第12話 学校襲来!
翌週の金曜日、午後一時三十五分。
教室から海斗の歩く廊下に、昼休みの終わりを告げるチャイムが響いた。
もうあと数分も経てば授業が始まる。
そのことに憂鬱な気持ちになり、海斗は深いため息をつきながら弁当箱を片手に教室の扉を開けようとした。しかし途中から、教室の中が妙にざわついていることに気付く。
何があったのかと海斗は少し不思議に思ったものの、自分には関係ないと気にせず教室に入った。すると──
「あ、やっと来たー! 待ってたよ、おかえりー!」
「へっ?」
なぜか海斗の席に座り、嬉しそうに手を振るクルミの姿が目に入った。
(……入る教室間違えたか?)
一瞬そう思って、海斗は反射的に教室にいる面々の顔を見回した。
しかし、そこには見慣れたクラスメイトが困惑した表情で席の近い友達と耳打ちし合っている。
それを見てホッとひと安心しながら、よく考えるとクルミと通う高校が違うことを思い出して再び疑問が再燃した。
(……いや、ここって俺の高校だよな? もう時間も昼だし、さすがに間違えない、よな?)
とはいえ少し心配になり、クルミに確認する。
「クルミ……登校する高校でも間違えたのか?」
「んなわけないでしょ! ……じゃなくて」
クルミは海斗の席を占領したまま叫び、ハッと冷静になった。
コホン、とわざとらしい咳をして、演技をするように得意げに胸を張る。
「んなわけないだろ! 俺はちゃんと理由があってここに来たんだ!」
「……クルミ。それ、恥ずかしくないか?」
海斗のモノマネをしてくるクルミに思わずツッコむと、うぐっと肩を跳ねさせる。
海斗の席に座っているからそうしたのだろうが、案の定恥ずかしかったようで頬を赤らめて顔を背けた。
「……けっこう恥ずかしい」
「だろうな。で、なんで来たの?」
海斗はクルミにジト目を向けて問いかけるが、クルミはさらっと流されたことがショックだったよだ。
「あたしの渾身のギャグだったのに……。あっさりスルーされた……!」
「お前ホント何しに来たんだよ……」
海斗が肩の力を抜いて呆れていると、クルミは何事もなかったかのように表情を戻した。
「あ、そうだった。実はね、そろそろ海斗くんに教えてあげようと思ってきたの!」
「…………?」
何を、と眉を寄せる海斗。一拍ほど考えて、クルミがもみじカフェで言っていた海斗の今後についてのことだと思い至った。
周りは相変わらず何がなんだか分かっていないようだが、そんなものはお構いなし。クルミはご機嫌そうに笑顔を浮かべて言葉を続ける。
「あ、そうそう。もうパパたちから諸々の許可は取ってきたから安心していいよ? じゃないとあたしも勝手に入ってこれないし」
「それって──」
クルミのわけの分からない言葉の意味に一つだけ心当たりがあって、海斗は言葉を続けようとした。
でも、クルミのいつになく真剣な表情を見て、思わず息を呑む。
「──キミの転校のお話、だよ。こんな腐った教室からはオサラバして、あたしの高校に来て欲しいの」
そんなことが、できるのだろうか。
いいのだろうか。逃げていることにはならないだろうか。
様々な考えが、海斗の頭を巡っていく。
だがその思考は、一瞬にして凍りつくことになった。
チラリと海斗のクラスメイトを見たクルミの視線が、恐ろしいほどの冷たさを持っていたのだ。
しかし、それもほんのわずかな間だけ。
次の瞬間には、その眼差しはまるで何事もなかったかのように明るい表情に戻った。
そんなクルミの顔を見て怯え、沈黙する海斗のクラスメイトには見向きもせず、クルミは笑って続ける。
「いーでしょ? だって海斗くん、ずっと勘違いで辛い思いをしてきたんもん? だから……ありゃ、どしたの?」
「え? ……いや、なんでもない」
そう言いながら困惑して、海斗は二度瞬きをする。
(気のせいか? 今のクルミの言葉選び、なんか悪意があったような……)
とはいえ、それは今すぐ考えるべきことではない。
海斗は気持ちを切り替え、話を戻した。
「それより転校って、んなもん簡単にはできないだろ? どうするつもりだ? 親の許可だっているし、大体、俺の親の方はなんにも知らないと思うぞ?」
「ううん。それはないよ」
戸惑いながら海斗が問いかけると、クルミは首を横に振って否定する。
「この学校、生徒はともかく先生は比較的ちゃんとしてるもん。何より、海斗くんの問題を理解してて、家族に相談してないとかあり得ないよ?」
