第10話 嫌われ者は悩んでる
「さて、じゃあ面接も終わったし、あとは空いてる日付と時間だけ教えてもらっていいかな?」
テーブルに座ったまま形式的な面接をした海斗は、クルミや澪と共に聡太から今後のバイトの予定日を聞かれていた。
「ああ、そこですね。三人共一緒で……はい。オッケーです」
聡太は持ってきた紙にメモを取ると、それを置きに奥へと入っていく。
すると入れ替わるように亜紀が五人分の飲み物を持ってきて、氷の音を鳴らしながら四人席に置いた。
「ちょうど終わったみたいだね。アイスカフェオレを入れてきたから、よかったら飲むといいよ」
「わあ。お姉ちゃん、いいの⁉︎」
と、瞳を輝かせる澪。
「ああ。せめてものお詫びだからね。ついでに感想もくれたら最高なんだが……どうだい、味は?」
「まだ誰も飲んでないから! ていうか、これお詫びっていうより感想もらうのが目的でしょ? ……まあ、お姉ちゃんらしいけど」
やたらと急かす亜紀に唇を尖らせる澪だが、その表情は嬉しそうに綻んでいる。
やっぱりなんだかんだで、このお店の飲み物は楽しみにしていたようだ。その飲み物を入れてくれたのが自分の姉だと知ったのなら、なおさらそうだろう。
そんな姉妹のやり取りを見ていた海斗とクルミも思わず笑みがこぼれてしまう。
ところで、よく考えるともうバイトをする理由がないような気もするが……まあ、今更気にするようなことでもない。
クルミもそんなことは考えてもいないようで、澪や亜紀と世間話をし始める。
「そういえば澪ちゃんと亜紀さんって、けっこう歳離れてるの?」
「え? まあ、そうですね。たしか十歳……? だよね、お姉ちゃん」
澪が確認するように亜紀を見ると、亜紀はコクリと頷きを返した。
「ああ、そうだね。そのぐらいだよ」
「ふーん……」
クルミが興味深そうに相槌を打つ。
だからこんなに立派な喫茶店も建てられたんだな、と思う海斗だったが、ふと亜紀の年齢がまだ二十代であることに気づいて驚いた。
「亜紀さん、よくこんな凄い喫茶店を建てられましたね……」
「……まあ、昔からの夢だったからねえ」
海斗が言うと、亜紀は少しだけ目を細めて得意げに微笑んだ。
その言葉で何か思い出したことがあったのか、澪は亜紀と同じく懐かしそうな顔をしている。
「あ、でも、お姉ちゃんって昔は『バーカウンターのお姉さんになりたい』とかも言ってたよね?」
「よく覚えてるねえ。──そうなんだよ。私はお客さんの悩みをわけ知り顔で聞きながら、うんうんと頷く役をやりたいんだ」
亜紀は相変わらず変な思考回路をしているらしい。どうやら昔からこうだったようだが、両親はさぞ大変だっただろうと思う。
(てか、頷くだけかよ……)
同じことを澪も思ったようで、すっかり呆れ顔をしている。
「お姉ちゃん、聞いたなら解決もしなよ……」
「そっちは気分が乗ったらね。というか、そういうのは大抵の人が自分の話を聞いて欲しいだけだろう? よっぽど頷くだけでもなんとかなるさ」
楽観的な亜紀の意見に、澪は少し考えてその言葉を肯定した。
「そうかなぁ? ……まあ、たしかにそれもあるかも」
しかし、そんな優しい妹の気配りを無視するかのように、亜紀はあっさりとした口調でこう続けた。
「あ、そうそう。私はそっちの夢も諦めてないから、フォローをよろしく頼むよ」
「……はぁ?」
何言ってんの、このアホ……とばかりに亜紀に正気を疑うような眼差しで睨む澪。そして、そんな妹の視線を意にも介さない姉。
「とはいえ、そこには一つ問題があってね。実験台……もとい練習相手がいないのだよ」
「へー。じゃあ、そのまま企画凍結させといたらいいんじゃないの──」
「というわけで、だ!」
勢いよく澪の言葉を遮り、亜紀は嬉しさを爆発させたように声を上げる。
海斗の視界には亜紀を恨みがましく睨む澪と、そんな澪に対して顔の前で両手を合わせて謝罪しながら戻ってくる聡太が映っている。
しかし、亜紀はいまだ気づかないままで、海斗は思わず遠い目をした。
「この中で、何か悩んでいる者はいるかい? 申し出てくれるとありがたいのだが!」
「はーい。私、今悩んでます。アホお姉ちゃんのせいで」
投げなりに言う澪のジト目にやっと気づくと、あはは……と聡太が苦笑する。
亜紀は困ったように眉を寄せ、狼狽した。
「む……いや、それは、その……」
「もう、ただの冗談でしょ。……半分くらいはね」
ぼそっと澪の小声が聞こえて、海斗は一瞬背筋が凍りついた。
