第25話 七夕の願い事
「……海斗くん? 何かあったの?」
しばらくして急ぎ足で戻ってきたクルミは、海斗の顔をひと目見て、第一声でそう言った。
「あー……いや、なんでもない」
だが、海斗は少し迷った末に頬をかいて誤魔化すことした。
クルミに迷惑を掛けたくなかったのだ。
だが、そんな滑稽な思惑などクルミにはお見通しだったようで、怒る気力もない海斗に代わり、眉を吊り上げて怒りを露わにする。
「そんなわけないでしょ! そんな酷い顔しといて!」
「……分かるか?」
苦笑して問いかけると、クルミは苦笑を浮かべながらコクリと頷いた。
「……うん」
あまり心配は掛けたくなかったが、やっぱりクルミにはバレてしまうらしい。
「……ねえ。もしかして、高校の人たちに会った?」
「……ああ。よく分かったな?」
そういえば、クルミが戻ってきた方向とあの女子三人が向かった方向は同じだ。今その言葉が出るということは……。
「実はね。戻ってくる時、海斗くんの悪口言ってる人たちがいたの。だから急いで戻ってきたんだけど……ごめんね。ちょっと遅かったみたい」
「いや。クルミはなんにも悪くないよ」
だから、悪いのはあの女子三人だ。あの卑怯者たちだ。
……だが、本当に自分は悪くないのだろうか。
なんだか分からなくなってしまう。自分に悪いところがあったような気さえしてくる。まるで洗脳されているみたいに。
「……海斗くんも、悪くないでしょう?」
「…………」
そんな海斗の心情を見透かしたように、クルミは悲しそうに眉を落とす。
そのひと言は、今の海斗が最も欲していたものだった。だから、思わず言葉を詰まらせてしまう。
「……ねえ。何があったか、あたしが聞いてもいい?」
クルミは優しい言葉で、柔らかな声で海斗を気遣ってくれた。
ふっと笑みをこぼし、海斗はゆっくりと頷く。
「……そうだな。クルミになら、言ってもいいか」
自然とそう思えてきて、辿々しく話し始めた。
自分の通う高校のクラスメイトにあったこと。
そのクラスメイトが友達の嫌がることをしていて、注意したこと。
そして、それを言ったことでどうなったのか。
ただ淡々と、そのことを話す。
そんな海斗の言葉を、クルミは何度も相槌を打ちながら聞いていてくれた。
「……そっか。それは……辛かったね」
「いや、もう慣れたよ。ただ最近はずっと楽しかったから、忘れてたんだ」
そう。あんなものはいつも通りの日常に過ぎない。でも、クルミと出会ってからがあまりにも充実していて、忘れそうになっていた。
だから、あれは特別なことじゃない。当たり前なのだ。
そう自分に言い聞かせるように呟く海斗に、クルミも少しだけ微笑む。
「あたしもそう言ってくれるのは嬉しいよ。……でもね、そういうのって慣れるものじゃないと思う。キミだって分かってるはずだよ」
真剣なクルミの言葉に、海斗は口をつぐんだ。
少し考えてから潔く弁明を諦めると、首を縦に振って同意する。
「……そうかもな。でも、もう少しで……」
「……終業式、だよね」
クルミが言葉を続けて、海斗も力強い目を向けて頷きを返した。
「ああ。俺の言いたいことは、そこでちゃんと言うから。だから、大丈夫だ」
とはいえ、正直海斗にも弱気になっている部分はある。
だって、海斗はごく普通の人間だ。
あの高校の生徒たちは知らないようだが、あれだけ心ない言葉をぶつけられて、弱気にならないわけがない。辛くならないわけがない。傷つかないわけがない。
それでも、海斗は大丈夫だと断言できた。
真っ直ぐにクルミを見つめて、優しいクルミが心配しないように笑いかけて伝える。
「あんまり心配しなくても、今の俺はもう一人じゃないんだ。……だろ?」
だから、そんなに不安そうな顔をしないで欲しい。
そう願って言うと、クルミも安心したような顔をして、あからさまなほどに恩着せがましく胸を張った。
「うん、分かった。じゃあ、今はそれで納得してあげるね?」
「はいはい。そりゃどうも」
そんなクルミに海斗も澄ました顔で返事しながら、ズルいやつだと苦笑した。
クルミがこんな態度を取っているのは、きっと海斗にお礼なんて言わせないために違いない。
だからその意を汲んで、海斗も呆れたような態度を取った。
「……さて。もういい時間だし、そろそろ帰るか?」
「えーっ、もう? あ、じゃあ、ここで買い物済ませちゃおうよ! あたし、このあと買い物行くの面倒臭いし!」
その気持ちは海斗にもよく分かるのだが……。
「それ、明らかにデートでやることじゃないよな? まあ、クルミがよければ俺も楽できるし、別にいいけどさ」
「でしょでしょー? ちなみに海斗くん。あたしの今日の晩ご飯はなんだと思う? ヒントはねー……」
「あ、またカレーか? いや、さすがに違うか」
海斗が適当に言ってみると、クルミの表情が固まっている。……どうやら当たりだったらしい。
すぐに当てられて不満だったのか、クルミがむーっとした顔で抗議してきた。
「もー! まだヒントも言ってないのに!」
「あ、すまん。まさか当たると思わなくてさ」
そんな雑談を交わしながら一階の食料品売り場に向かう海斗とクルミ。