「……あ。そっか、そりゃそうだよな……」
言われてみればその通りだ。ということは、何も知らないと思って隠してきたのが、最初から無駄だったということになる。
海斗が言葉を失っていると、クルミは微笑みを浮かべて言った。
「家に帰ったら確認してみなよ。絶対知ってるから」
「おー、やけに自信満々なんだな……」
個人的には可能性を残しておいて欲しい。
そう思っていると、クルミは──
「そりゃもちろん! だって、海斗くんを転校させる時に電話したもん!」
「はっ? マジで?」
と声を弾ませ、海斗は呆然とした。
いつの間に……と絶句する海斗を見て、クルミがにひひっと悪戯っぽく笑った。
「うんっ! そーだよ!」
「……そっか。じゃあ、だいぶ心配させちゃったな。これもいいキッカケか」
呟くと、クルミも小さくあごを引いた。
「ん、そうだねー。それに」
と。クルミはそこで言葉を一度切り、椅子から立つ。
海斗とクルミの会話をひそひそと話しながら聞いていた教室のクラスメイトたちをぐるりと見渡し、威圧するように鋭く睨みつけた。
すうっと息を吸った音が響く。
「この教室の人たち、海斗くんが転校するって聞いてホッとしたんだよ? ……そーいうの、あたしには全部バレてるから」
「…………」
声音が変わる。そして、空気が変わる。
教室にあった好奇心と楽観的な雰囲気が吹き飛び、クルミはこれまで聞いたことがないほど厳しい視線と言葉を投げつける。
そんなクルミの変貌に、海斗を含めた教室全員が呑まれていく。
一体、どこから来るのか。
クルミの淡々とした声音の裏側には、激しい怒りがにじんでいた。
そして、静かな激情は続く。
「だからあたしは、海斗くんを転校させたいの。ここにいる人たちはみんな、自分のしてることに自覚も反省もしないような、最低最悪な人たちばっかりだから」
「だから──あたし、キミたちを軽蔑するよ」
どうして海斗のことで、これほどの激情を抱くのか。
聞きたいことは山ほどあって、疑問は尽きない。
でも、クルミはきっと答えないだろう。
そんな予感がした。
一見口が軽そうに見えるクルミだが、この高校に来ることは言わなかった。これまで冗談や隠し事はしても嘘は言わない彼女のことだ。
もし言う気があれば、すでに言っている。
だから、海斗もわざわざ聞こうとは思わなかった。
ただ、きっとそのうち知る日が来る。
そう思いながら、クルミの声を聞いていた。
ふと、クラスメイトの顔を見る。
何も理解しようとしない、彼らの顔を。
その表情が、そう。わずかに──そして、たしかに変わったような気がした。
自覚のない悪意は、ウワサへの疑念に。
それでも、決して確信には成り得ない。きっとまだ、何も届いていない。
だからこそ──
「……クルミ。そこまででいいよ」
「海斗くん……」
呼び止めると、クルミはどこか不安げで、不満げな顔で、海斗を見た。
「ありがとう。でも、いいんだ」
だって、その先を言うのは自分自身でありたいから。クルミの優しさに甘えてばかりいるのは、もう嫌だから。
──それに、何よりも。
そこまでクルミに言われて、自分が何もしないわけにはいかないのだ。
ただ、今は海斗やクルミが動いてどうにかなるようなものではない。まだウワサが勘違いであることの証拠が足りないから。
だから海斗は、そう訴えるようにクルミを見つめ返す。
「もう……分かった」
そう言って、クルミは仕方なさそうに険しかった表情を緩め、代わりに唇を尖らせた。
教室の雰囲気が少しだけ柔らかくなり、クルミが細く長く息を吐く。
それから廊下へと歩き出そうとして、くるりと振り返った。
「じゃ、あたしはもう行くね。……あっ、そうだ。海斗くん」
「ん?」
「またあとでね!」
「ああ。またな」
ほんの少し、寂しさが込み上げる。
クルミはクラスメイトの机の間を通り、廊下に向かった。
もうすぐ授業も始まりそうだ。
海斗が次の授業で使う教科書を出していると、廊下から誰かの走る足音が近づいてくる。見ると、クルミが教室の扉から顔だけをひょっこりと出して、手を振っていた。
クルミに手を振られ、海斗も微笑みながら振り返す。
(……ん? 『またあとで』?)
クルミが残した最後のひと言に、海斗は思わず眉をひそめた。
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