8月10日:憂鬱の空模様

 空は曇り模様で、かといって気温がグンと下がるかといえばそんなことはなくて、代わりとばかりに湿気ムンムンが押し寄せてくる、夏の朝。


 昨日は結局夕方近くまでマンガを読み漁った挙句、部長と無限にゲームぶっ通しで無駄に疲れてしまったように思う。インドアの体力消費量だっただろうか。

 家にもあるゲームでもネット対戦するよりオフでやる方が楽しいのは何故だろう。


 わざわざエアコン修理して、大量のマンガ仕入れて、ゲームも持ってきちゃって、陰キャ天国すぎるな、あの部室。文芸部として大丈夫なのだろうか。

 部費の補充と顧問教師への言い訳の作文は達者なものだから文句は言われないが、夏を超えたら部長も、私も、部を抜けることになっている。


 来年卒業するのだから当然といえば当然なのだけれども。


 次期部長を誰にするつもりでいるのやら。

 その場の勢いでゲームに巻き込んだ後輩に勝負を仕掛けて「勝ったら部長だ」とか言っていたような気がしないでもないけど、まさか本気じゃないことを祈る。


 思い返してみれば、先代部長は今の部長が一年のときに押し付けた形だったっけ。何せ、部員がいなくて、秋ぐらいに私が無理やり入部させられたかと思った矢先に、「よし、これで後は大丈夫だな」というノリでぶん投げられた記憶しかない。


 一年の部員二人でどうしろというのか、途方に暮れていたのは私だけだったようであのロリ部長は好き勝手に部室を正当な理由つけて私物化するに至ったのだ。


 何が大変だったかって、部長交代と同時に立て続けに大改革が起こったことだ。


 それまで文芸部は図書室から小難しい小説を借りてきて、その感想文を書いたり、二次創作を執筆するような堅苦しい部活だった。

 それなのに図書室は新校舎に移動しちゃうし、広かった部室も旧図書室の準備室へ移動することになって、まず本を借りるだけで新旧校舎を往復しなきゃならない。


 部活の度に返却するルールも煩わしくて部長交代から一か月も持たなかったね。

 仕方なく部長と私で持ってる本をかき集めたらマンガ本ばっかりになっちゃって、元部長が卒業する頃にはすっかり本棚もマンガで埋め尽くされてしまったっていう。


 部員集める気なんてなかったのに、廃部になったらマンガも全部破棄だと脅されて渋々部員勧誘し始めた部長の移り変わりようには正直今思い出しても笑える。

 勧誘にマンガ読み放題だけじゃインパクト足らないからってアニメ見放題だなんて大ボラ吹いちゃったせいでテレビやブルーレイプレイヤーを調達することになって。


 あまりに私用すぎる部費の赤字で、アレが一番怒られたっけ。

 おかげで部長もバイト始めるハメになっちゃって。


 まあ、それでメイド喫茶とか、ある意味天職を引いたと言える。

 ロリ顔でロリボイスの合法ロリが働くメイド喫茶なんてあんまりないだろうしね。店に馴染むまで何回くらい補導されたんだっけかな。


 なんだかんだでよく頑張ってると思うよ、あの部長は。

 三年見てきているからこそ私が一番よく分かっている。


 正直、自分が楽しめるためにどうとでもできる人間って羨ましいなとは思う。

 陰キャな私とは大違いだ。あの狭い部室で一緒に過ごしてきた時間は長いけれど、私があの部活でしてきたことってグダグダしてたくらいだし。


 何の気なしに、窓の外に見える灰色の空を見上げてため息をついてしまった。

 気付いたらあの部活も卒業するときがきたんだなって。


 込み上げてくるこの感情はなんだろうね。

 アンニュイなのか、ノスタルジーなのか、メランコリックなのか。

 あるいは、ちょっぴりのジェラリーは含まれているのかもしれない。


 あんな狭っ苦しくてオタク色に染まり切ったような部室でも部長の積み上げてきた思い出が詰まっているということを今さらのように実感してしまった。

 逆言うと最新のマンガだとかアニメに釣られて入部させられてしまった後輩たちに多少なりの申し訳なさもある。アレを引き継がされる身にもなってみろってんだ。


 部長――雪村ゆきむらゆかり――もあの部室を明け渡すことに何か思うところはあるはず。そうでもなければ、もう手放すまで秒読みにまで入っているような状況だというのにマンガを補充したり、ゲームを追加したり、部費を補填することもあるまい。


 立つ鳥跡を濁さずとはよく言ったものだけれども、あれはあれなりに後輩たちへと気兼ねない形で残すつもりだったのかもしれない。まあ、本音は知らないけど。


 確定しているのは、私――桜坂さくらざか美紅――と部長は違う進路に向かっていること。

 部室に引きこもってくだらない雑談と遊戯で潰してきた日々もこれで終わり。

 卒業したらもう二度と交わることがないかもしれないし、あるかもしれない。


 ぼんやりとしていたら、雲はますますどんより模様。

 時刻は昼前だというのに、じめっとした熱気が肌に張り付いてくる。

 思わずリモコンに手が伸び、節電など知るものかと冷房を強くした。


 この肌の上を伝うねばっこいものは、はたしてただの汗なのだろうか。

 焦燥感とは違う何かであることは間違いない。

 カレンダーを一枚めくったら終わってしまうことに対しての、小さな感情の粒だ。


 ムンムン、じめじめ。なんて不快な心地だろう。

 陰キャな私にはぴったりとも言える。


 ふと、昨日途中まで読みかけたマンガが、自分の部屋にもあることを思い出して、立ち上がって本棚に手を伸ばそうとしたそのとき、静寂が割れた。

 ベッドの上のスマートフォンから去年ネットで流行っていた音楽が流れてくる。


 この曲を着信に設定している人物は当然一人しかいない。


 さて私はどれくらいのやれやれ顔をしていたことだろうか。伸びた手はベッドへ。通話ボタンをタップするまで秒にも満たない。


『もしもし、美紅さん? 今日は出るの早いね』

「今度は何さ? 昨日みたいな下手くそなサプライズじゃないよね?」

『それでも来てくれるって信じてるよ。まあ、今日はそうじゃないんだけどね』


 ピンポーンとインターホンが鳴り、私は立ち上がったついでに窓の外を見下ろす。予想通りというべきか、彼女がこちらを見上げていた。


『昨日のさ、きびだんごの材料あまっちゃってたから処分してくれるかな』


 そのニヤケ面に、私はつられてしまっていた。

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