第16話 黒猫騒動!

 その翌日のこと。海斗が朝食の味噌汁を飲んでいると、ダイニングテーブルに置いてあった携帯電話が震えた。


「……あれ? 電話か。誰からだろ」


 箸とお椀を置いて電話に出ると、クルミの悲鳴と騒がしい物音が聞こえてくる。


「も、もしもし? なんか凄い音鳴ってるけど──」

『あ、こらっ! そっちはダメだってば!』

「クルミ? どうした……っていうか、何やってんの?」


 なんの物音かと思いながら問いかけると、ニャー! と威嚇する猫の声がした。


(……あ、なるほど)


 納得すると同時に、クルミの慌てたような声が聞こえてくる。


『海斗くん⁉︎ 朝早くごめんね! 今猫ちゃんをキャリーバッグに入れようとしてたんだけど、そしたら嫌がって暴れちゃって! もし時間あったら手伝ってくれない⁉︎』

『ふにゃああ! ふしゃー!』


 どうやら相当にクルミも焦っているらしい。

 この鳴き声、なんかデジャブだな、と思いつつ、海斗は了承の返事をする。


「りょーかい。ご飯食べたらすぐ行くから、家の外に出ないようにだけ気をつけてな」

『うんっ! 分かった! ありがとー!』


 すぐにプツッと電話が切れて、海斗は思わず苦笑した。

 さて、そうと決まれば……と、急いで残っていた味噌汁を飲み干し、お椀と器を持って流し台に向かう。

 そして洗い物を済ませてクルミの家に走っていくと、すぐにインターホンを鳴らした。しばらく待っていると小さく扉が開いて、中からクルミが顔を出す。


「あ、海斗くん。猫ちゃんはちょうど二階に行ってるから、今のうちに入ってくれる?」

「あ、ああ……お邪魔しまーす」


 緊張気味でクルミの自宅に入ると、その音が聞こえたのか、早速黒猫が二階から降りてくる足音がした。

 クルミが焦って海斗を急かしてくる。


「は、早く閉めて! もう来ちゃうから!」

「お、おう!」


 慌ててドアを閉めてから、黒猫が階段を駆け降りて現れた。

 そんな黒猫の姿は以前のように雨に濡れていないせいか、妙に丸々としている。毛皮も夏という季節には不釣り合いなほどモコモコだ。


「……ん? なあ、クルミ。あの猫、あんなにずんぐりむっくりだったっけ? もっとスリムじゃなかったか?」

「うぐっ! え、えーっと、それはそのぉ……」


 と、クルミは目を逸らしながら言い淀む。

 その反応を見るに、どうやら何かしらの心当たりがあるようだ。


「でも、たしか出会ってからひと月も経ってないよな?」


 なのにこんなに太らせたのか……とクルミを見つめていると、無言の圧力に耐えられなくなったのか、クルミは言い訳するように弁明し始めた。


「ち、違うの! これはパパが悪いんだよ!」

「まだなんにも言ってないけど」

「目で訴えてたじゃん! それに、あたしそんなに悪くないもん! パパが可愛い可愛いっておやつとかご飯とか、いっぱい送ってくるのが悪いんだもん! あたしもおやつ好きだし、たくさんあげたくなるじゃん!」


