8月25日:心の台風一過

 顔のない猫に追いかけられて、それから延々と逃げ回るような夢を見た気がする。窓の外はすっかり台風が過ぎ去っており、嘘のように晴れ渡っている。

 はたして私自身はどうなのかは分からないが、少なくとも落ち着いてはいた。


 昨日は一日、スマートフォンを見ることすらひたすらに億劫で、気を逸らすようにマンガばかり読みふけっていたが、今はそうでもない。

 何の気なしにテーブルの上に放置されたスマートフォンを手に取っていた。


 メッセージアプリを立ち上げてみるが、いくつかの通知が来ていた。

 さすがに部長のからを読み上げる気力まではなかったので、後輩ちゃんたちのから目を通すことにした。


 一昨日に軽く遊んで、それから部長と葉月を目撃してからは言うほど会話もせず、結局あれはなんだったのか、そんな疑問を掛け合って解散していた。

 以降は特にはこれといった話もなかったと記憶している。


 ひまわりちゃんからのメッセージは……スタンプばかりでよく分からない。

 莉子ちゃんからのメッセージは、長いことが書いてあったが、最新のメッセージが真っ先に目についた。


『だから気にしなくてもいいのであります』


 励ましの言葉なのか、慰めの言葉なのか。それだけでは上手く汲み取れない。

 一体どんなつもりでこのメッセージを送ってきたのだろう。

 私は莉子ちゃんからの大量の未読を遡っていった。


 もはや、時間が止まっていたみたいな気分。

 読み上げて、心の何処かに繋がれていた鎖が少しずつ解かれるようだった。


 要約すれば、莉子ちゃんの方から部長に問い訪ねていたらしい。

 そんな余計なことをしなくてもいいのに、と思いつつも読み進める。


 部長は見られていたとは知らず、かなり渋った様子だったらしい。そりゃそうだ。回りくどく葉月のことについてを確認して、ようやく観念したと書いてある。


 なんか「訊ねてみた」と「聞いてみた」と「返事を待っている」が繋がっていたがよくよく送信時間を見てみるとスパンが長い。一日をかけてメッセージアプリ越しに部長を尋問していたのか、この子は。


 返事が来る度に「こういう意味だったみたい」と送ってきていたからメッセージがこんなにも長くなってしまったのだろう。

 必死になっている様がありありと伝わってくる。それが私のためになのだと思うと莉子ちゃんのいじらしさまでもがまざまざと見せられているよう。


 私が知りたいのは部長を質問攻めにしたとか驚いていたとか、そんなんじゃない。メッセージアプリの文字列を見落とさないようにゆっくりスライドする。


 曰く、部長は進路先に対してあまり成績がよろしくなかったらしい。

 だからどうにか勉強をしようとしたが、行き詰ってしまったとか。

 そこで白羽の矢を立てたのが葉月圭斗なのだという。


 どうしてそこで私じゃないのかという疑問は、その答えはすぐ下に書いてあった。部長は、私に――桜坂美紅に追いつきたかった、らしい。

 だからとても頼ることができなかったと書いてある。


 この辺りは部長と直接通話で粘ってようやく聞き出したとか書いてある。

 どれだけ詰め寄ったんだ莉子ちゃん。


 成績の上下は私にはあまり関心のないことだった。

 実際に、葉月が学年二位であることも私は把握してなかったくらい。


 とはいえ、部長の成績が言うほど低いなんてことはなかったはず。

 これまでの高校生活で破天荒に過ごしてきた部長だけど、やることはやっていた。進学するのに何が障害になるというのか。せいぜい内申くらいか。


 だから、私は今、とんでもないことを思い出した。


『部長は進路って決めましたか?』

『悩んでるとこだね。どうしたものか。美紅さんと同じ大学とかどうだろ、なんて』


 あれはいつのことだっただろうか。少なくとも夏休み前の最近だった気がする。

 軽く冗談のように流してしまった、とりとめのない雑談の中の一つ。


 もし、それが本当に冗談なんかじゃなかったとしたら、どういう意味になるのか。私と部長では得意分野も科目も違うし、同じ大学なんて視野には入らない。

 だって去年のうちから勉強も方向性を固めて取り組んできたのだから。


 そうなると、部長は私に合わせるために、とんでもない勉強をしないといけない。それがどれくらい大変なことか。だからこそ冗談だと思っていたくらいで。


 だとしたらなおさら私に追いつきたいだなんて、意味の分からない言い分だ。

 一緒に勉強すればいいだけの話なのに、どうして。


 解消した疑問はさらなる疑問を呼び起こすばかり。

 次へ、次へと、私の指先が答えを求めてスライドする。


 部長は葉月の中学生の妹に似ていたから接触できたとかどうでもいい情報はいい。

 勉強会は葉月を含む予備校生とグループでやってたとかももはや意味のない情報。

 そういうんじゃない。私が知りたいのは、そんなくだらないことじゃなくて。


『だって、さくら先輩は学年一位でありますから』

『部長にとっての最強にして最大のライバルでありますよ』

『何をしてでも勝ってやりたいという熱意があったのであります』


 ……なんか素通りしかけたメッセージを読み返す。

 どうでもいい情報の中に、どうでもよくない情報が紛れ込んでいたような。


 あれ? そうだったっけ? 私って学年一位なんだったっけ?

 そもそも確認してすらいない。だから二位の葉月も名前すら知らなかった。


『色々と勝手なことをしてごめんなさい。部長にも色々と言われたのであります』

『明日、部長からさくら先輩に直接話と言ってくれたのであります』

『疑惑とか全部丸ごとひっくるめて大解決!』

『だから気にしなくてもいいのであります』


 と、未読部分が全部終わってしまった。

 慌てて私は、部長からの未読メッセージを確認する。


『ちょっと話したいことがある』


 なんとも拍子抜けするくらいにかなり短いメッセージだ。

 既読アイコンが付いて、しばらく眺めていたらピョンとメッセージが追加される。


『窓の下見て』


 ハッとして私は窓を開き、蒼天の空の下、眩しい日差しを浴びる。

 そして、見下ろしてみるとそこに見慣れたちょこんとした姿があった。


「部長っ」


 私は上半身を乗り出す勢いで手を振り、部長もそれに返してくれた。

 あまり見たことのない照れくさそうにはにかんだ相変わらずロリ顔だった。

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