すると、亜紀の募集を聞いてからずっと無言だったクルミが顔を上げて、ふと何かを決意したように海斗を見る。
「あ。ねえ、海斗くん。せっかくだし、ここで言ってみない?」
「何を……って、まさかあの話か?」
クルミの眼差しを見てたじろいでいるうちに思い出したのは、数日前に体育館横でクルミと電話をした時の内容だ。
クルミと海斗のやり取りを聞いた亜紀は、意外にも真剣な表情で問いかけてきた。
「あの話? その様子だとけっこう大事な話のようだが……」
「うん。そーだよ。だって海斗くん、学校でイジメられてるもん」
「えっ?」
澪も驚いた様子で声を上げ、海斗を見てきた。
海斗は慌てて両手を振って否定する。
「いやいや、そこまで大袈裟なもんじゃねえよ。ただの勘違いだし」
しかし、クルミはそこで引くことなく「ううん」と首を横に振った。
一瞬だけ言ってもいいのかと迷いを見せてから、勇気を振り絞るような声で続ける。
「……あたしは、違うと思う。だって、海斗くんが昼休みに教室どころか、校舎にもいられないほどなんでしょ? それならきっと、『ただの勘違い』なんかで済ませていいものじゃないよ」
「いや、でもなぁ……」
大事にしたくないと思って渋る海斗に対し、いつになく真面目な顔をして亜紀が問いかけてきた。
「ひとまず、何があったのか聞かせてもらってもいいかい?」
「んん……」
どうしようか。正直なところ、別にそこまで困っているわけではないのだが……。
「海斗くんが話せないなら、あたしから話そっか? 軽くなら聞いてるし」
クルミが心配そうに提案してくる。
ここまで言われては話さないわけにもいかないだろう。
海斗としても話すことに抵抗があるわけではなく、ただ面倒事を避けたかっただけなので、ここまで気を遣われるぐらいなら……と仕方なしにすべて話すことを決断した。
ふうと息を吐き、気持ちを切り替える。
「いや、大丈夫だ。……まあ、こうなった以上しょうがないな」
早くも新たな騒動の予感を感じながら呟くと、海斗は今通っている高校でいかにしてウワサが流れるようになったのか、そのキッカケを語り始めた。
あれは五月中旬、中間テストがある朝のこと。
その日は夜中までテスト勉強をしていたせいで起きるのが遅くなって、気づけば遅刻寸前の八時過ぎ。
とはいえテストに遅れるわけにもいかないため、慌てて準備をしてなんとか間に合う時間に家を出ることができた。
だが、その通学途中。
「おーい、そこの! あんた、ちょいと助けてくれんかね!」
足を怪我をしたおばあさんにそう呼び止められて、海斗は畑の中で倒れて動けないでいるその人に駆け寄った。
どうしたらいいのか。
そう迷った末に海斗の取ったのは、近くの交番までおばあさんを背負っていくこと。
こうして無事に交番に着いて、警官にあとを任せた海斗は高校へと道を急いだが、当然テストは遅刻になった。
ただ、事情が事情だけに先生たちも色々と考慮してくれた。
また後日、テストを受け直せることになったのだ。
……だから、まだそこまではよかったのだ。何一つ、問題などなかったのだ。
なぜなら、自分がしたのは人助けだから。
何も悪いことをしていないどころか、いいことをした。それがきちんと先生にも認められて、テストも受け直せた。
それを自分自身、けっこう誇りに思っていたのだ。
……だが、海斗には友達がいなかった。
知らなかったのだ。
周りのクラスメイトたちが、テストの受け直しをする海斗の姿を見て、どう思っていたのか。何を言い合っていたのか。
最初は、人助けのウワサが広まったのだと思っていた。だから、少しだけ得意げな気持ちになっていた。
しかし、やがてそれは違和感に変わった。クラスメイトの眼差しが、あまりにも攻撃的に見えたのだ。
それから数週間が経って、担任の先生からこんな話を聞かされた。
『山崎海斗はテストで不正をしたらしい』
『先生を脅迫したらしい』
『カンニングをしたらしい』
そんな根も葉もないウワサがいつの間にか広がって、先生が気づいた時には学校中にまで知れ渡っていたそうだ。
その時には、もう手遅れだった。
生徒たちの間では、すでに周知の事実になっていたのだ。でも、友達のいない海斗だけがそのウワサを知らなかった。
だから、否定することもできなかった。
そうやって、たった一つのウワサが憶測を広げ、彼らの中では本物の出来事になっていったのだった。
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