⑤ 遺志反応と≪ロクリエの祈り≫





「やいチペ、あんたはダイハンエイをなんだと思ってんだい?」


 へ?と聞き取りづらそうに顔をぎゅんと向ける。

 それだけで精一杯なほどヒマ号内部はぎゅうぎゅうだった。


「あは、でもさ、がんばれば入るもんだね。あ、サムラキさんそこは触っちゃダメですよ。」


 運良くサムラキの小屋へ着く前に出会うことができたので乗せることにしたのだ。


「そか。じゃあこっちはいいのか?」


 どうやらこうしてリドミコと一緒にいる時だけサムラキは機嫌が良くなり意味ある言葉で話してくれるらしい。


「うあ、バカ押すな。リド? 大丈・・・リドっ! なんか首が変なふうに曲がってるぞっ!」


 で、神殿の場所が知りたいからとサムラキをこくぴとに乗せたはいいが、リドミコも隣にいないとお願いも聞いてくれない。では仕方ない、ということでリドミコとサムラキを詰め込んだまではよかったものの、そうなるとアヒオは黙って外で待機、というわけにはいかなくなってぎゅうぎゅう詰めなのだ。


「あ、ほんとだ。リドミコ、ちょっとこっちに足伸ばしていいよ。・・・くげっ? なんでアヒオさん短刀とか持ってるんですかっ! 危ないですよこんな狭・・・ふおっ、誰かっ、誰かおならしたでしょっ!」


 もふーんとアヒオの足が飛び出たままの半開きのはっちから、どうにもたまらないやつがはみ出してくる。


「はもーんっ! 何だに? これは、これはいったい何の危機だにっ?」


 だのではっちのあるダイハンエイ背中部・伝通管にしがみつく者たちにも危害が及ぶ。


「おふん、こ、これはなかなか・・・これはなかなか・・・」


 気絶しそうな自分を保とうとするも、なかなか侮れないやつにヤアカもお手上げだった。


「あははー、後ろは楽しそうだねぇ。こっちなんてさっきから小枝がぱっしんぱっしん当たってきちゃって痛いのなんのって、あっはっはっは。ねぇ、困っちゃうよねーロロンちゃん。」


 ダイハンエイ腹部にあたる伝通管にしがみつく者たちもそれなりに苦労しているようだ。それでも誰一人降りて歩こうという者はなかった。右から左まで不精モンばかりなのだ。


「あ、なんだか向こうは木の頭が見えなくなってきたよニポ。ここより開けた所に出られるのかな。」


 そんなこんなしていると「びじょねる」と呼ばれるヒマ号視覚画面でもそれが確認できるところまで来た。


「ここだあっ、ほしふせはふせないとしんちゃあ。」


 そこでだいぶ苦しそうに蓑をカサカサ言わせてサムラキが叫ぶ。何者かによるファンタスティックなやつでくらくらしている内部のキペたちはその大声に卒倒しそうだった。


「ぬぅおう、わかった。な、聞こえるからよ、静かに話してくれ。あと、意味がよくわからんのだが・・・おいネズミ出っ歯、わかったか?」


 それぞれの詳しい説明や紹介はできていなかったがニポに知識があることは分かったようだ。


「あとで噛み殺してやるから覚えてろヤブ蛇野郎。ただ残念だけどわかんないね、ほしふせってなんだいヌル=ヌル男?」


 ここまでろけとだっしゅで来たのもあり実はけっこう体に痺れがきていたニポがイライラし始める。いつも以上に目つきが鋭くなっていることにそこでようやくキペは気付いた。


「ニポ、もうこの辺でいいよ。みんな、降りてっ。」


 まとまりのないありあわせの集団とはいえ指示が出ればそれに従う。

 遺産を狙う学者と商人、『ファウナ』に反目するニポやアヒオ、訝るシクロロンや敵視されているユクジモ人のリドミコ、それに自由なサムラキやエレゼさえも、そのどれにもしがらみを持たないキペにだからこそあるいは耳を傾けるのかもしれない。


「ぽにゅう・・・よっと。ほらリド、掴まりな。」


 体半分が出ていたアヒオとリドミコが降り、それにサムラキが続く。


「ニポ。肩に掴まって・・・よっこら。ご苦労さんね、ニポ。」


 肩に担いだその腕の痙攣が疲労を如実に物語っている。

 キペは腰を下ろせる場所を選んでそこにニポを座らせた。


「あ、大丈夫ですか? ニポさん、顔が真っ青ですよ?」


 あわわ、どうしましょ、とシクロロンはおろおろする。ダイハンエイの操作に体力を奪われるとは思い至るはずもなかったのだから当然だ。


「ニポちゃんは休ませよう。どうやらあの木やツタに呑み込まれている石窟がそうなんだろうからねぇ、もう仕事は半分終わったようなものだろう?」


 そこには霧がかかったような湿地が広がり、奥ではうっすらと佇む黒い口が見えている。

『ファウナ』から支給されたがすますくがあれば呼吸器系からの《膜》の被害は免れることができるものの、それ以外については無防備だった。


「うおうっ! 財宝だなやっ! 財と宝がアタシを待ってい――――」

「ちょっと待ってください。ワタシも詳しいことは知らないのですが学術的にも《膜》・・・≪ロクリエの祈り」に効果があることは立証されています。何か対策を講じなければ危険が伴いますよ。」


