第15話 カフェ開店とおばあさん
「おはようございまーす!」
もみじカフェの裏手から店内に入った海斗とクルミ。お店の厨房からは姉妹の賑やかな声が聞こえてくる。
「お姉ちゃん、そっちの仕込み終わってる⁉︎」
「ああ。大丈夫だから、澪はもう少し落ち着いたらどうだい? さすがに慌てすぎだよ」
二人で厨房に顔を出すと、そこには店長よりも働くバイトとまったく焦る様子のない呑気な店長がいた。
聡太は調理道具を洗っているようで、流れる水音が店内に響く。
そんなおかしな光景を見た海斗は、クルミと一緒になってぷっと吹き出すように笑った。
「なんか一人だけバイトじゃないやつがいるな?」
「澪店長ー!本日バイトで来ました、クルミでーす!」
海斗が揶揄うように言うと、クルミも今日一番の笑顔で声を弾ませる。
「ちょっ⁉︎ 私もバイトなんですけど⁉︎ クルミちゃん、揶揄わないでくださいよ! 海斗さんも!」
思わず腹を抱えて笑い転げる海斗とクルミに対し、澪が手を止めて振り返った。
即座にキレキレのツッコミを入れてくる辺り、相変わらずクールビューティーからは遠い人だ。
亜紀がどこかホッとした表情で軽く手を挙げて、澪に呆れたような視線を送る。
「やあ、ちょうどよかった。すまないが、澪店長を休ませてくれないかい? 昨日から張り切りすぎてしまってね」
「お姉ちゃん、私は別に……」
「どうせやることもなくなったんだ。向こうで二人と話してきたらどうだい? それで少しは気が楽になるだろう」
疲れてない、と言おうとした澪の言葉を遮って、亜紀は不安そうな妹にそう言って宥める。
「そもそも澪はただのバイトなんだ。私の仕事を取らないで欲しいね」
「う……分かった。ちょっと休憩してくる」
「ああ、そうするといい。──聡太くん! そっちの準備は大丈夫かい?」
「うん。今すぐにでも始められるよ!」
お店の奥へと歩いていく澪の後ろ姿を見送りながら、亜紀が聡太に確認を取る。力強い返事に亜紀は微笑み、海斗とクルミも顔を見合わせて笑った。
「じゃ、俺たちも向こうで準備してくるか」
「うんっ! ……澪ちゃーん! ちょっと待ってー!」
そう言って澪を追うクルミに続いて、海斗もお店の奥へと歩いていった。
もみじカフェ開店の時間になると、待ってましたとばかりに大勢のお客さんが来店した。新しいお店ということもあってか、店内の席もあっという間に埋まっていく。
「海斗くん! これ二番テーブルね!」
「澪! 四番テーブル、注文聞いてきて!」
そうして料理を運ぶ間にも、食事を終えたお客さんがお会計を待っている。
「すみませーん。お会計お願いしまーす」
「はーい! 今行きまーす!」
初めてのバイトにも関わらず、海斗とクルミ、そして澪は料理の注文と配膳、お会計やテーブルの片付けなど、お客さんへの対応に奔走することになった。
ようやく流れが落ち着いてきたのは、十一時半頃のこと。
ドアベルの軽やかな音を鳴らして店内にいた最後のお客さんが帰っていくのを見届けてから、全員でどっと息を吐き出す。
「はぁ……マジで疲れたー」
「あたしもヘトヘトだよー。もう足が棒になりそうだもん」
海斗が腰に手を当てて背中を逸らすと、クルミは肩や腕をダラリと脱力させて厨房に戻っていく。海斗もそれに続くと、流し台で澪がひぃーと悲鳴を上げながら洗い物をしていた。
亜紀が苦笑をこぼし、「澪、代わろうか?」と声を掛ける。袖をまくり、海斗とクルミをチラリと見た。
「ああ、三人ともお疲れ。あとはテーブルだけ片付けたら帰っていいからね」
「え、バイトは十二時までですよね?」
「まあね。だが、お客さんがいないのに残ってても仕方ないだろう?」
そんな話をしていると、外から車の停車する音が聞こえてきた。
すると亜紀は申し訳なさそうに眉を歪め、