 そんなに、と言っている時点で答えは出ているように思うのは気のせいだろうか。


「で、太らせたと」

「うぐ……」


 クルミは図星を突かれて口を引き結び、「だってぇ」と拗ねた様子でそっぽを向く。


「それにしても、そんなに可愛がってても逃げられるのか?」

「知らないよー! すっごい逃げるんだもん!」


 嘆くように叫ぶクルミに、海斗は思わずクスッと笑った。

 チラリと階段に目をやると、こうして話しているうちに黒猫はいつの間にか姿を消している。


「ま、いいや。とりあえずは……」


 そこで言葉を止めて、海斗はクルミをチラリと見た。

 クルミが頷き、言葉を続ける。


「あの猫を捕まえないと、だね」


 こうして始まった黒猫の捕獲作戦。

 とはいえ、猫のような素早い動物を人間の手で捕まえるのは容易ではなく。

 いつまで経っても捕まえられないまま、黒猫は台所からリビング、そして二階の廊下とクルミの家中を縦横無尽に駆け回る。

 その逃げようは凄まじく、海斗がクルミの家の構造をすっかり把握できてしまうほどだった。だがしかし、海斗もクルミもただ黒猫に手をこまねいていたわけではない。


「クルミ! 猫が部屋から出たぞ! そっちの扉、閉めてくれ!」

「りょーかい! 階段も段ボールで塞いだから、あとは……」


 逃げ場は一階の廊下だけ。

 そう思って黒猫を追い、クルミと階段近くで合流した。

 すると黒猫は海斗とクルミの目の前で悠々とジャンプをして、段ボールの柵を乗り越えていく。


「…………」

「…………」


 クルミは口をポカンと開けて、俺も額に手を当てながらため息をついた。

 どうやらこれもダメだったらしい。




 ということで、第二ラウンド開始!


「ほーら、猫ちゃーん。キミの大好物だよー?」

「そっちそっち、もう少しだ……」


 お互いに声を潜めて警戒と解く様子のない黒猫に話しかけて、たっぷり時間を使った結果、あと二、三メートルというところまで誘い出すことに成功。

 黒猫もそろりそろりと近寄ってくる。

 そしてクルミと海斗が構えを取った、次の瞬間。


「ああっ!」

「やられた! あいつ、ジャーキーだけ盗んでったぞ⁉︎」


 驚き叫ぶ海斗とクルミ。

 一体どんな身体能力をしているのか、黒猫は太り気味であるにも関わらず、ほんの一瞬の隙を突いてクルミの手のひらからおやつを掠め取っていったのだ。

 慌てて追いかけるが、時すでに遅し。

 顔を上げた時にはもう二階まで上がっていってしまい、黒猫の憎たらしいシッポだけが見えた。


「く、食い意地張ってんなぁ……」


 そういえば、クルミもそこだけは黒猫に負けてなかったような……と海斗はつい隣で悔しがるクルミを目を向けてしまう。


「行っちゃったね……って、なんであたしの方見るの!」

「いやぁ、なんとなく?」

「あたしそこまで食い意地張ってないから!」


 そう主張するクルミだが、海斗としては、本当にそうだろうかと疑問に思ってしまう。

 ひとまず納得したように言っておいたが、クルミはその後、おやつに釣られなくなった黒猫を追いかけている間も不機嫌そうにしていた。

 そして、当の黒猫はさすがに海斗やクルミが本気で追いかけていることを察したのだろう。

 あるいは普段からもらいすぎて、ジャーキーで満足してしまったのか。

 ともかく、ヘトヘトになった海斗とクルミとは裏腹に、黒猫はまだまだ体力が有り余っているようでいまだに捕まえられない。




 と、いうわけで。


「じゃ、じゃあ、次の作戦に移るぞ! ……はぁ」


 第三ラウンド開始!


