第14話 母との電話
家に入ると、海斗は寝室の壁のフックにリュックを引っ掛けて、中から弁当箱を出した。制服を着たまま台所に立ち、まずは水筒から洗っていく。
そうしながら、ふと母への電話が頭をよぎった。
聞きたいことが、言いたいことが、たくさんあるのだ。
今日、午後になって唐突に知らされた転校について。そして海斗の高校での状況を本当に知っているのか。
正直なところ、まだ頭の中はごちゃごちゃしていて、どう聞いたらいいのかも分かっていない。
でも、さっきまでクルミと話していたせいだろうか。
教室を出た時よりも、遥かに不安が薄くなっている気がした。
きっと、これは気のせいじゃない。
クルミがそれを狙って海斗を待っていたのか、それとも偶然か。
おそらくただの偶然に過ぎないだろうが、どちらにしてもクルミに会えてよかったと海斗は思う。
「しっかし、クルミも無茶するよなぁ。転校の手伝いなんて、親の説得も簡単じゃなかっただろうに」
それなのに、クルミは自分の両親だけでなく、海斗の両親まで説得してみせたのだ。
「よし、洗い物終わりっと」
近くに掛かったタオルで手を拭き、海斗はそのまま寝室に向かった。
ベッドに腰掛け、ポケットから取り出した携帯電話で母に電話を掛ける。コール音が鳴り、ひたすら出るのを待つ。
(……あれ、出ないな?)
二、三秒経ち、ようやく受話器を取る音が聞こえてきた。
「もしもし、母さん? 海斗だけど」
『あら、元気? こっちはみんなで流しそうめんの台作ってるわよ』
「はっ? なんでさ」
今はまだ六月末だ。梅雨の真っ只中で、本格的な夏までは一ヶ月も早い。
誰か止めないのだろうか。
そう思っていると、面倒臭そうに母が言う。
『だって、夏のあっつい中でそんなもの作りたくないじゃないの』
「ああ……」
だからってひと月も前に作ったらホコリを被ってしまいそうなものだが……まあ、気持ちは分かる。
『それで? 何かあったの?』
「あー、うん。……色々あったよ。ホントに」
『でしょうね。私もビックリしたわ』
しみじみと言う母に、海斗は少し気まずさを感じながら確認を取った。
「じゃあ、やっぱり知って……」
『──あんた、いつの間に女の子の友達ができたのよ!』
「そっち⁉︎ え、転校とか学校の状況の話じゃなくて?」
『そりゃ、あんたの学校での状況なんてとっくに知ってたもの。いつ言ってくれるかなって待ってたら、まさかあんたじゃなくてお向かいさんの女の子からだなんて!』
ああ、いちおう知ってはいたんだな、と海斗は申し訳ない気持ちになった。
しかし、なぜか母は嬉しそうに叫ぶ。
『お母さん、興奮しすぎてお説教の言葉が全部吹っ飛んじゃったわ!』
「おいぃ! そっちは吹っ飛んじゃダメなやつだろ!」
どうしてこちらがツッコミに回っているのか、釈然としない気持ちになる海斗。
「ていうか、怒らないのか? 俺、ずっと黙ってたのに」
『そんなの怒ってどうするのよ。悪いのはあんたじゃないし、誰にも頼らない決断をしたのもあんたでしょ? だったら掛けるべき言葉は、頑張ったねってことと、次はもっと誰かに頼りなさいってことだけよ』
あっけらかんと答える母に、海斗も口をポカンとさせた。
「…………なんか、母さんって大物だな」
海斗はそう呟きながら笑い、心の底から母に感謝した。
すると、母は得意げな声で言う。
『当たり前じゃない。お母さん、お父さんに惚れてなかったら、今もクルミちゃんのパパさんがやってる会社で働いてたんだから』
「へ? 何それ?」
「あら、あんた聞いてないの? クルミちゃんのパパさん、けっこうな大企業の社長さんなのよ』
「はっ? マジで? 俺、そんな話、初めて聞いたんだけど!」
『そりゃそうよ。わざわざ言うことじゃないもの。まあ、こんなのはどうでもいい話ね。それより……』
驚愕して叫ぶ海斗に対し、母はあっさりと話を流そうとする。
「いや、待て待て! え、何それ、めっちゃ気になるんだけど⁉︎」
たしかに海斗にはあまり関係ないことかもしれないが、それはそれとして気になるのだ。
海斗は思わず母を止め、詳しく聞こうとした。すると──
『あら。もっと聞きたいの?』
そう言いながらも、その口調はここでやめておきなさいと言いたげだった。
ここから先はクルミ本人から聞きなさいということだろうか。少し悩み、海斗は首を横に振って続きを拒否する。
「いや……やっぱりやめとく。気になるけど、今はいいや」
『ふーん、それは残念。ところで、バイト始めるのよね?』
それも聞いたのか、と思いながら、海斗は頷いて予定を伝える。
「ああ。今週の土日からだってさ」
『そう……じゃあ、しっかりやるのよ?』
「りょーかい。そんじゃ、そろそろ切るけど、まだなんかあるか?」
『もう? まあ、たしかに話すことはないけど』
母の声が少し沈み、心配そうに続いた。
『あ、そうそう。また夏休みにでも、お友達連れて帰って来なさいな』
「はいはい。そのうち聞いてみるわ。じゃあな」
『はーい。まだ時間早いけど、おやすみね』
その言葉を最後に、プツリと受話器の音が切れる。ツー、ツー、と電子音が聞こえて耳から携帯電話を離すと、ふうと息をついてポケットに仕舞う。
母が怒っていなかったことは意外だったが、ひとまず事情が聞けてよかった。
「……さぁてと、宿題やるかぁー」
ぐぅーっと伸びをしながら呟き、海斗はリュックから勉強道具を出すと台所のダイニングテーブルに向かった。
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