 さすがに神殿についても調べていたヤアカがダイーダをたしなめる。研究題材にしろ財宝にしろ重要な世界の秘密にしろ、手に入れるのは命があっての物種だった。


「同感だな。だがどうする? どうやらキペとモノかじり女はがすますくがあるらしいが、葉毒や蜜毒は痛みもなく皮膚に付着、あるいは侵蝕する可能性もあるって話は聞いたことがある。ま、焼き払っちまえば手っ取り早いんだがな。」


 あ、それなら何かあったような、とダイーダは背負い袋を下ろして中身を確認する。

 瓶詰めにしてある鉱物やすり潰した干し薬、何を測るのかわからない計器やポケットサイズの工具などがじゃんじゃん出てくる。


「うーん、あ、これっ! あの、ダイーダさん、この骨虫粉の薬、分けていただけます? ニポさん気持ち悪そうなので。」


 探し物に夢中のダイーダはそんなシクロロンのささやかな声には気付かない。だのでアヒオが代わりに答えてあげる。


「持っていけ。大丈夫だ好きなだけ使っていい。な、リド。」


 なぜリドミコに同意を求めるのだろうと不思議に思いながら見遣ると、うん、と元気に少女は頷く。いいと言っているのだからいいのだろうが、カーチモネ邸から金目の物をかっぱらってきたアヒオなだけにキペは心底信じてあげることができずにいた。


「ごふぅ、・・・ダ、メだ、焼くな。」


 そこで気を失いそうなニポがシクロロンに抱きかかえられながら誰となく手を伸ばして声を絞る。それは大袈裟だ、と軽く笑って済ませられるほど気楽な疲労感ではないようだ。


「どうしたのニポ? ダイーダさんっ、ニポが焼いちゃダメって言ってますっ!」


 そんなキペの大声にようやく一行はニポの言葉に耳を傾けた。

 知識も経験も腕力も行動力もない男の声は、誰をも裏切らない信頼のできる温度だけしか持ち合わせてはいなかったが、ヒトを惹きつけるにはそれだけで充分なのかもしれない。


「詳、しくは、知らないけどねえ、《膜》に用いられる、植物の中には、生焼けだとマズいモンもあるんだよ。

 ・・・ちょいとあんた、ちったぁ薬のこと知ってんなら、毒とか遺志反、応とか知ってんじゃな、いのかい。・・・ま、あとは、頼むよ。」


 がくん、となってよろよろしていた手がぱたりと落ちる。


「ニ、ニポさあぁぁぁーんっ!」


 やってみたかったのでニポを抱き寄せながら空に向って膝をつくシクロロンが叫ぶ。

 じゃあせっかくなので、とみんなも虚空を見上げてみたり歯を食いしばってうつむいたりそこらの樹木を殴ったりする。

 場面を彩るのはエレゼの鎮魂歌だ。

「あ。というわけでニポさんの続きを説明しますね。えと、キペさん、これニポさんに飲ませてください。


 うんと、まず注意しなければならないのが「遺志反応」と呼ばれる生物の活動です。


 とても稀有な現象なのですが、死や絶滅などの危機を感じ取った時、特定の生物はそれらを回避する反応、または自身が滅んでも子孫を残そうとする反応を示すことがあります。


 虫などを含む動物の多くは「自衛」がほとんどですが、植物や菌類・微菌類などは「子孫を残そうとする行動」が顕著になります。


 ニポさんが言いたかったのはこれら《膜》の植物、もしくはそれに寄生している菌類の遺志反応のことでしょうし、私も警戒すべきだと思います。」


 やや頭がフラつくキペ。それは決して《膜》のせいではない。


「んあー、おれはそういったモンにゃ疎いんだがよ、焼き払っちまえば胞子だの微菌だのってのも無事じゃいられないんじゃないのか?」


 ニポは死んでいないが鎮魂歌はまだしめやかに続いている。ヤアカに至っては手を合わせる始末だ。なんだかんだやっているものの、一行も疲れているのかもしれない。


「ここがある程度乾いた土地であれば、ってことだなや。

 湿地じみてるこんなトコじゃうまく火がついても蒸し焼きになってしまうんだに。そうなると危機認知の時間が確保されることになって、遺志反応も引き起こされやすくなるんだなや。

