8月28日:最初の思い出
それが夢であることに気付いたのは比較的早かった。
いわゆる、明晰夢という奴に違いない。
秋の風が吹く、旧校舎への渡り廊下。しょぼくれた顔をしてとぼとぼと歩くのは、まだよく知らない雪村ゆかりだった。クラスも違ったし、接点もなかった。
確かこのとき、一人ぼっちで文芸部を任されており、事実上既に部長だったはず。
「あ、部長。どうしてここに」
ゆかりが見上げた先に、背の高い男子生徒の姿があった。部長が部長と呼ぶ人物は先代部長しかいないだろう。なんともはや、ややこしい。
「今はお前が部長だろ。まあ、俺も落ち着いてきたから様子見でもと思ってよ」
「部室も変わってしまって困ってるんですよね、ぶっちゃけ」
「ああ、今、準備室に移動されたんだったか。いきなり災難だよな、はは」
「そんな他人事みたいに。三年の先輩が全員ごっそりいなくなったせいですよ」
ぷりぷりと怒る部長ゆかりの横顔は、今もはっきりと覚えている。
焦燥感に満ちた不安げなあの顔。
「丁度いいじゃあねえか。部員お前だけなんだし」
「いやいや、あべこべですってソレ。このままだと廃部ですよ」
ゆかりとは真反対に楽観的に振る舞っている先代部長は、もう既に肩の荷を下ろしどうでもいいとでも思っているのだろうか。
「まあ、それに関しては二年の部員を勧誘しなかった俺らの責任っちゃ責任だけど、今からだって部員募集してもいいんだぜ? そんなに文芸部を潰したくないならな」
どうしてこうも無責任に振舞えるのだろう。もう部長じゃないからだろうか。
正直、この人のことは全く知らない。接点もこれっきりだったし。
このとき、私、なんで旧校舎に行こうとしてたんだっけ。
前の授業で忘れ物したからだったっけ。
取りに行こうとしたら、ゆかりと元部長が廊下で話し込んでて通れない。
渡り廊下ながら狭い通路だからすれ違うのも面倒だった。
横から押しのけるように通り抜ける勇気は、正直今の私にもない。
だから、まごまごしていたんだ。
「ん? 君、ひょっとして一年?」
「ひゃいっ!? あひ、しょ、しょうですけど、なんれすか!?」
ああ、そういえばこんな感じだった。知らない人とは言えテンパりすぎだろ私。
「文芸部に興味ってない? 今ならこの可愛い子もいるし、退屈しないと思うよ」
「部長、ナンパじゃないんだからそりゃないでしょ」
「でも、ゆかりちゃん、このままじゃ寂しいだろ? 独りぼっちだぜ?」
「いやいや、だからといって――」
なんだったかな。このとき、本当に私、焦ってて、事情もよく分からなくて。
でも小さくて可愛い子が困ってるというのだけは何となく察していた。
それで高校生のお兄ちゃんに振り回される小学生が可哀そうとか思ったんだっけ。
「じゃあ、文芸部、入ります」
そうだった。それで部長を助けたいと思ったんだった。
今になって思えば、本当に事情も何もかも勘違いだったなぁ。
「ちょ、君それでいいの? 乗せられちゃダメだって――」
「よし、これで後は大丈夫だな」
両手をパンと叩き、全部が丸く収まったかのような顔をする。
ゆかりの呆れ顔といったら、印象に残らない方がおかしい。
「もう、勝手に決めちゃって。入部届の紙だけ渡すから、決めるのはそこからね」
「あ、はい、なんかすみません。でも、私、本とか嫌いじゃないんで、その……」
何を言おうとしているのか、このときの私は混乱してて覚えていない。
入部するかと聞かれ、いいえと言えないからはいと答え、後から理由を考えた。
そんなところだろう。
我ながら流されやすいというか思慮が浅いというか。
それでそのまま私は先代部長と、現部長のゆかりに連れられて、旧校舎へ向かい、文芸部部室という名の、図書室準備室に辿りつき、目が回る思いをしたんだ。
埃まみれの狭い部屋。ダンボールに詰め込まれた本の数々。
空っぽの本棚に、申し訳程度の机が六台。
そうそう、こんなだった。本当に何もなくて、改装途中みたいな小部屋。
ゆかりが何処の机に入部届を入れたのか知らなくて、先代部長と探し回った結果、新校舎に送る本の中に紛れ込んでたのが発覚して、右往左往。
私としてはいきなり旧校舎と新校舎と二往復させられて戸惑いも最高潮だった。
「じゃあ、これ、入部届。期限とかないから気が向いたら書いてもってきて」
「へっへっへ、この子が寂しがるから早めに書いてやってくれよ」
ウザ絡みする先代部長に、苦笑いするゆかり。
私はこのとき一年だったし、部活にも興味なんてなかった。
普通に考えても、こんな狭苦しい部室なんてどうかと思っていたんだけど……。
「私、桜坂美紅です。これからよろしくお願いしますね、部長」
その場でボールペンで書きなぐって手渡したのは、気が変わるのが嫌だったから。入部しようと決断したのは、こんなに小さな子と二人きりなら大丈夫と思ったから。
もし、他に一年二年がいたら、入部届を書こうとも思わなかったはずだ。
「え? 本当にいいの? えっと、桜坂さん?」
「美紅でいいです。同じ一年、なんですよね」
「まあ、そうだけど、あの美紅さん。少しは考えた答えなんだろうね」
正直に言えば何も考えてなかった。
だって部長は――ゆかりは、その目で語っていた。この部室を消したくないと。
それだけが理由で、ゆかりと二人ならなんとなくでもやっていけるだろう、と。
本当にそれだけ。
「春に部活に入ろうと思って、入り損ねてしまったので丁度いいかなと」
これは当然ウソだ。何処の部活にも入ろうとはしなかった。
興味もなかったし、関心もなかった。私はゆかりと一緒ならいいと思っただけ。
「いいじゃないか、ゆかり。新入部員なんだから部長としては喜べよ」
「ああ、うん。じゃあ、美紅さん。入部届は受理したよ。顧問に渡しておくから」
「はい、よろしくお願いします」
気持ちのいいくらい堂々と言ってのけたが、このときの私の本心を述べよう。
勢い任せに言っちゃった。こんな部室で本当に大丈夫なんだろうか、だ。
入部届を手渡した直後に、私は一人途方に暮れていたのは間違いない。
でも、ここから私の文芸部は始まったのだ。
部長ゆかりを中心にして色々なことがあったが、私は何も後悔していない。
私にとってのかけがいのない居場所となったのだから。
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