第三話 この先生き残るには

「……え?」


 里子は最初冗談かと思った。

 しかし祟り神はただ里子をじっと見つめている。

 里子はゾクリと寒気を感じながら後ずさりした。


「待ってよ! 今の流れでどうして私を食べるって結論になるの? 私はここの人間じゃないし、生贄としてここに来たわけでもないのに!」


「そうは言ってもこれが大昔に人間と交わした約定だからね」


「約定?」


「この森に持ち込まれたものは全て僕への捧げものとなる。そういう取り決めなんだ。だから君がここへ来てしまった以上、僕は君を喰わないといけない。だから残念だけど諦めておくれ」


 祟り神の言葉からは悪意のようなものは感じられなかった。

 ただ義務としてそうする必要があると捉えている、という印象。

 それが却ってこの神の不気味さを抱かせる。


 里子はようやく理解した。

 元からそうだったのか、人間を喰ったことで変わってしまったのかはわからない。

 どちらにしろ確かなのは、目の前の相手は言葉は交わせても話は通じない、ということ。

 自分とは根本的に異なる存在なのである。


 いつの間にか、祟り神の背後から四匹の巨大な白蛇が出現していた。

 尻尾に向かうにつれて透明になっているのではっきりとは分からないが、どうやら祟り神の背中から生えてきているらしい。


 四匹の蛇は舌をペロペロ出しながら里子の様子を窺っている。

 少しでも隙を見せたらあの四匹のどれかに丸呑みにされるか、手足を噛み千切られてしまうのだろう。

 普通に逃げても絶対に助からない。

 里子の直感がそう告げていた。


「………」


 里子は青ざめた顔で後ずさりしながら、どうしたら助かるかを必死に考えていた。


 こうなったのは里子が不用意にこの森へ立ち入ったからだ。

 しかしだからといってこんなところで死ぬのは嫌だった。


 その時不意に祟り神が声をかけた。


「おっと、それ以上下がるのは危ないよ。そのお堂はもう随分痛んでいるからね。君が軽くぶつかっただけでも崩れてしまうかもしれない」


 里子は立ち止まった。

 それから蛇を警戒しながらもチラリと背後に目をやる。


 そこには里子がここへ来たとき最初に目に入ったお堂があった。

 かなり古い印象だったが、こうして近付いてみると思った以上に痛んでいる。

 確かに里子が押しただけで崩れてしまいそうだ。


「そういえばこのお堂はなんなの?」


「大昔に人間たちが建ててくれたものさ。かなり見事なものだったんだが、祟り神と呼ばれるようになってからは誰も補修に来てくれなくなってしまってね。腐っていく一方だから困り果てているんだよ」


「そうなんだ……」


 それでも取り壊してしまわずそのままにしているということは、祟り神にとってこのお堂は少なからず愛着があるものなのだろう。

 里子と話をするのも楽しそうに見えたし、やはり人間に悪感情を持っているわけではない。


 少々理解しがたいが、人間を食べるのはあくまで約定とやらのためなのだ。

 この神は感情よりも約定を最優先に行動するのである。


 それならば……。

 里子は腰に提げていた小物入れを開けた。


「神様、これあげる。その代わり私の願いを叶えて」


「なんだいそれは」


 里子が差し出した物を祟り神はしげしげと覗き込む。

 それは両手いっぱいの飴玉だった。


 何の変哲もない、どこにでも売っているような、ビニールで個別包装された市販品の飴玉。

 散歩に行くと言って家を出るときに祖母がおやつにと持たせてくれたのだ。


 祟り神は首を傾げた。


「君はこれでどんな願いをすると言うのかな」


「私が今日森に入ったことを見逃して欲しいの」


 要するに飴をやるから喰わないで欲しいということである。

 祟り神は苦笑しながら言った。


「すまないがその願いは聞けないな。人間一人の命に対する贄としてはこんな物では不足も良いところだ。君だって自分がこんな十数個の飴玉程度の価値しかないなんて言われるのは不服だろう?」


 祟り神の背後の蛇たちが里子ににじり寄ってくる。

 里子は恐怖で泣きたくなるのを堪えながら半ば叫ぶように言った。


「そんなことないわ。実はこれ、ただの飴じゃないの。人間一人の人生を大きく変えてしまったという『運命の飴玉』なのよ。私の話を聞いてくれたらきっと神様だってこの飴玉が私の代わりになるだけの価値があるものだってわかってくれるはずだわ」


「ほう……?」


 祟り神は探るように里子の顔を見つめる。

 里子のほうも目を逸らさず必至に見返しながら祟り神の返答を待った。


 『運命の飴玉』なんて大層なことを言ったが、里子が差し出したのは見た目の通り祖母が先日スーパーから買ってきた普通の飴玉だった。

 当然ながら人間一人の人生を変えた逸話なんてものは無い。


 しかし、この場から生き延びるためにはこうする以外思いつかなかった。

 ありもしない逸話を即席ででっち上げて、祟り神にこの飴玉が里子と同じかそれ以上の価値があると誤認させるのだ。


 目の前の祟り神に対し情報を喰わせる。

 里子の代わりに情報で祟り神の腹を満たすのである。


 先程の話から察するにこの神は判断自体は公平なようだった。

 十分な対価さえ差し出せば相応の願いを叶えてくれる。


 そして人間を嫌ってはおらず、むしろ話し好きな性格。


 であればこの神は里子の提案に乗ってくれるかもしれない。

 そんな期待に一縷の望みを掛けたのである。


 里子の狙い通り、祟り神は少なからず興味を抱いたようだった。


「僕の目には普通の飴玉にしか見えないけれど、本当にこれはそんなに凄い物なのかい?」


「そうよ。ただの飴にしか見えないのはこれが実際のものではなく逸話を元に再現された複製品だからなの。でも逸話を聞けばきっとこの複製でも十分私の代わりに食べるだけの価値があるってわかってくれるはずよ」


「ふーん、そうか。それではその逸話とやらを教えておくれよ」


 祟り神は蛇たちを引っ込めると、近くの石に腰かけた。

 近くの石を指差して里子にも座るように身振りをする。


「わかっていると思うけど、もしも君の話が期待外れだったらその時点で君は僕に喰われることが決定する。泣き喚こうが言い訳をしようがもう二度と覆らない。それで構わないね?」


「え、ええ。もちろんそれで良いわ」


 こちらの企みを見透かしたように尋ねる祟り神に対し、里子は頷きながら石に座る。


 こうして里子による一世一代、文字通り命懸けのプレゼンテーションが幕を開けた。

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