8月11日:プールと後悔

 照り付ける太陽の下を歩いていられるのも、涼めることが確定しているからこそ、と言えなくもない。思い切って奮発した水着は思いのほか魅力がないのか何なのか、市営プールをブラついていても声を掛けられないのは実に心外である。


「美紅さん、お待たせ。手洗いが混んでて大変だったよ」


 学校指定の競泳用水着を着用して現れたのは我らがロリ部長だ。

 なお、「学校指定」の文言の前には「高校のではない」が付与される。


 この紺一色で凹凸のないスレンダーな魅力を理解できるものがいるとするならば、世間的では良からぬ性癖持ちと認定される可能性が高いだろう。


「それにしても暑い、暑い、暑い。プールが温水になってなきゃいいですけど」

「飛び込みたい気持ちは分かるけど、準備体操は忘れないようにね」


 それ以前に、ここのプールは飛び込み禁止の看板がデカデカと存在を主張してる。仮にあの看板がなかったら魚雷の如く頭から飛び込んでいたのかもしれない。

 素足で触れるプールサイドの水たまりももはや熱湯と化しているのだから。


 昨日とは打って変わってこの陽気。てっきりもう少し客足も引いていると思いきやプールの繁盛っぷりには驚かされるばかりだ。なんでこんな灼熱の下をファミリーで過ごそうとしているのか、その神経の図太さには羨ましさすらある。


「おいっちに、おいっちに、と。こんな感じですかね」

「適度の基準はイマイチ分からないけどね。そのくらいでいいと思うよ」


 人にぶつからないよう気を配りつつ、体をよじって柔軟体操を終える。

 記憶の中のプールの授業ではもう少し丁寧にやっていた記憶はあるのだけれども、何故かオフな日になると途端にやり方を忘れてしまうのはどうしてなのか。


「ひゃんっ! 結構冷たいぞ、美紅さん」


 水面に片足を突っ込んで悲鳴を上げる様は、まさにロリ。

 そんな人の隣にいるだけで姉妹のような気分になってしまう。

 あるいは、既に周囲からはそのように見られている可能性も否めない。


「体が火照ってるから余計に冷たく感じますね」


 さながら熱された鉄の如く、私は肩まで身を水に沈めて冷やす。

 この瞬間のためだけに来たといっても過言ではないだろう。


「美紅さん、お風呂じゃないんだから肩まで浸かる必要はないぞ」

「いいんです。さっきまでずっとサウナ状態だったんですから」


 果たしてそれは言い訳として成り立っていたのか。

 もう考える気力もなく、その全身でひんやりっぷりを堪能した。


「後輩たちも来ればよかったのにな」

「みんな予定びっしりなんですよ。私と違って」

「それを言うと私も暇人みたいじゃないか。私は明日はバイトで忙しいんだ」


 わざわざ言わなくても知ってるし、別に部長を暇人と言ったつもりもないのだが、言い返すほどのことでもないので逃げるようにザブーンと泳いだ。


 学校以外で泳いだのは久しぶりに思う。

 まあ、夏しか泳がないし、一年ぶりなんだから当たり前といえばその通りだけど。だとしてもまさか部長と一緒にプールに来るなんて結構想定外ではある。


 バイト先から無料券もらったとは聞いていたけれど、多分その無料券をくれた人はもっと別な人と一緒に行くのを想定していたんじゃないかな。

 少なくとも私みたいな陰キャとプールに行くなんて思ってなかったのでは。


 でも、部長が一緒にプールに行く相手なんて他に誰を想像できるだろうか。


 うちの高校にはロリコン趣味なんていないみたいだし、部長に言い寄るような虫も悪いけど見たことがない。まあ、やっぱり家族を想定していたに違いない。


「美紅さん、人も多いんだからぶつかったりするなよ」

「一応気を付けてまぁす」


 競泳しているわけでもなし、多分大丈夫だとは思う。

 しかし、正直こういうプールではどのように過ごすのが正しいのか分からない。


 ただ延々と歩いているだけだとそういうダイエットしている人に見られるかもとか余計なことを考えてしまったりするし。

 よくあるビーチボールみたいなのも持ってきていないどころか、部長と二人きりで遊ぶのもかえってつまらないというか、虚しさが強調される気もする。


 本当はもっと大人数でワイワイするものなんじゃないのかな、なんて。


 そのワイワイの内容が今一つ思いつかないのが私が陰キャたる所以。

 部長も私とプールに来て楽しめているのかどうかが不安になるというもの。


 そもそも、部長の背丈だとこのプールは爪先立ちで精いっぱいのはずだ。

 なのに浮き輪すら持ってきていないから立ち泳ぎも一苦労だろうに。


 とはいえ、部長が浮き輪つけてプカプカと浮かんでいたらそれはそれでロリ属性が余計に際立ってしまって、下手したら迷子センター行きになってしまうことだろう。

 と、そんなことを考えていたら言わぬ不安が沸き上がってきた。


「ねえ、部長。ウォータースライダーって興味あります?」

「一人ではあまり行きたくないかもしれないな」


 その絶妙な苦笑いはロリポイントが高い。

 もう連れていくしか選択肢がなくなったな。


 お化け屋敷とかの類は得意だし、ホラーゲームも無表情でこなせる部長だけれどもナチュラルに絶叫系とか苦手で、高所も割とダメなことを私はよく知っている。


「せっかくこのプールに来たんだから一緒に滑りましょうよ」

「じゃ、じゃあデカい浮き輪でもレンタルしてこないとな」


 浮き輪ごときで恐怖が軽減できるものなのだろうか。むしろ、よく滑ってしまって一気にスピード感が増していきそうなものだけど。


「決まりということでいいですね」


 そのときの私の笑みはどれだけのものだったのかは予測もつかない。

 おそらく、部長の視点からしてみれば、相当な意地悪な顔をしていたと思われる。


 部長の手を引き、ウッキウキで浮き輪をレンタルに向かうときの高揚ったらない。


 この少し後に、私はこのプールのウォータースライダーを見くびっていたことを、その身を持って思い知ることになるのだが、後悔はしていない。


 何せ、SSR級に珍しい、部長の大絶叫を間近で聞くことができたのだから。

 今年の夏で、いやこれまで過ごしてきた中で、一番の収穫だったと思う。


 ああ、ただ、動画を回す役がいなかったことについては後悔してるかもしれない。

 そのときの部長の顔は撮っておきたかった。

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