第18話 放課後デート作戦

 騒動と再会があった休み明けの月曜日。

 いつものように下校する生徒たちの姿を窓際でぼうっと眺めていると、眼下から校門に向かう騒がしい男子の声が聞こえてきた。


「なあ、あっちに他校の女子がいるって!」

「はぁ? なんでだよ。っていうか、どんな子?」

「めっちゃ可愛かったってよ! 俺、話しかけてこようかな?」


 それを聞いた男子も「そんなにか?」と好奇心を覗かせて走り出す。

 呆れながらその光景を見ていた海斗だったが、ふとポケットに入れていた携帯電話が震えて画面を開く。

 届いていたメッセージは二つ。一つは数十分前のとなっていた。


『海斗くん! あたし、授業早く終わったから校門で待ってるね!』


 ということは、あの男子たちが言っていた他校の女子というのは……と、読み終えた海斗が嫌な予感を抱いていると、また携帯電話が震えた。

 見ると、思った通りクルミからのメッセージのようだ。


『どーしよー! なんか男子に絡まれてるんだけどー!』

「ったく、あのアホ……」


 呆れ笑いを浮かべながら、海斗はポツリと呟く。

 仕方ない、と急いでリュックを背負い、手早く『今から行く!』とだけ返して教室を出た。

 海斗が校門に着くと、その時にはすでにクルミの姿が見えなくなるほど男女様々な生徒が群がっていた。とはいえ、海斗の姿をひと目見ると、あからさまに動揺し、何かを耳打ちする。

 そして直後、生徒たちは全員慌てた様子で蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。


「よっ。クルミ、昨日ぶりだな」


 海斗が軽く手を挙げて声を掛けると、クルミは苦笑を浮かべる。


「うん。にしても、こういう時は助かるねー。海斗くんの人避け」

「ま、こういう時はな。……じゃあ、そろそろ帰るか。ここにいても居心地悪いし」

「あ、待って。せっかくだから寄り道しちゃおうよ」


 歩き出そうとした海斗の制服の袖を掴み、クルミがどこか悪戯っぽい笑みを見せた。海斗は首を傾げ、問いかける。


「寄り道? なんか寄るとこあるのか?」


 話しながら歩き出すと、周りの生徒たちに見せつけるように、クルミが海斗の腕にくっついてきた。

 ドキッと跳ねる心臓。

 海斗は一瞬肩を跳ねさせて、それからクルミと歩行速度を合わせる。


「ないけど……別にいいでしょ?」

「ん、まあな。なら、少し先にベンチがあるから、そこでもいいか? たぶん自販機ぐらいはあったはずだし」

「オッケー! じゃあ、そこで作戦遂行しよっか!」


 そう。実は、これも昨日あれから二人で考えた『付き合ってるフリをして嫉妬させる』ための作戦の一環なのだ。とはいえ──


「……でもクルミ、ホントにいいのか? 正直、俺なんかにそこまでしなくてもいいと思うんだけどな」

「いーの! 黙ってあたしに従えー!」


 傍若無人な言葉遣いだが、クルミの声には思いやりがこもっている。


「……はいよ。分かった分かった」


 海斗が苦笑しながら息をつくと、クルミは怒ったように眉を吊り上げた。


「ていうか、海斗くん! これから『俺なんか』って言うの禁止だからね?」

「え。いやでも、別によくないか? それぐらい」

「よくないから言ってるの! いいから禁止! 分かった?」


 そう問いかけてくるクルミは上目遣いになっていて、海斗は動揺を隠しながら肩をすくめた。


「はいはい、分かったよ。……じゃ、あそこでなんかジュースでも買ってくるわ。何がいい?」


 道端で見かけた自販機を指差して言うと、クルミはわくわくとした表情で答える。


「奢ってくれるの? ならお任せで」

「りょーかい。あ、向こうの公園のベンチで座っててくれ。すぐ行くから」

「はーい」


 クルミが公園に向かうのを確認してから、海斗は自販機の前でリュックを下ろす。まずは出した財布で自分の分としてコーラを選ぶと、クルミの分として無難にリンゴジュースを買って公園に入った。


