第22話 転校の試験

「そこまで! 試験用紙を回収します」


 翌週の平日。

 海斗と試験官の教師だけがいる空き教室にタイマーの音と教師の声が響いて、どっと息を吐きながらペンを置いた。


「では、試験は以上になります。今週中には結果が出ますので、それまでお待ちください」

「はい。ありがとうございました」


 そう言ってお辞儀すると、試験監督の役目が終わった男性教師は自分の荷物を整理してからチラリと顔を上げて海斗を見る。


「……ああ、もしお弁当持ってきてたら、食堂で食べてもいいよ。持ってる?」

「あ、はい。じゃあ、そうします」


 海斗が頷くと、男性教師は食堂まで案内してくれた。

 そこに置かれたテーブルに弁当を広げて食べ始める海斗だったが、しばらくして食堂にもチャイムが鳴り響く。

 やがて続々と生徒たちがやってきて、見慣れない海斗の制服を好奇心に満ちた瞳で見つめてきた。

 睨まれるのは今の高校で慣れているのだが、ここまで純粋に興味を持たれると戸惑ってしまう。

 クルミがいればマシなのだろうが、まだ教室にいるのか来ていないようだ。

 こうなれば早く食べて帰るしかないと思い、海斗は弁当を食べる速度を上げた。と、そこに女子の集団が近づいてきて、ふと箸を止める。


「それでね、今日──あっ、海斗くーん! もうテストは終わったの?」


 顔を上げると、クルミが無邪気に手を振っていた。

 すっかり聞き慣れた声と見慣れた姿に、海斗はホッと安堵の息をつく。


「ああ。だから、これ食べたら帰る予定だよ」

「えーっ、いいなー! あたしも帰りたーい!」


 クラスメイトらしき女友達を引き連れてきたクルミは、海斗の座るテーブルまで歩いてくると羨ましそうに駄々をこねた。


「でも、まだ授業あるんだろ?」


 呆れながら確認すると、クルミは不満そうに唇を尖らせる。


「あるよー。あるけど、たぶん寝ちゃうもん」

「あー、たしかに」


 クルミと談笑していると、その隣にいた女子の一人が不思議そうに問いかけてきた。


「え、何々? 二人って知り合いなの?」

「ああ、知り合いっていうか……」


 付き合っているフリをする仲、と言うのも変だ。

 この関係性をなんと表したらいいのか、と言い淀んでクルミをチラ見すると、クルミも少し悩んでから答える。


「……お向かいさん、かなぁ」

「あ、それだ」

「にしては距離感近くない? クルミちゃん、たしかこっちに来たのは高校からでしょ?」

「うんっ! あ、あと海斗くんもだよ!」


 クルミが楽しげに言葉を付け足し、へー、と女子たちは興味なさげに声を揃えた。

 ところが、次の瞬間には目を輝かせながら問いかけてくる。


「で、二人の関係は⁉︎」

「出会いはいつ⁉︎」

「もしかして、付き合ってるの⁉︎」


 と、きゃあきゃあと歓声を上げて話を発展させていく女子たち。

 とはいえ、多少複雑になってはいるが、海斗とクルミの関係は彼女たちの想像しているようならものではない。どう説明したら……と悩んだのも一瞬。

 いっそのこと、と海斗は開き直って答えを返す。


「いや、距離感に関してはクルミだから、としか言えないんだけど……」

「あ、把握。めっちゃ納得したわ」


 うんうん、と女子はしきりに頷く。

 どうやら彼女たちもそれなりに振り回されているらしい。

 だが、それで納得できないのがクルミである。


「えーっ、なんでよ! あたしだからって説明になってないじゃん!」

「なってるなってる。バッチリだよ、キミ。まあ、名前知らないけど」


 むーっと頬を膨らませるクルミとは違い、ギャルっぽい雰囲気の女子がニヤけながら海斗にウインクして言う。


「あ、山崎海斗です。よろしく」

「よろー! 私、藤原香織ね! 実家は名家のおじょーさまってやつらしいよ!」

「あ、これ香織の自称だから! 気にしなくていいよ!」


 と、その隣にいた見知らぬ女子がグッと親指を立てて笑う。


「自称じゃないっての! あ、海斗くん、こっちの子はね──」


 こうして、誰もいなかった静かな食堂が一転。

 ぎゃあぎゃあと賑やかな声があふれて、女子たちが友達同士で戯れている。

 それを気にせず、クルミは海斗の手の甲を指でつついて、弁当箱の中を覗き込んできた。


「お弁当の中身なぁにー? って、ほとんど食べちゃってるじゃん」

「なんだよ、欲しかったのか? 卵焼きなら残ってるけど」

「あ、ちょーだい!」


 子供かよ、と思いながら海斗が箸を渡そうとすると、クルミは何を思ったか目を瞑って大きく口を開けてくる。


「……おいこら」


 なぜクルミはこんなに小っ恥ずかしいことができるのか。

 そう問う気もなく呆れていると、いつの間にかクルミの周りにいた女子たちも会話をやめていた。わずかに顔を赤らめながら、他の男子たちと同じくニヤニヤと揶揄うような表情で海斗とクルミを見つめてくる。


