第19話 偽物の恋人とおばあさん

「あれま、そこにいるのは海斗くんとクルミちゃんかね?」


 突然名前を呼ばれて顔を上げると、そこには重そうな買い物の手提げバッグを持ったおばあさんが立っていた。

 そこから覗く食材を見るに、どうやら買い物に行った帰り道のようだ。

 クルミは嬉しそうにベンチから腰を上げて、おばあさんに駆け寄っていく。


「あっ、おばあちゃんだ! 昨日ぶり! この辺に住んでるの?」

「ああ、そうだよ。今、買い物の帰りでね」


 おばあさんはそう言うと、申し訳なさそうに海斗とクルミを見て眉を歪めた。


「それにしても、ごめんねえ。らぶらぶデートの邪魔しちゃって」

「ううん。気にしないで! ね、海斗くん!」


 クルミに笑いかけられて、海斗は頷きを返しながらベンチから立ち上がる。


「ああ。ちょうど飲み物もなくなったし、いいタイミングだったよ」

「そうかい? ならよかったよ」


 ホッと息をつくおばあさん。

 海斗がクルミと目を合わせて笑い合っていると、ふいにクルミはベンチの方に振り返って「あっ」と声をこぼした。


「おばあちゃん、ここのベンチ座っていいよー?」

「ん? ああ、ありがとうね」


 おばあさんは嬉しそうに目尻にシワを作り、よっこいしょと手提げバッグを置いてから腰を下ろす。

 それから目の前を顔を逸らして通り過ぎていく生徒たちを見やり、悪戯っぽく笑いながら問いかけてきた。


「それで? どうだい、調子は」

「クルミのお陰で順調ですよ。みんな、ここまで来ると会話が止まるんです」


 こそっと海斗が小声で言うと、おばあさんはご機嫌そうに笑い出す。


「あっはっはっ! そりゃいいね! 最高じゃないかい!」

「でっしょー? あたしも見てて笑っちゃったもん!」


 そんなおばあさんにピースサインをして、クルミも得意げな笑顔を見せた。

 この二人、気が合うなぁ……と思いつつ、海斗はチラリとおばあさんの手提げバッグに視線を向ける。


「……ところで、荷物重そうですけど大丈夫ですか? よかったら手伝いますよ」

「もうこっちはいいのかい?」


 おばあさんはどこか意味深にクルミを見た。


「うんっ! もう散々揶揄えたし、みんな狼狽えてるのも見れたもん!」

「そうかい。あたしゃ、それ見んじゃったねえ」


 明るい声で腹黒いことを言うクルミの言葉に、おばあさんは酷く残念そうに悔しがった。相当悔しかったのか、その表情はしかめっ面だ。

 あはは……と海斗が苦笑を浮かべていると、おばあさんは膝に手を置いてゆっくりとベンチから立ち上がる。

 よっと掛け声を言って手提げバッグを肩に掛ける姿を見て、海斗は思わず声を掛けた。


「あの、もう少し休んでいかれてはどうです?」

「いやぁ、これ以上休むと動けんくなっちゃうでね。旦那も畑仕事やって家で待っとるし」

「そうですか……。あ、じゃあ、荷物は持ちますよ」

「そうかい? ありがとうね」


 さりげなく重そうな手提げバッグを代わりに持ってあげると、おばあさんは今度は否定することなくお礼を口にした。

 こうして三人で公園から離れ、おばあさんの家に向かう。

 やがて小さな瓦屋根の家に着くと、おばあさんはポケットから鍵を取り出して扉を開けた。

 海斗が玄関の中まで手提げバッグを運んであげると、おばあさんはなぜか「ちょいと待っとりな」と庭で土いじりをしていたおじいさんに声を張り上げる。


「おーい! おじいさん! この子たちに野菜あげていいかね?」

「あん? ……ああ、昨日の子か? いいぞ! そこら辺から一番いいの持たせてけ!」


 そう言っておじいさんもノリノリで自分の育てたであろう野菜をおばあさんの持ってきたビニール袋に入れて、海斗とクルミの両方に野菜を持たせてくれた。


「これ、うちの畑で取れたやつだけど、もってってよ」


 おばあさんからそう言って渡されると、まずそのずっしりした重さに驚いた。中にはピーマンやトマト、きゅうりとナスといった夏野菜が入っていて、そのあまりの重さに、クルミは少しふらつきながら戸惑いの声を上げる。


