第20話 お向かいさんと勉強会
昼食を食べ終えた日曜日。
海斗の家にやかましい掃除機の音が響く。
もうすぐ始まるクルミとの勉強会のため、その準備をしていたのだが、どうやら澪は亜紀の手伝いをするらしく、断りの連絡が届いた。
クルミは残念そうにしていたが、海斗としては女子二人に囲まれて勉強をするというのもよく考えると落ち着かないので、正直ホッとしている。
そうこうするうちに掃除が終わり、掃除機を片付けようと思った直後。
インターホンが鳴って、その手を止めた。
廊下の置時計を見ると予定時刻にはまだ十五分も早いが、クルミのことだ。家で待っているのが我慢できなくなったのだろう。
海斗はひとまず掃除機のコンセントを抜き、玄関に向かった。
「やっほー、海斗くん! ごめんね、待ちきれなくて来ちゃった!」
扉を開けると、クルミが眩しい笑顔で声を弾ませた。
やっぱりかと呆れながら、なぜだか二日前のクルミとのやり取りが頭の片隅をよぎり、海斗は反射的に目を逸らした。
「ん、どうかした?」
怪訝そうなクルミに「いや、なんでもない」とだけ返し、気持ちを落ち着けながら言葉を続ける。
「にしても、思ったより早かったな、クルミ。まあ、ちょうど掃除も終わったとこだし、そっちで待っててくれ」
「はーい。お邪魔しまーす」
クルミは外行きのブーツを脱ぐと鼻歌交じりに部屋に向かい、その途中で振り返ってきた。
「海斗くん、なんか手伝うことあったら言ってね? あたし手伝うから」
「ああ、ホントに終わってるから大丈夫。……それより悪いな、わざわざバイト休ませちゃって」
「ううん、全然。……というか、そもそもあたしの伝え忘れが原因だし」
と、気まずそうに言うクルミ。
「まあでも、あたしが教えるような状況にはならないと思うけどね」
「いやいや、頼りにしてるよ。よろしく」
「はーい」
そうして部屋に入ろうとするクルミだったが、ふと海斗はその後ろ姿に声を掛けた。
「あ、クルミ。お菓子はキッチン台に置いてあるから、テーブルのがなくなったら自分で持ってってくれ」
「りょーかい! じゃあ、他にどんなのがあるか、今から見てくるね!」
「いいけど、ここにあるもんと変わらないぞ? ……って、もう行っちゃったし」
言うが早いか、クルミは海斗の返事を聞くことなく部屋に入っていく。相変わらずクルミには遠慮の二文字がないらしい。
海斗は呆れ笑いをしながら掃除機を片付けて、自分の寝室から問題集を持ち出した。クルミの待つ部屋に入ると、なぜかクルミは冷蔵庫の前でぼうっと突っ立っている。
「クルミー? 何やってんだ、そんなとこで」
「あっ、ううん! なんでもなーい」
「……まあ、それならいいけど」
ダイニングテーブルに座ろうとするクルミを見送ってから、海斗は用意していたコップにお茶を入れて席に着いた。
海斗が忘れていた冷房をつけると、早速二人だけの勉強会が始まった……のだが。
「……クルミ、そんなに腹減ってたのか?」
「うぐっ……」
問いかけに声を詰まらせるクルミ。
ほぼ一人でお菓子を平らげた様子を見るに、どうやら図星らしい。
「もしかして、昼食食べてないのか? ……いや、前もこんな感じだったな。じゃ、単に食いしん坊ってだけか」
「く、食いしん坊……⁉︎」
ショックを受けた様子で目を見開くクルミに対し、海斗は腹を抱えて笑ってしまった。
「まあ、たしかにあの黒猫も凄い食い意地だったもんな」
「それは関係ないから!」
クルミは少し頬を赤らめて睨んでくる。
それから気を取り直すように息をつき、不思議そうに問いかけてきた。
「ところで海斗くん。さっき見ちゃったんだけど、冷蔵庫のホワイトボードになんか書いてあったよね?」
「ん? 俺、なんか書いたっけ」
「ほら、『将来』ってひと言だけ……あれってなんなの?」
「あ、それか。思い出した」
クルミが五個目のチョコレート菓子を袋から開けて、海斗もチョコレート菓子に手を伸ばしながら答える。
「でも、別に大したことじゃないぞ? ただ色々あって余裕ができたから、気まぐれに考えてただけだから」
「ふーん……」
「ま、小一時間考えて、結局なんにも浮かばなかったけどな」
そう言って肩をすくめると、クルミはテーブルに肘をついて微笑んだ。
「やっぱり海斗くんって、意外と考えてるよねえ。……まあ、たまに考えすぎて空回ってそうな気もするけど」
「あー……まあな。でも、こんなの考え出したのはホント最近のことだよ。それまでそんな余裕、全然なかったし」
そう。つい数週間前までは、学校のことや目の前の問題のことしか考えられなかったのだ。
自分の気持ちが後ろ向きだったことも大きいのだろう。今となっては、これから先のことを前向きに考えられている。
まだ何もかもが見えているわけではないが、少なくとも前は見えるようになった。
だから、海斗は──
「まあ、だからさ。俺、クルミに感謝してんだよ」
もちろん、クルミの他にも感謝している人がいないわけではない。でも、一番伝えたいと思うのはクルミなのだ。
思い切ってお礼の言葉を口にした海斗に、クルミはニヤニヤと揶揄うように笑った。
「あ、海斗くんがデレた」
「……お前な、ここは茶化すとこじゃねえだろ」
そう呆れながらも、本気にされすぎても恥ずかしいため、クルミが茶化したことで自分の言葉が流されたことを海斗はひそかに感謝していた。
とはいえ、それを直接本人に伝える気はまったくないが。
「い、いやぁ。つい無意識に言っちゃって……」
てへへ、と照れた様子で頭をかくクルミを見て、改めてそう思った。
海斗は深くため息をつき、苦笑を浮かべる。
「……ま、いいや。そろそろおやつの追加でもするか」
「わーい!」
そう無邪気に喜ぶクルミだが、海斗は立ち上がりながらクルミが食べすぎないように容赦なく告げた。
「あ、クルミは食べるの一旦休憩な」
「えーっ! あたしも食べたいのに!」
「クルミはたった今、散々食ってたろ! 太っても知らねえぞ?」
そう言うと、クルミはむっと眉を吊り上げた。
「あー! 女の子に言っちゃいけないこと言ってるー!」
「女の子扱いされたきゃ、自分一人でお菓子食うなよ……。俺なんか、まだチョコ一個しか食ってないんだからな?」
「むむ……」
図星を突かれて何も言えなくなったのか、クルミは悔しそうに唸り声を上げる。
さすがに少し可哀想になって、海斗は妥協案を出すことにした。
「……ったく。じゃ、お菓子入れるの手伝ってくれたら食べていいぞ。俺、その間に飲み物入れ直しとくから」
「はーい! じゃあ、そしたら勉強再開だね!」
「ああ。そうだな」
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