 そこのお嬢さんは言ってなかったがに、遺志反応ってのは生き延びるための知恵や工夫が詰め込まれたモノなんだなぃ。毒素を多分に含んでいたり、体内に寄生して免疫力を低下させたりなんてのも聞かない例ではないんだなや。


 ま、動物に寄生する時にはその個体を養分にするから当然といえば当然の流れなんだに。・・・よ、っこい。」


 そう言ってなにやらよく解らない粒の入った袋を取り出すダイーダ。

 さすがに薬草を扱っているだけあって植物に関する知識も有してはいるようだが、その取り出したものが解決策になるようには思えなかった。


「うん? ダイーダさん、そこまでわかってるのに何してるんですか?」


 飲ませても飲ませてもこぼしてしまうニポをひっぱたいて飲ませたキペが振り返って見る。

 するとダイーダは待っていましたと言わんばかりにぬふふと笑って取っ手の付いた筒を用意し始めた。空気を送り出す時に使う筒のような形だが、筒の先っちょにはそれらしいものはない。


「これは吸水粒だに。んで、これをこの削石機で粉にするんだなや。普段は乾いた樹液とか骨とか木の実や根を砕いて薬やらにするものなんだがに、ま、財宝のために使用してもいいかなと思ってなぃ。


 とにかくこの吸水粒を粉にしてバラ撒けば生焼けは回避できるというわけなんだなやっ! ぐふふ、アタシは本当に機転が利くなぃ。


 さ、使い方はいたって簡単っ! 筒に入れてこの取っ手をぐるぐる回せば中の刃が砕いてくれるのでやってくれにっ! んん、ただこれ疲れるからあんまり好きじゃないんだなや・・・あや、お嬢ちゃん?」


 ほい、とアヒオに手渡そうとしたダイーダの目に留まったのは、いつのまにか《膜》の中を歩き出していたリドミコの姿だった。


「リドっ?」


 それを見止めるや否やすかさずアヒオが駆け出す。


「よすんだっ、あなたまで危険に曝されてしまうっ!」


 制止するヤアカの声も虚しく、奥へ奥へと歩くリドミコを追いかけるアヒオだったが無様なほどすぐに膝から崩れ落ちた。


「アヒオさんっ!」


 矢も盾もたまらずキペもその中へと走り出す。


「キペさんっ!」


 追いすがろうとするシクロロンもニポを横たえて近づこうとするも、それはさすがにヤアカに腕を掴まれた。

 まだ目の届く所にいるのに、今はどうすることも出来ないのだ。


「アヒオさん、ほら、これを。」


 しゃっしゃっしゃと濡れた草を踏み分け、膝をついて狂ったように咳を繰り返すアヒオにキペはがすますくを差し出す。しかし、がはっがはっと目も顔も真っ赤にさせながらがすますくには目もくれず、アヒオは奥を指差した。


 止まらない咳に託したい言葉が、だからこそその震える指からきちんと伝わる。


「わかってます。でもアヒオさんの方が今はひどいんですから。じゃ、僕、見てきます。」


 そう残すキぺは睨めつけるアヒオにがすますくを取り付け、白く霞んだ湿地に目と耳を向ける。

 思い出したように吹く風が煙のような《膜》を掠める取ると、リドミコらしき人影が例の神殿へ向っていく姿が垣間見えた。


「アヒオさーん、僕、神殿のほうに行ってみまーすっ!」


 反応のないアヒオの影にそう声を張ると、キペはそのまま神殿へと歩いて行ってしまった。


 しゃっしゃっしゃ。


「「あう、お兄さま大丈夫ですか?・・・あれ、キペさんは?」」


 どうやらニポのがすますくを拝借してきたのだろうシクロロンが入れ違いにアヒオの元へ駆け寄ってくる。


「「も、もみゅん。・・・はぁ、やっこさんコレ置いて行っちまったよ。それよりもおまえさん、ずいぶん無理してくれるな。・・・げほん、ふう、体がなんか、違和感だらけだ。変なのが、回ってきちまったんだな。かはっ。


 とにかく、おまえさんはもう戻りな。葉毒に触れてたらどうしようもないが、幸いおまえさんの恰好は露出が少ないから、きちんと草を踏んで歩けばなんとかなるだろう。学者さんもいるから、そこで対策を練ってくれ。んじゃ、・・・っと。」」


 立ち上がろうとするも上手く足に力が入らなかったのかアヒオは無様にシクロロンへと倒れ込んでしまう。そのみっともない姿に、ただただ苛立ちだけが募る。


「「いけません。あなたこそ戻らなければダメですよ。さ、手を肩に。」」


 一人で歩ける、と手を振り払うこともできず、アヒオはそれに従い肩を借りて歩いた。


 しかしそうやって体を動かすと血の巡りが良くなってしまうのか、手足の感覚だけでなく視覚にまで影響が出てくる。リドミコを追いかけたいその心さえも、今はぐるぐる回る視界の中に埋没していた。