 今回の作戦は……まあ、語るまでもない、というか。

 語るほど深い考えはない。ぶっちゃけ浅い。

 その立案者であるクルミは、黒猫が好きだという猫じゃらしを揺らし、作り笑いで誘き寄せようとしていた。


「ほ、ほーら。猫ちゃーん、キミの好きな猫じゃらしだよー」


 ちなみに、クルミの後ろで腕組みをして壁にもたれかかっている海斗は捕まえる役目だ。にしても──


「……なあ。クルミ、もうネタ切れしてない?」

「うっさい。静かにして! やっと近くまで来てくれたのに逃げちゃうでしょ? 海斗くんも捕まえる準備してよ!」

「はいはい。でも、こんなに警戒してたら無理だろ……」


 というか、クルミの表情がよほど恐ろしいのか、だんだん黒猫が後退している。

 そのお陰でもうすぐ行き止まり、というところまで追い詰められてはいるが……まあ、たぶん逃げられるだろうなと思う。

 ただ口には出さず、そのまま見守っていると、ラチが開かないと考えたのか、ついにクルミが動いた。


「今っ!」


 叫び、クルミの両手が黒猫に迫る。しかし、黒猫は大きくジャンプし。


「ふぎゃっ!」


 クルミの顔面を踏んづけて、さらに海斗の手をあっさりとすり抜けると、階段の段ボールをまたも軽々と飛び越えて二階に上がっていった。




「海斗くん、お茶持ってきたよー」


 リビングの床に足を広げて座っていた海斗の元に、クルミはガラスコップに入れたお茶を運んできてくれた。


「ああ、ありがとう」


 海斗はそれを受け取って一気飲みして、ぷはーっと息をつく。

 クルミはさりげなく海斗の隣に腰を下ろし、コクコクとゆっくり半分ほど飲み干した。


「ぷはーっ! 疲れたぁー!」

「ひと仕事終えたあとの一杯って感じだな」


 海斗が冗談混じりに言うと、あはは……とクルミは苦笑を浮かべる。


「まだ実際はなんにも終わってない、どころか進んでもないけどねー」

「だなぁ。にしても、こっからどうするよ?」

「うーん……」


 唸りながら、クルミは頭を悩ませる。

 まさか猫を捕まえるのがここまで難しいとは海斗も想像しておらず、正直、あの太り気味のむっちりボディーに秘められた猫の身体能力を舐めていた。

 ついには困り果てたような声で、クルミが呟く。


「ど、どうしよー……全然分かんない」

「……大丈夫か? そんなに悩まなくても、聡太さんなら話せば分かってくれると思うけど」


 慌ててフォローすると、クルミは申し訳なさそうに眉を歪めた。


「そーなんだけどねー。前に話した時、けっこう楽しみにしてるみたいだったから……」

「あー……」


 それでか、と納得する海斗。


「でもなぁ。あの猫、今はおやつも警戒しちゃってるだろ?」

「そーだよー! あーもう、どーしよー! もうすぐ時間が来ちゃうじゃん!」


 近づくタイムリミットに海斗がクルミと焦りを募らせていると、突然閉まったままのリビングの扉を黒猫が爪でカリカリと引っ掻く音がする。

 扉に近かった海斗が立ち上がって小さく開けてみると、わずかな隙間から黒猫が部屋の中に侵入してきた。


「えっ?」


 部屋で暴れたらマズいから、と廊下で捕まえようとしていたのに部屋に入れてしまい、海斗は戸惑い焦る。


「海斗くん、扉閉めて!」

「あ、ああ!」


 いっそ、このまま部屋の中で捕まえることにしたのだろう。

 クルミの指示に従って、海斗はそっと扉を閉めた。しかしこれまでとは違い、黒猫は落ち着いた様子で逃げることもなく、堂々と水を飲みに向かう。

 それから身構えていた海斗を知らんぷりして、なぜかクルミの膝の上に飛び乗って身体を丸めた。


「おお? どうしたんだ、こいつ?」

「……か、確保ー!」


 クルミは困惑しながら黒猫を捕まえ、脇を持って顔の前に掲げた。

 ところが、捕えられた黒猫は「にゃっ?」と不思議そうに鳴き声を上げて、手足をだらりと脱力させたまま。

 かなりリラックスしているようで、特に暴れることなくクルミに抱かれ、キャリーバッグに入ってくれた。

 その様子で見ていた海斗はふと思う。


「もしかしたらこいつ、俺たちの話を理解してたりしてな」

「えーっ? そんなの……ありそーだよねえ、これ見ちゃうと」


 そう言ってみると、クルミも否定することなく苦笑を浮かべた。……まあ、当の黒猫はとぼけた顔をしていたが。

 こうして紆余曲折あったものの、その後、無事に黒猫は聡太に引き渡しができたらしい。

 その間も黒猫はキャリーバッグの中でじいっとしていたようで、丸まっている黒猫の姿の写真がクルミから送られてきた。

 あと、これは後日カフェのバイト中に聞いた話なのだが、黒猫と飼い主との追いかけっこは聡太さんの家で再開されたそうだ。






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