8月14日:いつかくる時
ドラマがドラマであるのは悲劇であれ喜劇であれ、物語が都合の良い方へと動き、それが人の琴線に触れるためだ。
平凡で代り映えのしない日常がドラマにならないのは物事が都合よくないから。
大きな出来事が目の前に立ちはだかったとしても、なんだかんだ消えてしまうのがドラマだとするならば、どうにもならないものが、どうにもならないままで残るのが紛れもない現実なのだと。
現実の中に生まれるドラマもあるだろうが、それはたまたま都合がよかっただけ。決して現実そのものがドラマになりかわったわけではない。
この夏を終えたら、私は何になるのだろう。
漠然とした考えが、私の中にある。
この物語がドラマだとするならば、私の憂鬱はどのように解決するのか。
時間が遡ってもう一度この夏が訪れるのなら私はそれで満足なのだろうか。
永遠に終わらない夏を過ごせたならそれはハッピーエンドなのだろうか。
そんなことがあるはずはない。ドラマにしてもチープなストーリーだ。
いつまでも続く変わらない日常なんてあるはずもなく、私自身望んではいない。
それでも、今あるこの日常が終わることには途方もなく空しい感情が沸き上がる。
文芸部とは名ばかりのマンガアニメ同好会の中で積み上げられてきた私の物語は、夏を終えた途端、閉じられる。あとは思い出だけで語られるエピローグのみ。
あんなことがあったね、こんなことがあったね。思い返すことはできたとしても、そのストーリーの中に介入することは二度とない。
わがままを押し通して、卒業まで部室に残り続けるのがドラマだろうか。
じゃあ、本当に卒業したらどうするんだろうか。それでも高校に通い続けるのか。
考えるのもバカバカしくて溜息も漏れてこない。
ガラス窓を隔てて聞こえる蝉時雨を、冷えた部屋の中で鬱陶しく思う。
夏を真横に、無気力ぶっている私の体は何処に動かせばいいのか。
我ながら思う。私の短い人生にはドラマが足りていないのだと。
部室にこもってグダグダするばかりで、青春らしい青春も送れていない気がする。
その上、こんな引きこもりに恋愛など無縁すぎる。笑ってしまうほど薄っぺらい。
マンガの中のキャラクターたちが、彩り豊かなストーリーの中を満喫しているのを羨ましく思ってしまうことは現実逃避という奴になるのだろうか。
陰キャな私はどうして新しい物語を紡ぐことにこんなにも臆病なのだろう。
この夏を終えて、部室を離れて、受験に追われて、卒業して……。
そうしたら今までとは違う、知らない物語が始まるというのに、この感情は何。
不安なことは沢山ある。でも、それよりももっと濃密な感情がこびりついている。
今あるものが変わることが怖いのではない。
今あるものを手放さなきゃならないのが嫌なのだ。
レベルカンストまで廃課金込み込みで育成したソシャゲのデータを削除するよりもよっぽど喪失感のあるこの気持ちは一体何に向けられているのだろう。
いや、考えるまでもないことか。笑ってしまうほど明瞭な答えが見えている。
部長――雪村ゆかり――と離れるのがよほど寂しいらしい。
その一方で、部長はもう既に部活のことを割り切れていることも羨ましいのだ。
やりたいことをやりたいようにやりきって、形のあるものを残して立っていく。
こんなにも理想的なムーブをかまされてしまっては、私もやりきれない。
たかだか高校生活の部活動という狭い範囲内でのことで、こんな感情を抱えるのは心が弱い証拠だろうか。あっさりと部活を切り離せられることに対しても多少なりの憤りもあるのかもしれない。
それとも、部長も心の何処かでは寂しく思うところがあって、隠しているとか。
まあ、私が勝手に思い描いているだけのドラマにすぎない。
ただ言えることは、あの狭っ苦しい部活の中で積み上げてきた部長との思い出は、棚に収まるマンガの数よりも分厚いものだと私自身が認識しているということだ。
しかし、ここにある渦巻いた感情は、部長と離れるのが嫌なだけでは留まらない。
別に、かき集めてきたマンガを手放すのが惜しいんじゃない。
アニメのブルーレイが後輩の手に渡るのが悔しいんじゃない。
あんなにも狭くて窮屈でマンガアニメで埋め尽くされた文芸部の中だけで完結するちっぽけでグダグダな部長との日常が、私の中で大きくなりすぎてしまったことに、ただただ虚しさを覚えるのだ。
もっとドラマチックな物語も、この高校では沢山紡がれてきたはずだ。
私の知らない感動的な物語が、すぐ身近で繰り広げられてきたはずだ。
特に青春も恋愛もない、通り過ぎていくだけの夏に感傷的になれる自分の小ささにそこはかとない薄っぺらさを感じてしまって、いっそ悲しくなっていく。
これが現実。私の現実。私の物語。
夏を終えるタイムリミットは刻一刻と近づいているが、時限爆弾を解体するような逼迫したドラマチックな展開とは違い、この現実では倦怠感だけが私を覆うばかり。
今さら全速力で走り抜けたら何かが変わるなんて思ってはいない。
高校生活で私は何ができたのだろう。
文芸部に入らなければ。部長に誘われなければ。この学校に入学しなければ。
今とは違う、ドラマにあふれた私がいたのだろうか。いたとでもいうのだろうか。
多分、今の私と変わらないか、大して変わらないかくらいに違いない。
窓の外ではセミが鳴いている。きっと来週には違うセミが鳴いている。
窓の外から日差しが差し込む。きっと来週には違う天気になっている。
外は何処までもめまぐるしく変わっていくのに、私は変われないのか。
自己嫌悪がグールグルと堂々巡りしてばかりで、気が滅入る。
ああ、もう、気持ちを切り替えよう。
そう思ったとき、咄嗟に私がとった行動は、転がっていたスマートフォンを拾い、着信履歴から部長の名前を探し出すということだった。
何処までも、何処までも、私は変われていない。
このまま変わり続ける周りに流され続けて、私自身は何になっていくのだろう。
指先が触れ、着信が繋がるまでの僅かな間に、私は小さく咳払いをした。
さも、いつもみたいな自分を演じる前準備かのように。
「もしもし、部長? 午後から何処かに遊びに行きませんか?」
二つ返事なのは最初から確信していた。
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