「……ったく。クルミ、箸ぐらい貸すから自分で食おうな?」

「えーっ、別にいいじゃん」


 ぶーぶー、とブーイングしてくるクルミ。

 しかし、さすがのクルミもあまりの視線の多さに動きを止めた。

 そのまま二人で固まって一時停止していると、香織が何かを理解した様子で呟く。


「……なるほど。今度は間接キスがしたい、と」

「ちげぇよ! つか、俺にどうしろと⁉︎」

「そりゃあもちろん、ここで愛を誓う熱烈なキッスをね……」

「んなもん、誰がやるか!」


 叫びながら、海斗はクルミが正気を取り戻すことを祈っていたのだが……。

 どうやらこの状況に慣れてきて、とうとう開き直ってしまったらしい。


「海斗くーん、早く卵焼きちょうだーい」

「乗るな、バカ!」


 ついには食堂内全体で『おおーっ⁉︎』と期待の声がやかましく響いた。

 どうしてクルミに似てるやつがこの学校には多いのか。このままだと意地でも『あーん』をやらさせるのでは、と察した海斗は逃げ道を探す。

 そして、ふと弁当箱を見下ろしてみると、ほとんど食べ終えた弁当箱の中に一本の爪楊枝を発見した。


「お、爪楊枝あったわ。クルミ、欲しけりゃこれで食ってくれ」

「えーっ……」

「じゃなきゃ卵焼きはなしだからな?」


 そのままクルミが拗ねていたが、それもほんの数秒のこと。

 さすがと言うべきか。クルミの心の葛藤は悪戯心よりも食欲が勝ったようで、渋々といった様子で爪楊枝を受け取る。


「む、はーい……。あ、美味しい」


 残念そうに卵焼きを口に運ぶクルミだったが、ひと口食べただけで、満足げに表情を緩ませた。

 しかし、それで納得しないのが外野の生徒たちである。不満そうに席を立ち、ブーイングを飛ばしてくる。


「意気地なしー!」

「ヘタレー!」

「それでも男かー!」


 まあ、実際に騒いでいるのは大抵が男子のようなので、ただのノリだろう。

 ただムカつくのもたしかだ。

 海斗は口角を上げながら、数メートルは離れた位置に座る男子たちを睨みつけた。


「うっせー! そんな遠くで吠えるな、野次馬が! 大体、お前ら誰だよ!」


 まだ名前も聞いてないだろうによく絡んでくるなとも思いながら叫ぶと、少しも海斗の強面にビビらず元気な声が返ってきた。


「一年の斉藤だー! 文句あるかー!」

「一個下じゃねえか、バカ野郎! よく言えたな⁉︎」


 海斗は思わずツッコミを入れる。

 どっと食堂に笑いが溢れて、女子たちも腹を抱えて爆笑していた。

 と。そこで海斗は制服の袖を軽く引っ張られて、その元凶であるクルミを見る。


「海斗くん、お弁当空っぽになったよー」

「へっ?」


 一瞬頭の中が真っ白になって、弁当箱を覗いた。

 すると、そこにあったはずの残り少ないおかずが見当たらない。

 ふと目の前を見ると、クルミはまだ美味しそうに口の中をもぐもぐと動かしている。


「おま、お前……なんで俺の唐揚げまで食ってんだよ!」


 海斗は驚愕し、思わず叫ぶ。

 その声に沈黙が広がったのも一瞬。次の瞬間、再び食堂は笑い声に包まれた。

 しかし、当の犯人であるクルミはきょとんと小首を傾げて言う。


「だって残ってたもん。ダメだよ、ちゃんと食べないと」

「まだ食いかけだったんだよ! しかもよりによって、最後の楽しみに取っといた大物を容赦なく……この、食いしん坊が!」

「あーっ! また食いしん坊って言ったー!」

「クルミにゃ、これ以上ないほどピッタリだろうが! そもそも普通のやつは食う前に確認取るんだよ! 食欲に支配されすぎだ、このアホ!」

「うぐぐ……」


 とうとう言い訳もできなくなったのか、クルミは悔しそうに唸り出した。

 海斗は額に手を当てて、深いため息をつく。


「あーあ、俺の唐揚げ……」

「うっ……ご、ごめんって! 悪気はなかったの!」


 クルミは申し訳なさそうに両手を合わせ、眉を歪めた。

 すると、それを目にした香織がおどけたように。


「あーあ、クルミちゃん泣かせちゃってー」

「ちょっ! あたし泣いてないよ⁉︎」


 というか、海斗は唐揚げを盗られた被害者のはずなのだが……。

 よく考えるとこれまでと似たような展開だ。

 ただ、これはあくまで揶揄われているだけである。それが分かり切っているため、海斗からしても不快感はない。

 ……それにしても、クルミたちは昼食を取らなくてもいいのだろうか。

 海斗がそう思っていると、ちょうど女子の一人が思い出して慌てた様子で声を上げた。


「あっ! ねえ、みんな! 昼休み、あと二十分しかないよ⁉︎」

「えっ、ホントだ! 早くご飯食べなきゃ!」


 クルミも焦った声で叫び、女子たちは急いでそれぞれの昼食を取りに向かう。

 そうして学食を食べるクルミとその女友達と一緒にしばらく談笑していたが、やがてチャイムが鳴る音を聞くと、慌てて教室へと戻っていった。






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