しかしその道中、三階まで吹き抜けのホールで足を止める。どうやら何かのイベントがやっているようだ。
「ん、何……って、そっか。今日って七夕だったね」
クルミが思い出したように呟き、親子連れが集まるイベントブースをじっと見つめた。
どうやって運んだのか分からないが、目の前には大きな笹の木が立ち、幾つもの短冊や飾りが取りつけられているのだ。
「こんなイベントもやってるんだな。……そっか。七夕か」
海斗は実家のことを思い出して、懐かしさに目を細めた。
小さい頃は毎年祖父が山から笹を切ってきて、それで毎年のように七夕祭りをやってくれたものだ。この前は流しそうめんの台を作っていたようだし、今年もやるのかもしれない。
あとで電話してみよう、なんて思っていると、クルミが微笑みを浮かべて海斗の顔を覗き込んでいることに気づいた。
「何かお願い事、書いてみる? ちょうどピッタリのがあるし」
「んー……ま、そうだな。せっかくだし書いとくか」
海斗はイベントブースから親子連れがいなくなるのを待ってから、クルミと一緒に歩み寄って短冊の紙とペンを持つ。
クルミが文字を書く横で海斗もペンを動かして、『陰口への仕返しができますように』と書き入れるとペンを置いた。
「よし、これでいいか。クルミはなんて書くんだ?」
「まだヒミツー! ちょっと待ってね、もうすぐ書けるから」
「りょーかい。ゆっくりでいいからな」
そう言いながらも海斗はチラリとクルミの短冊を覗き見る。
すると思った通り、そこには海斗のことだけが書かれていた。
「クルミ、自分のお願い事はいいのか?」
「ん? もう書いてあるよー? あたし、裏表で一つずつ書いたもん」
「へー」
どうやらヒミツとは言っても、本気で言っているわけではなかったらしい。まあ、大勢の人が見る場所に飾るわけだし、それも当然なのだろうが。
裏側はなんて書いたのかと海斗が気になっていると、クルミは勢いよく顔を上げて叫びを上げた。
「よしっ、書けたー! 海斗くん、結びに行こっ!」
「はいよ」
二人で大きな笹の木に歩み寄って、海斗はできる限り高いところに短冊を結ぶ。それからクルミが自分の短冊を差し出してきた。
「あ、あたしのもお願ーい」
「いいけど、もう一個のお願い事見えちゃうぞ?」
受け取りながら言うと、クルミは気にせず笑う。
「全然いいよー!」
「あ、いいんだ……じゃあ、遠慮なく」
海斗はクルミから受け取った短冊をひっくり返して、裏面のお願い事を覗き見た。
すると、そこにはただひと言。
『探し人と出会えました』と丁寧な字で書かれている。
「ん? クルミ、これって……」
「そっ。ただの報告だよ。だから二つ書いたの」
「ふーん……」
一瞬自分のことかと思ったが、海斗がクルミと出会ったのはあの日が初めてのことだ。だから海斗ではない。だとすると……
「これ、誰のことなんだ? 『探し人』って」
「んー、そーだねー……」
クルミは少し考え込むように腕を組んでから、悪戯っぽく笑いながら海斗をじいっと見つめてきた。
「海斗くんは、誰だと思う?」
「ええ……俺に言われてもな。むしろ正解できたら怖いだろ。あ、じゃあ、小さい頃に引っ越した友達、とか?」
「うーん……すっごい微妙! 近くもないけど、遠くもないって感じかな」
「へー、なるほど」
「あれ? もしかして分かったの?」
「いや、全然分からん。……ま、ちゃんと会えたんならよかったな」
「うんっ! ありがと!」
海斗が笑いかけると、クルミは満面の笑みを浮かべていた。
それから食料品売り場に向かったのだが、その途中でクルミはハッとして、なぜか自分のバッグの中身を探し始める。
「あ、そうだ。海斗くんに渡すものがあったの忘れてたよ」
「渡すもの?」
「そうだよー。海斗くんって、夏休み明けから電車通学でしょ? さすがに定期券は難しいけど、こういう定期入れならあげてもいいかなと思って」
そう言って、クルミは透明なカバーのついた茶色のカード入れを手渡してくれた。
たしかに今までは歩きだったからなと思いながら、海斗はカード入れを受け取ってお礼を言う。
「おお……わざわざありがとな。あ、でも、俺お返しになるもん買ってないけど……」
「いいの! これ、あたしからの転校祝いだし!」
クルミの口調は海斗を突き離すようなものだが、そんな彼女の頬や耳は赤く染まっていた。どうやら今更恥ずかしくなってきたらしい。
思わず海斗も恥ずかしくなってしまう。
「……じゃ、じゃあ、大事に使わせてもらうな」
「……うん」
海斗が言うと、クルミもしおらしい態度であごを引いて頷いた。
それをお互いに揶揄わずに歩きながら、海斗はチラリと隣を見た。
口元に小さく弧を描き、クルミはなんだか鼻歌でも歌いそうなほどご機嫌そうだ。その表情を見ていると、海斗も笑いたくなってくる。
そんなクルミと一緒にいるから、今日が終わるのが惜しくなるのだろう。
明日が来るのが待ち遠しくなるのだろう。
そう思いながら、海斗は噛み締めるようにクルミの隣を歩いていた。
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