「お待たせ、クルミ。リンゴジュースでよかったか?」

「うんっ! ありがと!」


 手渡してクルミの隣に腰を下ろすと、クルミはすぐに蓋を開けてゴクゴクと飲む。

 海斗もプシュッと炭酸の抜ける音を鳴らし、小さなペットボトルを口元で傾けてゆっくりと飲んだ。

 少し離れた公園の外では、海斗の通う高校の生徒たちが胡乱げな顔をして通り過ぎていく。時々失礼な言葉や視線が向けられるが、クルミはどこか慣れた様子で楽しげにリンゴジュースを飲んでいた。


「ぷはーっ! 飲んだのは久しぶりだけど、やっぱりこれが原点って感じだよね!」

「そうか? コーラもジュースの中じゃ頂点って感じがして負けてないだろ」

「でも、そっち炭酸じゃん。ジャンル違いじゃない?」


 それもそうか、と納得する海斗。その隣でクルミはもう一度リンゴジュースを口に含んだ。


「あ、ねえ。ちょっとひと口ちょうだい?」

「お、おう……いいけど、ずいぶんノリノリだな」


 しかも、付き合っているフリにしては自然体で、違和感もない。


「ふふっ、まあねー」


 はいよ、と海斗は自慢げなクルミに手渡し、飲み終わりを待つことにした。

 ところがクルミは「じゃあ交換ね」とリンゴジュースを海斗に渡して、これまた美味しそうにコーラを飲む。


「ぷはーっ! ……あれ、海斗くーん? あたしのリンゴジュースが飲めないってのかー?」

「……酔っ払いオヤジみたいに言うなよ」


 苦し紛れにツッコむと、海斗の心情を察したクルミはここぞとばかりにニヤニヤと笑っている。

 さらには、小声で「間接キスが気になっちゃう?」と耳打ちしてきた。

 そこまで言われると海斗としてもイラッとしてしまう。


(こいつ、無駄に生き生きしやがって……)


 呆れながら、売り言葉に買い言葉で返事した。


「分かった、飲むよ。別にそっちが気にしないなら、俺も気にしないし」


 とうとう覚悟を決めて、海斗は強がりながらリンゴジュースを口にする。

 すかさずちょっかいを言ってくるクルミ。


「あ、顔赤くなってない?」

「なってねえよ! つーか、そんなすぐなるもんでもねえだろ。それより、腹黒い『クロミ』さんこそ耳赤いぞ? 大丈夫か?」

「んなっ! ……海斗くんのヘンタイ! ていうか、あたし腹黒くないし!」

「ヘンタイはクルミから言ってきたことだろ。あと、意外と腹黒いのは事実だと思ってるけど」

「むむむ……」


 少しは自覚があるのか、クルミは不満げな顔をしながらも唸るだけで反論はしてこない。


「でもあたし、クルミだし! クロミじゃないし!」

「いやぁ、ついピッタリだったから自然と口から漏れちゃってな」

「もー! ピッタリじゃないってば!」


 そうしてお互いに揶揄い合っている間も、幾人もの生徒が目の前の道路を歩いていく。やがて集団の騒がしい声が近づいてくると、クルミは海斗の耳元に口を寄せてヒソヒソと耳打ちしてきた。


「海斗くん、たくさん人が来そうだし、そろそろ小芝居でもしてみる?」

「小芝居? 何を──」


 問いかけようとした言葉が、動揺で止まる。

 クルミが海斗の肩にもたれてきたのだ。

 触れ合う肩。耳に響く息遣い。女の子らしい香り。

 まるで心臓の音まで聞こえてきそうな距離感で、海斗とクルミは手を繋ぐよりもさらに近くで、隣り合って座っている。

 そんなクルミの表情は、まさに海斗を信頼しきっているリラックスしたもの。

 驚いて言葉を失っていると、女子たちの声と足音が聞こえてきた。


「でさ、そしたら私の見てたテレビを──」

「陽奈? どうしたの──」


 わずか数メートル先まで近づいた声が、海斗とクルミのすぐそばでピタリと止まった。

 やがて後ろからやってきた足音も、また止まる。

 そして何も言わずに無言のまま、そそくさと気まずそうに去っていった。

 だんだん海斗もクルミも面白くなってきて、途中から笑いを堪えるのに必死だった。

 ようやく全員がいなくなると、海斗はチラリと隣を見た。

 もう顔の距離も手のひらほどしか離れていない中、クルミと顔を見合わせて我慢できずに思い切り笑い声を上げる。


「どうする? 海斗くん。もうちょっと揶揄ってく?」

「ああ、そうするか」


 もうその場に揶揄う相手は見当たらないのに、そう言って海斗はクルミと楽しげに笑い合っていた。






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