8月26日:図書館の二人

 空は晴れ渡り、実に青々しく、そして暑い日差しが上空から降り注いでくる。

 夏の終盤といっても差し支えのない日。私と部長は図書館を訪れていた。

 目的は勿論、勉強以外の何物でもない。


 外は恐ろしいほど蒸し暑く、路上でベーコンでも焼けそうな灼熱っぷりだったが、涼しげな冷房の中、別世界のような快適っぷりでテーブルの一角を陣取っていた。


 普段ならマンガでも読みあっていそうな空気感だというのに、お互い取り出すのは参考書だというのがなんだか違和感を覚えて仕方ない。


「それで、部長。私に進路を合わせるなんてどういう了見なんですか?」

「昨日言った通りだよ。莉子さんは少し誇張していたみたいだけどね」


 昨日私の家に来て申し訳なさそうに事のあらましを説明してくれた部長だったが、葉月とその仲間たちと勉強を進めてきたことに関しては大した話ではなかった。

 要点は、どうして私を頼ってくれなかったのか、私に何も言ってくれなかったのかというところに尽きる。


 一緒の大学に行けるなら私も応援していたと思うし、別に抜け駆けする気はない。部長には部長の持つ理想があって、そこへ部長が進みたい場所があるというのなら、いつだって私はそれを見守ってきた。それこそ文芸部のように。


 私は部長とは違って陰キャだし、部長のように輝いてはいない。

 誰かに憧れられるような大層な人間じゃない。

 そう思っていたから、私は部長の影にいられればいいと思っていた。

 少しでも部長の助けになるのならそれでいいと思っていた。


 でも、実際は少し、違っていたらしい。


「美紅さんのような高嶺の花に、少しでも近付きたかったんだよ」

「私、そんなに大それてないのに」

「いいや、過小評価ってものよ。美紅さんは背も高いし、可愛いし、頭も良い上に、胸も大きい。そんなの全部持ってないもの。羨ましくて仕方ない」


 部長は小さくて可愛いからそれはそれでいいのに。

 コンプレックスというものは他人からは分からないものだなぁ。


「私は部長の方がずっと可愛いと思ってますけど?」

「そういうの、聞きようによっては犯罪だぞ? えへへ」


 この世の全てを浄化するピュアパワーに溢れたロリフェイススマイルで返される。ありとあらゆるものが完璧かと言われれば、そうとは言い切れないかもしれないが、それでも私にとって部長というのはあまりにも巨大だという認識でしかなかった。


 ありえないことだ。部長が、こんな私を羨ましいだなんて。


「さあ、勉強始めますよ。予備校生と自習したって聞きましたけど、成果は?」

「彼らはエリート集団だったよ。素晴らしいね。次回の模試は満点をとれそうだな。それでも美紅さんには追い付いているとは思ってないんだが」


 何を言っているのやら、この部長は。


「じゃあ、去年の過去問がここにありますから解いてみましょうか」

「ああ、お手柔らかにね」


 図書館とは本来静かな場所だ。それは例にもれず、ここにいる私たちも静寂の中、ボールペンがカリカリとノートを叩く音だけが小さく小さく響く。

 私たちの部室も、元は図書室の準備室。静寂の二号室だった。そういう意味では、随分と長いこと静寂な空気を破り続けてきたものよ。


 いつもみたいに本に囲まれて、いつもみたいに部長がそばにいて、こうも静か。

 私の手元にあるのが参考書とかじゃなかったなら。流行りのマンガだったのなら、きっとくだらない雑談を交わしていたに違いない。


 しばらくして部長が解答を記述し終える。私は照らし合わせて採点した。

 可愛らしい文字列は実に読みやすく、くっきりと答えを示しているよう。


「確か去年の合格点から見るに……これなら及第点でしょうか」

「あはは、やっぱそんなに酷いのか」

「何を言っているんですか。十分合格圏内じゃないですか」


 などと言ってはみたものの、微妙ラインなのは私が一番よく分かっている。

 これでも入れる学校はいくらでもあるから問題ないのも事実なのだが。


 部長の得意そうな分野はおおまかに見えてきてはいたし、そこら辺を伸ばした方がぶっちゃけ効率がいい。無理をしているというのが私の目線から見ても明瞭だ。

 それでもやはり部長は私の分野に合わせてくるのか。


「受験はもう少し先ですから今のペースでコツコツと頑張れば十分間に合いますよ」

「でも、そうしている間に美紅さんはずっと先に進むのだろう?」


 分かりやすいくらいにふてくされた顔をされてしまう。

 ここは何が言いたいのか分からないフリをした方がいいだろうか。


 部長にとって、私と同じ大学に入ることがゴールではないということ。

 あくまで私と肩を並べたいと言っているのだ。そんなの、逆じゃないか。


 私は部長の思い描く理想というものを形にできるのならそれ以上のことはないし、なんなら私の方が部長の行きたい進路に合わせたいと思っていたくらい。

 でもそれはきっと部長にとっての理想じゃないから諦めたんだ。


 私と部長は歩く世界が違う。

 そう思っていたのに、どうして部長の方が私に合わせようとするのか。


 どれだけ丁寧な言葉で説明されても私には理解することができない。

 奇想天外で、摩訶不思議なことだ。


「部長は今でも十分頭がよくて可愛くて素敵な人なのに」

「学年一位の天才がそれを言うのかい?」


 成績という指標なんてあてになるものじゃない。

 歴史上の天才の多くだって完璧超人だけの世界というわけでもない。

 偉人はその行動力によって結果を叩き出し、歴史に名を残してきたようなもの。

 いくつもの失敗を束ねて、大きな成功を手にした努力家たちだ。


 勉強など卒業してしまえば日常的に利用することのない知識の集合体でしかない。社会においては雑学自慢に役立たせるのがせいぜい。

 本当に天才と呼べるのは自分のやりたいことを形にすることのできる人間だ。

 自分の持ちうるものを自在に活用できてこそ本当の意味で天才といえる。


 それこそまさに、部長そのものではないか。行動力の化身。

 私なんかとは違う。学年一位だとかいう称号よりもよっぽど凄いと思う。


「私は天才じゃなくて、努力している凡才ですよ。部長が本気出したら勝てません」

「一体何処からそんな自信のなさが滲み出てくるのか理解に苦しむね」


 そう言って、何故か部長に苦笑いされた。

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