第8話 登校と広がったウワサ

 休日開けの登校日。

 外に相変わらず雨が降りしきる中、海斗が二年一組の教室に入るといつも通り──いや、いつも以上にクラスメイトから怯えと警戒の視線を向けられた。


「ねえ、知ってる? あの人……」

「あー、聞いた聞いた。ホントヤバいよね」


 教室中から、息を潜めてウワサする声が海斗の耳に届いた。

 どんなウワサかは大体見当が付くが、よくも飽きないものだともはや感心してしまう。


(……ホント、嫌になるな)


 海斗は内心で愚痴ると、担任教師が来るまでの間、机に顔を突っ伏した。

 それから授業は進み、昼休みを知らせるチャイムが鳴り響く。

 日直が授業終わりの挨拶をすると、海斗はすぐに教科書を仕舞ってリュックから弁当を出した。早々に立ち上がって、ひと気のない体育館横の通路へと向かった。

 そこなら売店からも離れていて滅多に人が来ないため、海斗の休憩場所となっているのだ。

 しかし、そこに向かう間は海斗に対する視線がなくなることはない。

 ようやく目指していた場所に着くとそれもなくなって、海斗は体育館の横にある二段ほどの石階段に座り込むとため息をついた。


「はぁ……疲れた」


 隣に弁当箱を置き、水筒のお茶で喉を潤す。それから箸を持って弁当の蓋を開けて、携帯電話を弄りながら卵焼きを口に放り込む。

 しばらくして食べ終わった弁当箱を片付けていると、校舎の方から騒がしい男子の声と集団の足音が近づいてきた。

 おそらくバスケでもやりに来たのだろう。

 顔を合わせる前に教室に戻ろうか迷ったが、戻ったところでまたクラスメイトから同じ視線を向けられるだけ。海斗に居場所などない。

 それなら見つかる可能性があってもここにいた方がマシだと思い、海斗は仕方なく雨の降る校庭をぼうっと眺める。

 そのうち海斗の元にバスケットボールが転がってきて、面倒臭そうに一人の男子が追いかけてきた。


「ちっ。あいつら、俺に押しつけやがって……」


 額を汗で濡らして苦々しい顔をしたその男子は、よく見るとクラスメイトである浩二だった。

 もし目が合ったら気まずくなる。

 そう思って目を逸そうとしたが、運悪くその前に目が合ってしまった。


「あ? なんだお前かよ」


 煩わしそうに呟く浩二だったが、こんな場所で弁当を食べていたことが気になったのか、海斗に意地悪そうに笑って問いかけてくる。


「そうだ。──なあ、お前のウワサってマジなのか?」

「……そのウワサって」


 おそらく、というより間違いなくアレのことだろう。

 すぐにそう思い至ったが、海斗が思わず言い淀んでいると、浩二はそれを待つことなく続けた。


「なんだ、知らねえのかよ。ほら、アレだよ。テストで不正したってやつとかさぁ」


 浩二の声音には、明確な悪意があった。

 真実を知っているわけではないようだが、それでもその瞳は侮蔑の感情が見えている。でも──


(……そんなの、俺はしてない)


 だが、そんな事実は彼らにとって関係ないのだろう。

 ただなんとなく面白そうだから。ウワサをして揶揄うにはちょうどよかったから。

 彼らには、それだけの理由しかない。

 だから、きっと事実を訴えても届かない。

 そう思って海斗が黙っていると、浩二は飽きたのかニヤニヤと笑って、バカにするような声でこう言った。


「ふーん……つまんねえやつ。じゃ、教室でなんか言い訳してみろよ。誰か一人ぐらいは聞いてくれるかもしれないぜ?」


 ──言い訳。

 つまり、海斗の言葉などひと欠片とて信じていないのだ。

 とはいえ、予想通りの反応だった。

 元々、期待なんてしていないし、今後する気もない。

 もはや今の海斗に残っているのは、諦観だけ。


「──おーい! 何やってんだ、浩二! 早くボール持ってこいよ!」

「おう、悪い! すぐ行くわ!」


 浩二は他の男子が呼ぶ声に返事をして、海斗に目もくれずに走っていった。

 そして、またバスケットボールの音が体育館から響き出す。

 きっともう海斗と話したことすら彼の頭には残っていないだろう。

 これまでも、これからも、この日常は何も変わらない。

 だから、下手に動いても余計に酷くなるだけ。だったら何もしない方がマシなのだ。

 海斗は、その事実を知っている。

 だからこそ、もしも自分が改善しようとしたら悪化するに決まっていると、そう固く信じていた。


「……雨、まだやみそうにないな」


 ただポツリと呟いた言葉は、響く雨音にかき消えていく。と、その時。

 すぐ隣に置いていた携帯電話が震え出して、画面に『来宮クルミ』という名前を表示した。あの帰り道に三人で交換しておいたのだが──


(しかし、なんでこんな時間に……? まさかクルミに何かあったんじゃないだろうな?)


 思考がネガティブになっているせいか、そんなことを想像してしまう。動揺しながら、海斗は通話のボタンを押した。


「もしもし、クルミ? こんな時間にどうしたんだ?」

『あ、海斗くん、メール見たー? バイトの面接、今週だってー!』

「へ?」


 明るいクルミの声がして、海斗は思わず声を漏らす。

 海斗が聞き返していると思ったのか、クルミはもう一度言い直してくれた。


『だから、バイトの面接だってば。覚えてないの?』

「い、いや……そりゃ覚えてるけど、別にメールか下校してからでもよかったのに」


 そう言うと、クルミは楽しげに声を弾ませる。


『だって、なんかこういうのって面白そーじゃん! 今どこにいるの? 廊下? 雨の音凄いけど……』

「ああ、そりゃ体育館の通路にいるしな」

『え、通路? 教室じゃなくて?』


 クルミの怪訝そうな声音。

 海斗は頭をポリポリとかいて、どう言おうかと迷った末にクルミならいいかと正直に話してしまうことにした。


「あー……俺、校内でひっどい勘違いされてるからな」

『…………勘違い?』


 いつしか返ってきたクルミの声音は鋭く、刺々しくなっている。怒りの感情が伝わってくるようだ。


「いちおう俺も詳しいわけじゃないんだけどな。なんでも、俺がテストで不正したのを見逃されてるらしいんだよ」

『え、それって……』

「もちろん俺は何もしてない。ただ、いつの間にか広まってたみたいでな。たぶんもう手遅れだよ」


 そう言い切ると、海斗は深く長く、ため息をつく。

 クルミの息を呑むような声が声が聞こえて、それからどこまでも心配そうに問いかけてきた。


『海斗くん。それ、先生と両親には……?』

「先生には言ったけど、親には心配かけたくないから口止めしてるよ。それに下手に手を出して、悪化するのも怖いからな」


 だから、クルミも動かないで欲しい。言外にそう言って突き離す。


『…………そっか』


 すると、クルミの悲しそうな返事がして、海斗は正直に話したことを後悔した。


『ねえ、海斗くん。一つだけ聞いていい?』

「いいけど、なんだよ」

『もし海斗くんが転校できるなら、したい? したくない?』

「え……」


 思わぬ質問に絶句する海斗に対し、クルミが急かすように問いかけてきた。


『ほら、いいから。答えてみてよ』

「そりゃあ、したいに決まってるだろ。……でも、なんで急に?」

『んーん。なんでもなーい』


 じゃ、またね、という言葉を最後に、プツリと電話は切れてしまう。


(まさか……いや、それこそまさかだよな)


 海斗が右手に握る携帯電話からは、ツー、ツー、と断続的に電子音が鳴っていた。






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