8月22日:真夏を数えて
カレンダーを指先でなぞって、残りの日数に釈然としない気持ちを抱えた。
何度繰り返そうとも日付のマス目が増えるようなことはない。
決して記憶が混濁しているとかそういったこともないと信じたいところだったが、あまりにも納得しがたい事象に、私は首を傾げるばかり。
ややもすれば、この夏休みも指で数えられる程度の日数で終わってしまう。
この事実をどう受け止めたらいいものか。
夏が終えれば、否応なしに気持ちを切り替えるタイミングが訪れる確定事項。
前準備をする期間は設けられているように思えていたのにこの始末。
かといって、何をどうすることが正しいのか、なんてことはまるで頭にはなくて、結局のところは漫然とした日々を過ごすまで。これが私という生き物なのだ。
何もしないよりもずっとマシであることは分かっている。
ただ、今のままでいることが今後の将来、よからぬしこりになるのだろう、というエビデンスのない確信を持っている自分を否めないのも事実。
この感情を何と呼ぶ? 焦燥感?
やり残したことのないように、悔いのないように、この夏をどうにかしたい。
何せ、高校生活最後の夏休みでもあるのだから。
終わりを迎えることをただ憂うより、今ここにある自分自身をどう変えていって、その上でできるだけキレイな思い出にして胸の内に収めていきたい。
差し当たっての問題は、文芸部依存症と向き合うことなのだけれども。
ふと、鳴り響いたスマートフォンに目を移し、確認する。
メッセージアプリの通知がぴょこんと出ていた一行の要件だけで把握できた。
部長命令。呆れかえるほど私はごく自然に支度を済ませたことに溜め息も出ない。外の気温はまだまだアスファルトで目玉焼きもスクランブルエッグも量産できる。
台風が近いらしいが、今日のところはまだ崩れる予報もない模様。
ついでとばかりに、近くでお祭りがないかもチェックしてしまった。
先週の件もあったことだし、やや敏感になりすぎという奴だろうか。
惜しむように冷房を切り、私は部屋を出た――……。
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暑いという言葉はもう少しバリエーションを増やしていいのではないかと思った。そんな考えが脳裏を過るほどに、グレードの違う熱気を天から浴び、汗を流す。
昔は熱中症と呼ばれるものはなかったらしい。
外で起きる日射病だか中で起きる熱射病だかが統合されたとか聞いた記憶もある。
それ以前は、そもそも熱くて倒れるなんて軟弱者のレッテルでしかなかったとか。
火で炙れば人間でなくとも大概はまいることくらい、容易に想像できるだろうに、不思議な感覚が世間に浸透していたんだな、と思う。
水を飲むとバテやすいとか、水を飲むから汗をかくんだとか。
理屈のある言葉が何処かで曲解されているものも多々ある。
ゲームじゃあるまい、飲んだものがそのまま吸収されることはない。
過度に飲んだら当然その分だけ身体が重くなってパフォーマンスが落ちる。
それを何処かの熱血的な人間は「水を飲んだらダメだ」と解釈したのだろう。
まあ、水で膨れた重い体で運動したらバテやすくなるのは当然のこととしてもだ。人間には適温はある。それを上手い具合に維持するために水分がいるのだ。
暑い。嗚呼、熱い。この新陳代謝よ、いかがだろう。
汗がだらだらと落ちていく様は、皮膚が溶けているかのように誤認するほど。
暑くても汗をかかない方が強い肉体なんだ、とか言ってのける人もいるらしいが、それは体の器官が壊れているといっても差し支えない。汗をかいてこそ健康だ。
体温調節もあるし、デトックス効果もある。汗を悪者にしちゃあいけない。
健康管理たる問題は、一個人の理屈だけで組み立てるものではない。
知識人とはそういうものだ。
それにしても暑い。実に暑い。
肌に湿気を感じるほどにサウナチック。
いずれは地球上の気温も、外出できないレベルに達するのではないだろうか。
こんなだから私の心には矛盾したものがごちゃごちゃと混ざりあっている。
私の尊い夏よ、まだ終わらないで。早くこんな苛烈な夏など過ぎ去って。
どっちなんだよ、と言いたい。夏を満喫するってどういうことなんだか。
路上にたつ陽炎の中に蜃気楼が見えてくる前に、生きて学校に辿り着きたい。
「ん? あれって……」
ふと視界の端に映る。
もし熱に浮かされて見た幻覚でなければ、あの後ろ姿は莉子ちゃんで間違いない。
「雨水さん、よれよれだけど大丈夫?」
「ぁ……さくら先輩、ちっすちっすであります」
汗だくで顔も真っ赤。バテている様子は一目見て分かる。
「顔すっごい赤いって。ちょっと涼しいとこいこ?」
「ふぃ~……そんなに酷い顔でありますか?」
別に医者でも看護師でもないから判断できるかと言われれば怪しい。
それでも、不調な気がするかも、と思えるなら理由としては十分なはず。
「こないだのかき氷のお礼。奢るからコンビニに寄って涼もうよ」
「そんな、でも、部長に呼ばれてて……」
「至急じゃないでしょ? 休んで怒るような部長じゃないって」
本音を言うなら私自身、ヘトヘトで休みたいと思っていたところだ。
近くにイートインのあるコンビニがなければなかった発想でもある。
「うぅ……さくら先輩、恩にきるであります。また助けられました」
へろへろな莉子ちゃんを引き連れて、既に視界に収まっているコンビニへ。
人一人が傍にいるだけで熱が数段増したように感じる。
ガラスの扉が開かれ、氷のような風が頭から吹き付けられる。
さながら流氷の浮く海へ飛び込むペンギンの心境か。
「いらっしやいませー」
店員の挨拶を横目に、莉子ちゃんをイートインスペースの席に座らせる。
ここにいるだけでも十分に冷却できそうな心地よさだ。
すかさず私はドリンクコーナーへ向かい、ケースから冷たいスポーツドリンクを。
アイスコーナーから自分の分も含めたフラッペをカゴへと放り込む。
「ありがとうございました~」
ちゃっちゃと会計も済ませ、莉子ちゃんのもとへ急ぐ。
「いやはや面目ないであります」
「何言ってるの。暑いから仕方ないって」
「さすが、あの部長の女房と言われるだけありますね」
なんか聞き逃せないこと言われた気がするけども。
この尋常じゃない熱に浮かされた妄言と受け取っておこう。
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