第27話 叫んだ思いと消えぬ熱

「改めまして、山崎海斗です。みなさんとあまり話したことはありませんが、少し俺の話を聞いてください」


 海斗はそこで一礼し、生徒たちの顔を見渡す。

 すぐに視線は外されてしまったが、もう話し声は聞こえてこない。

 ただ周りの人と顔を見合わせて、楽観的な表情で何が始まるんだと興味と不安が半分ずつで海斗を見ていた。


「このたび、俺はこの高校から別の高校へと転校する運びとなりました。その理由といたしましては、この高校で普通の学校生活というものを送ることが困難になったためです」


 ざわ、と体育館に動揺が走る。

 察しのいい者も、あまりそうでない者もすでに気づいたようだ。なにせ、あのウワサは本当に学校中まで広がっているのだから。


「原因については語るまでもないかもしれませんが……俺がテストで不正をした。あるいは教師に賄賂を渡した。そういった一切根拠のない憶測によるウワサが、さも事実であるかのように広められたからです」


 そう。あのウワサに根拠なんて存在しなかった。

 にも関わらず、誰もが信じて疑うことなく、享楽的に広めたのだ。

 海斗に友達がいなかったことも悪い方向に働いたのだろう。

 ずっと否定できずにいたことも影響したのだろう。

 容姿が怖かったのもあるかもしれない。

 だとしても、それは彼らが海斗にやってきたことに対しての免罪符には、決してなり得ない。

 ざわめきが広がる。混乱が広がる。

 ただ海斗を恐れるだけであった彼らの顔には、その先を言わないでくれと訴えて現実逃避をするような表情が見えた。


「ですが──今、この場を借りて断言します」


 だがしかし、決して手を抜くことはない。

 海斗は演台に両手をついて前のめりになり、できる限り力強い声で宣言した。


「俺は、ただの一度たりとも、そんな不正行為をしていません」


 本来ならば受けるはずのない報いを受けてきたのだから。

 謂れのない言葉で罵られて、嘘を広められてきたのだから。

 彼らがそれを認識できるように、海斗は一つ一つの言葉を強調させ、真実を突きつけていく。


「さきほど校長先生が仰っていた通りです。俺はあの日、ただ怪我をしたおばあさんを助けてテストに遅れた。だから、後日テストを受け直すことが許してもらえた。本当に、ただそれだけなんです」


 ぐっと歯を食いしばり、感情的に訴えかける。

 それでもなお溢れそうな感情を堪えて、必死に理性的であろうとした。

 ふと海斗の頭の中に、辛い思いがよぎる。

 ただこの事実を伝えるまでに、何を失ってきたのだろうか。

 時間? 日常? いや、きっとそれだけではない。

 社会で生きていく上で最も必要だとも言える信用。そして名誉まで奪われてきたのだ。


「でも、ウワサの真偽を確かめに来たやつは今まで一人もいなかった。にも関わらず、ウワサは学校中に広がってるそうだな」


 そこで、海斗は深く長く息を吐く。

 敬語を忘れたことに気づいて、理性的でいなければならないと自分に何度も言い聞かせた。

 それでも消えない激情に、生徒たち全員を鋭く睨みつける。

 でも、彼らの瞳は何も理解しようとしないまま。

 ただ怯え、理解を拒み、自分が加害者であることを知ろうともしていない。


 ──嗚呼、まったく……


「なあ……ふざけてんのか⁉︎」


 ドン、と演台に力強く拳を叩きつけた。

 上がる悲鳴を気遣う余裕もなく、海斗はとうとう堪え切れなくなった激情を叫ぶ。


「俺とまともに話したこともないようなやつが! 俺のことを面白がって、悪いウワサを広めて! 他人にどんな傷を与えてるかの自覚もなく! それでよくもまあ、毎日飽きもせず、俺をバカにできたもんだよ!」


 ただ、ただ、怒りが収まらない。

 自分はこんなに怒っていたのだと、今更ながらに自覚した。

 怒りの熱は冷めることなく燃え盛り、言葉も止まらず。


「あんたら全員、何考えてんだ⁉︎ なあ、俺にはちっとも理解できねえよ! なんで他人を見るために、知るために、他人の言葉を聞いてんだ⁉︎ なんで他人の見えるところで、聞こえるところで! 見えないところで、聞こえないところで! 指を差して、息を潜めて、嗤えるんだ⁉︎」


 堰を切ったように、なおも言葉がこぼれてくる。

 でも、その終わりは唐突で。

 海斗の目から大粒の涙が溢れてきて、何も言えなくなった。


「──理解、したくもねえよ」


 それでも口にした言葉。

 それは酷い涙声で、彼らに聞こえたかどうかも分からない。

 でも、どうか聞こえていて欲しい。この思いが、悔しさが、ほんの少しでも伝わって欲しい。届いて欲しい。

 山崎海斗は、ずうっとそう願ってきたのだ。


「……あんたらはきっと、そのうち俺にしたことを忘れていく。あんたらはそういうやつらだ。俺はそれを、痛いほど知ってるよ」


 いつの間にか、生徒たちは俯いている。

 さぞ、海斗の言葉を否定したいことだろう。でも、きっと彼らはできないだろう。そういうどうしようもなく、ちっぽけなやつらなのだろうから。

 今、彼らが抱える気持ちはなんなのか。

 後悔か、それとも呆れか。

 罪悪感か、あるいは不快感か。

 もう、海斗はそんなものはどうでもよかった。

 彼らへの期待など、もうとっくに擦り切れてしまっているのだ。

 それでも、海斗は言葉を続ける。


「……だからこそ、どんな仕返しをしたらあんたらが苦しむのか、ずっと考えてた。そんで考え続けて、やっと分かったんだよ」


 ──いいか、よく聞け。


「俺は、あんたらがしたことを、一生忘れない」


 ハッと誰かが息を呑むような声がした。

 燃え盛る熱がある。

 決して冷えることなく、心の内で燃え続けている熱がある。

 ようやく下がり始めてはいるけれど、それでも消えることのない熱がそこにある。


「ウワサを広めたやつらを。それを聞いて、面白がってたやつらを。真実を知ろうともしなかったやつらを」


 幾人かが肩を震わせ、海斗を見た。

 図星を突かれたような気まずげな顔と目が合う。そこには、いつも通りの怯えた目がある。

 でも、その怯えはどこか別のものに形を変えていた。

 それでも、海斗は言葉を続ける。


「俺から真実を聞いた上でバカにしてきたやつを。恩を受けておいて忘れたフリをしたやつを。新たなウワサとして、嘘を広めた恥知らずを。数十年、みっともなく恨んでやるよ」


「──それが、俺の仕返しだ」


「ただし、俺から話を広めることはない。あんたらのようになりたくはないからな。それと、許す気もないから謝罪もするな」


 そこまで言い切ってから、海斗は目を瞑りながら深く長く息を吐いた。

 ゆっくりと目を開けて、ようやく少し口調を落ち着けて言う。


「……さて、言いたかったのは以上だ。安心しろ、もうきっと会うこともない」


 これから先、どうか彼らが罪悪感と恥を抱えて生きていきますように。

 そう思いながらも声には出すことなく、海斗は一段ずつ舞台を降りていく。静まり返った体育館に足音を鳴らして、そのまま体育館の外に向かった。


 ……これで、やっと終わりだ。


 今にも倒れ込みそうな疲れと、達成感と、どこか虚しい感情が同居している。

 蒸し暑い体育館には、再び扇風機の音が響いていた。






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