第13話 お向かいさんとの帰宅
「疲れたー……」
波乱が起きた昼休み明けの授業をどうにか乗り切った海斗は、教室の気まずさに耐えられずにいち早く廊下へと逃げ出していた。
思わずため息をこぼしながらそうぼやいて、背中を丸めたまま生徒玄関を出る。
すると、なんだか校門がやけに騒がしい。
人集りの中、この高校では見慣れない制服が一瞬だけ見えて、ふと海斗はクルミの別れ際の言葉を思い出した。
あの『またあとで』という言葉は、つまりそういうことだったのだろう。ということは、あそこにいるのはクルミかもしれない。
そう思い至り、仕方なくいつものようにモーセのごとく人混みを割って、そこに佇む人物に歩み寄る。
「おかえりー、海斗くん! 早かったねー!」
そう言って昼休みの時と変わらずに無邪気な笑みで手を振っていたのは、予想通りクルミだった。
見知らぬ少女が待っていた人物は海斗だと知ってざわめく生徒たちを無視して、海斗はクルミがいたことに驚いてしまう。
「ホントにまた来たのか……」
「うんっ! ほら、帰ろー?」
と、クルミが嬉しそうな表情で海斗に手を伸ばしてくる。
「おう……って、手は繋がないからな⁉︎ 子供じゃあるまいし」
歩き出しながら何気なくその手を取ろうとして、海斗はハッと我に返った。気恥ずかしさからか、頬に熱を感じる。
すると、クルミが不満そうに文句を叫んだ。
「えーっ! いーじゃん! ……あっ、さては恥ずかしいんでしょー? そんなに顔赤くしてー!」
このこの! とクルミが肘で海斗の脇腹を突いてきた。
周りにいる生徒たちにも会話を聞かれていそうな声量だが、それを気にせず開き直る。
「そりゃそうだろ! 小学生じゃあるまいし、高校生にもなって知り合いの間柄でそんなことしねえよ!」
「む……それ、あたしが子供だって言ってない?」
拗ねたように頬を膨らませるクルミに対し、海斗はふっと揶揄うように笑う。
「まあ、せいぜい拾った猫のご飯と自分のお菓子を天秤に掛けて、お菓子を選ぶ人だと思ってるぐらいだな」
「うぐっ……」
海斗が呆れ顔で言うと、クルミは肩を震わせて嫌なところを突かれたという表情をした。
「アレって絶対、笑い話にできないレベルのアホだよな」
「むむむ……」
そう言うと、クルミは気まずそうに眉を歪めて目を逸らした。
どうやらきちんと自覚があったようで何よりだ。
さてと、と揶揄われた仕返しができて満足した海斗は、そろそろ本題に入ろうと問いかける。
「それで? なんで校門で待ってたんだ?」
「え、あたしが暇だったからだけど?」
あっけらかんとしたクルミの言葉に、海斗は呆然とした。
「はっ? え、じゃあ、なんか教室で言えないことがあった、とかじゃなくて?」
「うん。そーだよ? だってあたし、今日学校サボってたもん」
何か大事な話でもあるのか、とひそかに構えていたのだが……そういうことらしい。
「あ、でも、ちょっとした相談事ならしてあげてもいいよ?」
「なんで上から目線なんだよ。態度デケーな。……あ、じゃあ、どうしてもってことなら聞いてやってもいいぞ?」
わざとらしく腕を組んで言うと、クルミがケラケラと笑い出す。
「海斗くんだって顔デカいじゃん」
「おい、顔デカい言うな。俺の顔はほんのちょっと強面に見えるだけだ」
海斗が顔をしかめると、クルミは腹を抱えてさらに爆笑した。
そして不機嫌になる海斗を気にも止めず、口を開く。
「あ、そうそう。その相談ってのはね? あたしの家にいる、あの猫ちゃんのことなの」
「ああ……そういや、亜紀さんが飼いたいって言ってたけど、結局話が流れちゃったもんな。聡太さんとの同居も後回しになったみたいだし」
とはいえ、あんな澪のトラブルが起こったあとでは仕方のないことだろうが。
「そ。だからってわけじゃないけど、あたしの思ってた以上にお世話が大変でねー。……今、どうしよっかなーって考えてるとこ」
「ほーん」
クルミにとってそこまで深刻問題ではないのか、その口調は軽い。つい海斗も気の抜けた返事をしてしまう。
ただ、猫を飼うのもタダというわけではない。
クルミ自身に負担がないだけで、クルミの両親からは相応の負担が掛かっているのだ。
「じゃあ、直接亜紀さんに電話するなりして聞いてみたらどうだ? もう澪さんとの誤解も解けてるんだし」
海斗の提案に、クルミは困った様子で眉を寄せる。
「うーん……なんか、また断られそーだなーって気がしちゃって」
どうやら一度断られているだけに、もう一度頼むのに躊躇っているようだ。そんな弱気な様子に少し驚いていると、クルミは表情を緩めて続けた。
「あと、面倒臭かったし」
「クルミ、さてはそれが本音だな?」
「うん」
あっさり頷き、ホッと海斗はひと安心。
とはいえ態度には出さず、呆れ顔で告げた。
「だったらなおさら早めに連絡しといた方がいいだろ。そういうのって、あとになれば余計にやる気なくなるんだし」
「はーい。じゃ、帰ったらそーしよっかな」
「ああ。それがいいよ。あと、もし亜紀さんに断られたら聡太さんの方にも聞いてみるといいかもな」
そうアドバイスしてみると、クルミも納得したように頷く。
「あ、そっか。それなら亜紀さんに連絡頼んでみようかな?」
「おー、いいんじゃねえの?」
海斗はいい加減に手をヒラヒラと振った。
「うわ、テキトーだ」
「もう充分真面目に答えただろ? 俺、あれから教室の雰囲気が悪すぎて疲れたんだよ」
「あちゃー、やっぱり?」
と、クルミはわざとらしい仕草で額に手を当てる。
「ちなみに一番可哀想なのが先生だよ。何言っても白けてたからな」
「あー……」
これにはクルミも申し訳なさそうに眉を歪めた。
ついにはフォローしようとクラスメイトが無理矢理に笑おうとして、教室に乾いた笑い声が響くという、まさに地獄絵図だった。
そんな日常会話をするうちにT字路を曲がり、やがてお互いの自宅が見えてくる。
「さて、あたしは今から早速電話してこよっかな?」
クルミが言って、海斗も頷いて言葉を返した。
「ああ。それがいいよ。……じゃ、また明日な」
「うんっ、またねー!」
海斗が小さく右手を挙げて自分から挨拶を口にすると、クルミも嬉しそうに振り返り、大きく手を振って走り去っていく。
その後ろ姿をぼうっと眺めながら、ふと海斗は数週間前のクルミとの出会いを思い出し、その懐かしさに思わず目を細めるのだった。
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