8月19日:別に悪くない

 部長のお気に入りのカーテンが窓辺でそよぐ。

 部長のお気に入りのぬいぐるみがベッドに横たわる。

 部長のお気に入りのテーブルの上、お気に入りのティーセットが並ぶ。


 特にこれといった意味はないはずなのだけれども、私は部長の部屋にいた。

 紅茶の香りが鼻腔を刺激するものだから、それだけで優雅な気持ちになる。


 机の高さや、本棚の高さが絶妙に低いのが、部長らしさを表している。


「それで? 急にまたご自宅に呼び出しってどういうことですか?」


 さっきの今、いきなり呼ばれるものだから当然の疑問だ。

 別に、私自身も唐突に部長を呼ぶことはないわけでもないが。


「一応、なんというか、埋め合わせ、みたいな感じかな」


 持って回った言い方をする。バツの悪そうな感情が滲み出ているかのよう。


「ひょっとして、昨日のことですか?」


 昨日は本当にビックリした。

 まさか部長が後輩ちゃんたちを引き連れて映画館にいるんだから。

 当然私には連絡もないし、仲間外れにしちゃったとか思っているのかもしれない。


「まあ、とりあえず座ってよ」


 うながされるままに、私は可愛らしいクッションに腰を掛ける。

 ここは部長の家で、部長の部屋だが、こればかりは殆ど私専用のクッションだ。


 すかさず、部長の方から温かい紅茶が差し出される。

 その横には氷と、ミルクと、砂糖まで添えられており、完備にもほどがある。


「そんな改まらなくても」


 昨日の映画に関して言えば、別に誰が悪いという話でもない。

 私だって、誰かにいちいち何を観るかとか報告していたわけでもあるまい。


 偶然一緒に映画館で、同じ映画を観ていたことくらい、奇跡的で面白いくらいだ。


 ただ、部長はその辺りを何処か後ろ暗く思っている節がある。

 それはこのあからさまな態度を見れば薄々と察せるというもの。


「じゃあ、用件、聞かせてもらってもいいですか?」

「ホ・ン・トー、ごめん! そういうつもりじゃなかったんだ!」


 かなり言葉を強めて大きく頭を下げてきた。予想通りといえば予想通り。

 逆に、こういうときはどうしたらいいのかが困ってしまう。

 私が悪いみたいに思えてしまうから。


「昨日のことなら私、気にしてませんから」


 本心だ。


「いや、でも、その前のお祭りのときだって、なんだか悪くて」


 ふと、何の話だっけ? と思い返してしまった。

 そういえば、偶然にもみんな浴衣姿で、私一人だけ浴衣着替えに帰ったんだっけ。

 そこまで遡ってこられるとは。言われなきゃ忘れてたくらいなのに。


「そこまで言われるほどのことじゃないですって。ゼーンブ偶然偶然なんですから。それとも、わざと私だけ除け者にしようとしたってわけじゃないんですよね?」

「そりゃあもちろん、そんなことないに決まってるじゃないか」


 つい意地悪っぽく言ってしまった。少し本心から逸れてしまうと分かってるのに。こういうのは余計に拗れちゃうから調子に乗らない方がいいのに。


「ガチのガチで、マジのマジ、私はそんなことで怒りませんから」


 ここまで言い切れば分かってくれるだろうか。


「ホントウにごめん!」


 別に悪くない。けど、どうしてもギクシャクしてしまうものだ。

 人のラインというものは、見えないが故にこうも複雑になっていく。


 私の中のラインでは、誰かと誰かが勝手に遊びに行くことに苛立ちを覚えない。

 部長が後輩たちと遊ぶことに関しても許可が欲しいとは言わないし、思わない。

 逆に、いちいちそういう許諾の権限を握る立場にはなりたくないから。


 その点でいうと、部長のラインは違う。

 自分ではない他人には他人なりの繋がりがあるという考えを根本に持っているからあちらを立てればこちらが立たず、みたいに考えてしまう。


 言ってみれば、私が、後輩たちと仲良くしたい気持ちを持っていると思っている。だから無許可でそういうことをするのは抜け駆けだ、なんて思っているのだろう。


 その反面、部長という人間は直情的に動く子供みたいな人間なのだ。

 思ったときに行動して、考えたときには終わっている、そういう人。

 自分の中にラインがあるけど、気付いたら超えちゃってて後悔するそんなタイプ。


 本当、見た目通り、子供っぽくて、面白い人。だから――嫌いになれない。


 こんなことよりずっとライン超えた行動をとっていることに気付かないんだから。子供が「赤信号は渡っちゃダメ」と理解つつ「少しなら大丈夫」と思うのと一緒。


「せっかく今日は果たし状をくれたわけですし、勝負しましょうよ」

「は、果たし状? そんなものを送ったつもりは――」


 こういうときばかりは、私の方が強気に出るに限る。


「ゲーム本体持ってきたんで、スコア競える奴、選んでくださいよ」

「う、うぅぅむ、それで許してくれるなら、うぅぅむ」


 可愛い。困惑した顔もロリっぽくてキュート。

 本当にいいのかな、って不安に思ってるその顔も写真に収めておきたいくらい。


 勘違いしてもらっちゃ困ることとして、私は人と関わるのが苦手中の苦手だから、そういう面で独占欲はないのだ。

 もちろん、ちょっと慣れた人にグイグイ自分からいってしまう面もある。


 陰キャ特有のムーブといえる。ゆえに私は部長に依存している点も否めない。

 だが、それと同時に部長が楽しんでいる姿を見るのも悪くないと思っている。

 マンガやゲームのヤンデレじゃあるまい、私以外の人と一切関わらないでほしい、みたいな極端な考えを持ってはいない。


 その上で間違いなく言えることは、私自身、部長から離れたくないという気持ちが人一倍強いということだろう。決して矛盾はしていない。ラインが違うだけ。


「それじゃあ、こないだ美紅さんが絶賛してたゲームにしようか」

「本気で言ってます? 私に許してほしくない感じですか?」

「いや、ガチだよ。このくらいでなきゃ許してもらうに値しないだろう」


 実に部長らしい、渋めな回答だ。これもまた子供っぽくて可愛らしい。

 これをジョークじゃなくて真面目に言っているのだと思うとなおさらだ。


「待ったなしですよ。私、これ結構やりこんでいるんですから」

「望むところだ。手加減なしで頼む」


 もうこの時点で私もウキウキしていたし、きっと部長も同じだっただろう。

 ゲームをセッティングして、画面を映し出して――既に私たちは笑顔だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る