「あー……すまない。悪いが水だけでも出しに行ってくれないか? 見ての通り、私は手が塞がっていてね。すぐには対応できそうにない」
「えーっ、そんなぁ……」
クルミが疲れ果てた様子で肩を落として、海斗は代わりに立ち上がる。
「じゃあ、俺が行くよ。ついでに注文も」
「ごめんねー、海斗くん」
「いいよ、これぐらい」
両手を合わせるクルミに手をヒラヒラと振り、厨房を出る。その時ちょうどドアベルが鳴って、おばあさんが入ってきた。
席に案内してすぐにコーヒーとサンドイッチを注文して、海斗はそれを伝票に書き込む。それから厨房に戻り、コップとおしぼりを持っていった。
「ああ、ありがとうね」
おばあさんはメニュー表を片付けながら言い、海斗の顔をチラリと見た。
すると、なぜか口をポカンと開けたまま固まってしまう。
「ちょっと、あんた!」
「? どうかしましたか?」
「あんた、あん時の子だろう? 私だよ、私! ほれ、ひと月だか前にさ、畑で怪我しちまって、交番まで背負ってもらった!」
「えっ……?」
まさか、あのテストの日に会ったおばあさんなのかと、海斗は驚きのあまり言葉を失う。その様子に忘れていると思ったのか、おばあさんはなおも嬉しそうに語り出した。
「ああ、覚えとらんかね? わたしゃ、あん時足が痛くてお礼を言えんじゃったでさ。あれからずうっと気にしとったんよ」
「い、いえ。よく覚えてますよ。お元気そうでよかったです」
「そらあんたのお陰よ! ありがとうね、ホントに」
目を細めて微笑むおばあさんに、海斗の胸の内が暖かくなった。
なんだかんだ気になっていたのだ。こうしてお礼を言われると、やっぱり助けてよかったなと改めて思う。
厨房に戻ると、おばあさんとのやり取りをここから見ていたらしいクルミが興味津々に問いかけてきた。
「ねえねえ、海斗くん。今って、何話してたの?」
「今? ああ、おばあさんとか」
うんうん、と瞳を輝かせて頷くクルミ。
「いやぁ、正直俺もビックリしてんだけどさ。あの人、俺がテストの日に助けた人なんだと。ありがとうってお礼言われたよ」
「ふーん……それで顔が赤いの?」
「えっ、顔赤いか⁉︎」
「あ、引っ掛かったー! そんなに嬉しかったんだね」
驚いて頬に触れた海斗を見て、クルミがクスクスと笑い出す。
「このっ……いやまあ、そりゃ誰だってあんなに喜んでもらえたら嬉しいだろ」
海斗は誤魔化しを諦め、素直にそう言って頭をかいた。
ニマニマと揶揄いの笑みを向けられて目を逸らしていると、クルミが大きく頷く。
「うんっ! そーだねー!」
今度は揶揄うような口調ではなかった。
見ると、純粋に喜ぶ眩しい笑顔を浮かべている。
亜紀や澪、聡太も嬉しそうに微笑んでいて、海斗はつい綻んでしまいそうになる口元を手で押さえた。
こうして初のアルバイトが終わり、海斗は亜紀と聡太にひと言だけ声を掛けて、クルミや澪とスタッフルームに向かう。
「あ、そういや、クルミ」
「なぁに?」
「昨日言ってた猫の話って、結局どうなったんだ? 聞くのど忘れしてたんだけど」
「ああ、それなら聡太さんがもらってくれるってー。明日にでも届けに行く予定だよー」
クルミはロッカーに畳んだエプロンを仕舞いながら言う。
「へえ、なら猫好きの澪さんも安心だな」
「……私、もうツッコミませんよ?」
揶揄うように言うと、澪はジト目で海斗を睨む。
どうやらバイト終わりでも澪のツッコミは健在のようだ。
「じゃ、帰るか」
そう言って海斗が裏口に向かうと、クルミと澪が背後で楽しげに会話をしながらついてくる。
疲れたー、帰りにコンビニ寄ろっかなー、と。
それを聞いていた海斗はクスッと笑みをこぼして、自宅への帰路に就くのだった。
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