第33話 天才少年がやって来ました

 馬車から降りたその人物が、突然その場で地面に頭を擦り付けたことに、リリアンナ達は一瞬何が起きたのか理解できなかった。


 リリアンナ達が固まっているその前で、彼は顔を伏せたまま、声変わり前の幼さの残る声を、辺り一面に響き渡らせた。


「うちのバカ姉が散々無礼を働き申し訳ございません!」


 頭を下げたまま、大声でそう謝罪したのはアンナの弟、ニコラス・ザボンヌ子爵令息である。 


 そこで漸く再起動を果たしたリリアンナは、ニコラスに対し無詠唱で浮遊魔法を発動し、その身体を宙に浮き上がらせた。


「ニコラス、貴方一体何をやっているの? 取り敢えず、そのまま地面に足を着けなさい。早くしないと逆様にするわよ」

「ああ、それもいいですね。バカ姉のやらかしを謝罪するには、それくらいでちょうどいいかも」

「馬鹿なこと言ってないで、さっさと地面に足を着けなさい」


 思わず取り乱して怒鳴りそうになったが、何とか寸前でそれを堪えたリリアンナは、浮遊魔法を発動したまま、更に無詠唱で洗浄魔法を発動し、ニコラスの服に付いた土を落とし綺麗にする。


 それと同時に着地し体勢を整えたニコラスは、事もなげにそれを成し遂げたリリアンナに対し、目を輝かせ感嘆の声を上げた。


「流石リリアンナ様ですね。無詠唱で複数の魔法を同時発動して完璧に制御、それをさらっと簡単にやり遂げられるんですから」

「相変わらず大袈裟ね。これくらい、ルイスだってできるわよ」

「…流石にリリィほど制御は上手くないんだけど」


 二人の遣り取りを呆然としたまま眺めていたルイスが、疲れ切った声でそう漏らす。


 ルイスにしてみれば、二人の行動はどう考えてもおかしなものだ。


 突然地面に頭を擦り付けて謝罪したニコラスのその行動をやめさせるまでは分かる。


 だがあんな魔法の使い方で強制的にやめさせるのも、それをさらっと受け入れるのもどうなのかと突っ込みたい。


 尤もこの二人にそうしたところで、逆に手痛い返しをされるだけなのが目に見えているので実行はしないが。


「取り敢えず、中に入って。荷物は部屋に運ばせておくから、サロンに行ってお茶にしましょう」

「分かりました」


 ザボンヌ子爵家の馬車が見え、玄関先で出迎えたのはリリアンナとルイスの二人、他はサロンに集まっている。


 何事もなかったかのように平然とした顔で中に入っていく二人に呆れ、ルイスは深い溜息を吐きながらその後に続いた。


 サロンに着くと、腰を落ち着ける前に、ニコラスは改めて謝罪の言葉を口にし、深く頭を下げた。


「うちのバカ姉が、リリアンナ様に数々の無礼を働きご迷惑をお掛けしていると聞き及んでおります。姉に代わり、謹んでお詫び申し上げます」


 だがリリアンナは謝罪は必要ないと、ニコラスに頭を上げるよう伝え、席に座らせた。


「これは、ザボンヌ子爵令嬢の責任であって、それを貴方や子爵夫妻に負わせるつもりはないわ」

「ですが、あんなんでも一応俺の姉ですし、俺にとっては救世主であるリリアンナ様に無礼千万、黙っていられませんよ」

「だから、救世主は大袈裟だっていつも言っているでしょう? 私はただ、貴方の要望に沿った魔法を開発しただけよ」


 頬を膨らませるニコラスに苦笑し、まずは落ち着くようにとお茶を勧める。


 ニコラスは納得していないようだが、リリアンナは本気で大したことをしたつもりはないのだ。


 リリアンナは三年前、ニコラスが要望した治水工事用の魔法を開発し、それ以来彼と関わるようになった。


 他にも治水工事の為の魔法を開発したり改良したりしているが、毎回リリアンナのことを救世主だとか女神だとか大袈裟に騒ぐので、これには困っているところだ。


 アンナとは違い名を呼ぶことを許しているし、お互い気安い仲ではあるが、流石にこれはいい加減やめてほしい。


「今回は、魔法の改良の依頼で来たのでしょう? 貴方も忙しいでしょうし、謝罪の必要の有無で揉めるのは時間が勿体ないわ」

「まあ、そうですけど……」


 リリアンナがニコラスの本来の訪問目的を果たす方が重要だと諭すと、これまで黙って見守っていた父フランツが、血相を変えて話に割り込んできた。


「ちょっと待てニコラス。お前、魔法省の許可は取ったのか?」

「はい、昨日魔法省に手紙は出しました」

「それは、事後承諾だと何度も言っているだろう。先に許可を取ってからリリィに依頼しろと毎回あれほど……!」


 フランツが頭を抱え込み、地を這うような低い声で唸る。


 何故こいつはそんなところで大雑把なのかと、恨めしそうな目でニコラスを凝視した。


 元々は、治水工事用の魔法の開発は、魔法省に依頼したものである。


 だが、ニコラスと魔法省の研究員との打ち合わせに、その日偶々魔法省を訪れ、偶然その場に現れたリリアンナが、横から口を出す形で術式をある程度完成させてしまったのだ。


 既にその時点で色々とやらかしていた為、魔法省の者達はまたかと膝から崩れ落ちた。


 逆にニコラスは、自分の求める魔法があっという間に形になるのを目の当たりにして、これ以上ないほど興奮していた。


 それ以来、ニコラスはリリアンナに直接依頼しようとしたので、その仕事を受ける時だけ、リリアンナは特例として魔法省の臨時職員として扱われるようになったのだ。


 今回もその手続きをする必要があるのだが、毎回リリアンナに依頼した後で連絡してくるので、魔法省はその度に発狂しているのである。


 数日後、ニコラスから手紙が届いた魔法省では、間違いなくそれに恐れ慄くことになるだろう。


 当人達はあまり理解していないが、リリアンナとニコラスのやっていることは、どう考えても常軌を逸していることなのだ。


 天才二人が一緒に何かやらかすと、こんなにも大変なことになるのだなと、フランツは改めて頭を抱え眉間に皺を寄せた。

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