と飲み物にお菓子が出てくるのね。もしかしてバンドメンバーの好みに合わせてストックしているの?」

「そうなんだ。あいつら、好きなものがバラバラなくせに、こだわりは強いだろ。突然やってくることもよくあるから、買いおきしているのさ。そうだ、西田さん用の飲み物もおいておこうか」

「それだけは絶対にダメ。彼女ができたときに困るって」

「うーん。やっぱりまずいか」

「独占欲の強い女子だと、些細なことでも嫉妬するよ。相手が人間でなくてもね」

(ああ、それが原因か)

 たしかに沙樹の言うように、哲哉が音楽に夢中になりすぎて、すぐにふられてしまうパターンの繰り返しだった。

「音楽ごと好きになってくれる子って、そうはいないんだよ。かといってファンから入った子は、普段のおれの姿なんて知りもしないで、勝手なイメージを作っている。その点、武彦は良い相手に巡り会えたよ」

 ふと目の前にいる女性のことを考えた。サポーターをしてくれている沙樹でも、音楽に嫉妬するだろうか。


「どうしたの?」

「いや、西田さんなら、音楽もバンドもまとめて好きになりそうだなって……」

 何気ないつぶやきのつもりだった。が、沙樹は目を見開き、急にほおを赤らめた。

「やだ、そんなふうに見えるの?」

 そう言って恥ずかしそうに両手で頬を隠す。

「え? もしかして、メンバーのだれかとつきあってるとか」

「そんなわけないって」

 沙樹はどぎまぎして視線を泳がせた。

「ごめんごめん。もしそんな相手がいるなら、イヴにおれのところなんて来ないよな」

 クリスマスイヴは大切な人と過ごす夜だ。恋人、友達、家族、だれでもいい。人の温もりを感じながらそれに感謝をする。

 そんな日に、仲間たちはそれぞれの場所に戻っていった。バンド仲間ではなく、家族や恋人のもとに。

 哲哉のそばに、だれが寄り添ってくれるのだろう。


 ひとりになりたくない。ふとわいた感情が哲哉を支配する。

 いつもはひとりでも平気なのに、今は無性にだれかと過ごしたかった。沙樹なら一緒にいてくれるだろうか。

「西田さん、今夜予定ある?」

「ないよ。CDショップに行ったら、まっすぐ帰るつもりだったもの」

「じゃあ、夕飯でもどう?」

「本当? 家に帰ってもクリスマスのイベントなんてないから、正直寂しかったんだ」

 沙樹は目を細くして快く承諾してくれた。そんな些細なことが、今夜の哲哉は泣きたいくらいにうれしかった。

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