「えっ⁉︎ おばあちゃん、おじいちゃん、こんなにもらっていいの? もらいすぎじゃない?」

「ああ、構わん構わん。たくさん作りすぎちまって困っとったんだ。もらってくれると俺ぁ助かるわ」


 と、すげない態度で手をヒラヒラとさせるおじいさん。

 たしかにうちの実家でも似たようなことはあったな、と海斗は懐かしくなり、せっかくだからと受け取ることにした。


「あー……じゃあ、そういうことなら、ありがたくいただきますね」

「あいよ。帰りは荷物が多いで気をつけてな」

「はーい! おばあさんも、またねー!」


 クルミは楽しげに手を振り、海斗もレジ袋を持ったまま会釈をする。

 少し離れてから、クルミがニコニコと微笑みながら言った。


「いい人たちだったねー。あ、海斗くんはリュック背負ってるし、野菜はあたしが持とうか?」

「ああ、ありがとう。でもまあ、とりあえずまだ大丈夫だ」


 さすがに断り、海斗はクルミに確認する。


「で、このあとはもう帰るか? それとも──」

「まだ揶揄いたい! だってほら、あそこにもカモいるし!」

「カモ言うな」


 二人の男子生徒を指を差して、元気に叫ぶクルミ。

 というか、クルミはまだ暴れ足りないのだろうか。まるで子供みたいだ。

 そう思っていると、クルミは突然海斗と手を結び、絡めてくる。


「って、おい。これ……」


 言いながら、クルミと結んだ手をそのまま上げる。

 ドキドキと心臓が脈打つ音が響く中、クルミは力強く頷いた。


「うんっ! 恋人繋ぎだよ!」

「なんか暴走してない? まあいいけど」


 と、表面上では平静を装っていた海斗だったが、その内心は動揺一色に染まっている。


「そんな楽しいのか、これ?」

「もっちろん! 見てよ、あの顔!」


 声を弾ませ、クルミは繋いだままの手で指を差した。

 その表情が悪巧みをしているようで、海斗は揶揄うように言う。


「クロミだ、クロミ。腹黒いのがいるぞ」

「失礼な、腹黒くないよっ! ……あたし、そんなにそう見える?」


 さすがに言い過ぎてしまったようで、クルミは心配そうに眉を落とした。

 とはいえ、海斗はただクルミを揶揄っていただけであって、別に本心ではない。

 海斗はクルミに勘違いさせてしまわないように、念のためフォローを入れる。


「いや? 適当に言ってただけ」

「ふーん……」


 クルミは探るように目を細めて、じいっと海斗を見つめ。


「ま、それならいいや」


 特に気にした様子もなく、視線を外した。

 それから、ふと海斗はクルミに聞きたいことがあったのを思い出す。


「あ、そういやクルミ。転校ってさ」

「ん?」

「普通、何かしらの試験とかあるよな? そういうのって今回ないのか?」


 そう。事情があるとはいえ、試験があってもおかしくない……どころか、学力調査がないとその高校の授業についていけるか、判断しにくいような気がするのだが……。

 海斗がそう問いかけると、クルミは開けた口元を手で押さえて叫んだ。


「あっ、ヤバッ!」


 しまった、というような表情をするクルミに、海斗は確認を取る


「え、やっぱりあるのか?」

「……うん。ごめん、あたしが伝え忘れてた」

「それは別にいいけど、最近忙しくて勉強サボってんだよなぁ」


 落ち込むクルミが気に病まないよう、海斗は軽い口調で呟く。

 とはいえ、それ以前までは普段から勉強していたのだ。大丈夫なはず……なのだが、さすがに転校のための試験となると不安になってしまう。

 するとクルミはグッと拳を握り締めて、勢い任せに声を上げた。


「じゃ、じゃあ、あたし勉強手伝うよ! ほら、みんなで勉強会とか……」

「へー。ならクルミが教えてくれるのか?」

「う……そ、それは、その……」


 何気なく興味本位で問いかけてみると、予想通りと言うべきか。

 クルミは気まずげに目を逸らし、ますます声を沈ませる。ついには諦めたのか、海斗に丸投げしようとした。


「やっぱり自分で頑張って……あ!」


 その途中で何かを思いついたようで、クルミはハッとした顔をする。


「そうだ! 澪ちゃんも巻き込めばいいじゃん!」


 うん、そうしよう! と気合いを入れるクルミ。

 その気合いが空回りしなければいいのだが、と若干不安になる海斗。

 とはいえ、気分転換と考えるなら、ちょうどいいだろう。

 少し思案してから、海斗は了承することにした。


「あー……まあ、そっちは任せるわ。代わりに場所は俺ん家でやるか? 正直どこでもいいだろうけど」

「ううん、ありがと! 今度の日曜日でいい?」

「ああ。そしたらバイトの予定も確認しないと──」


 と、海斗はいつの間にか試験への不安が消えしまったことを自覚しながら、クルミと勉強会の予定を詰めるのだった。

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