「「なあ、シクロロン・・・」」


 リドミコと出会う前、自分の全てを預けたいと思った組織があった。

 長が倒れ、名前を引き継いでいながら変わってしまった組織があった。

 自分を裏切った組織があった。

 大好きな部頭を奪った組織があった。

 不服もある。

 憎悪もある。


 でも、今はそれをどこかへ放り投げられそうな気がした。


「「どこか痛みますか? ちょっと休みましょうか?」」


 そして、だから、


「「いや。なんでもない。・・・ありがとう。」」


 もう少し、歩こうと思う。


 リドミコも心配だったが、心配をかけたくない者がいるからもう少し、強がっていたいなと思う。



 そうしてがすますくを付けた二人が霞の中から姿を現すと、錘絃を弾くエレゼが駆け寄ってきた。


「やあ、おかえり。キペくんとリドミコちゃんは行ってしまったようだねぇ。辺りの気温が変わってきたのかな、対流が起きて《膜》の霧が広がってきているんだ。サムラキくんとヤアカくんは順番で吸水粒を砕いているところだよ。」


 なぜか靄の中で晴れ晴れと笑みを湛えるエレゼ。


 だがそれどころではないのでアヒオたちはその後に続いて作戦を練ることにした。


「おおう、戻ってきたなや。じゃ、さっそくコレ回してもら・・・ぬおうっ、頭数が減ってるにっ! これじゃ、・・・これじゃすぐにアタシの番になってしまうんだなぃ。」


 現状の認識はとりあえず正しいので放っておく。


「いやぁ骨が折れる。しかしなんですな、こうやって地道に努力を重ねて一歩を踏みしめてゆくというのは、はは、なんと清々し・・・ほうわっ、霧が、もうこんな近くにまで来てまっせっ!」


 こちらも変わり行く近況へ正確な目が向けられているようなので放置だ。


「しかし、どうする? こうなってくると、吸水粒の粉を撒いて、火を放ったところで、どうにかなりそうも、ないぞ。」


 がすますくを外して横たわるニポの隣に座ったアヒオの顔も真っ青だった。呼吸器にも影響しているのか息も切れ切れだ。


 とはいえ引き返してしまったからにはもう、がむしゃらに走ってリドミコたちを追いかけたとしても連れ戻すのは困難だろう。そしてそれ以前に無茶を許してくれないほどニポとアヒオの体はぐったりとしていた。


「葉毒などについてはわかりませんけど、せめて霧だけでも吹き払えたのなら最短の距離も掴めるのですが・・・ダイーダさん、何か良策はありませんか?」


 同じくがすますくを外したシクロロンは手足や視覚の確認をする。痺れや違和感はないのでアヒオの倒れていた地点までは靴を履くなり草を踏みしだくなりすれば進めそうだ。


「アタシは武器屋じゃないんだに。それにこんな霧を吹き飛ばせる爆風なんて・・・

 あの、ずっと聞きそびれてたんだがなや、コレ、何だに?」


 コレ、と指したのはダイハンエイ。


 間近に見たろけとだっしゅなら爆風も起こせるがそれ以上に葉毒や蜜毒を全く気にすることなく進むことができる。


「そうか・・・なんで誰も、気付かなかったんだ、こんなに、デカイのに・・・」


 誰にも気づかれなかった上、それ自体がなんなのかさえ問われなかったダイハンエイ。魔人なのかなとは思われていたのだろうが三つもくっついているから別モノと思われていたのだ。


「ダメみたいですよ、アヒオお兄さま。この〔ろぼ〕はニポさんの指示にしか従わないみたいなんです。仕組みは理解できませんけど、きっとだからニポさんはこんなふうになっちゃったんだと思います。」


 相変わらず死者のように扱われるニポ。


「ちぃ。それじゃ、打つ手なしか・・・・・・ふぅ、仕方ない・・・起こすか。」


 残された唯一の手立てはニポを叩き起こすことだけなのだ。


「それもダメですっ! ニポさんには休息が必要です。それにあなたもですよお兄さまっ! 他に、他に何か手はあるはずです。」


 打つ手の見つからないアヒオと吸水粒の粉砕に疲れたダイーダ、下心しかないエレゼがわらわらとニポに群がる。そんな男たち、なかんずくエレゼから守るためシクロロンは両手を広げてニポをかばった。


「シクロロンさん、ワタシにはよくわかりませんが今はそれしかないのではありませんかな?

 リドミコさんにしろキペくんにしろ、アヒオくんの容態から鑑みれば命の危険も考慮しなければならないでしょう。そこのニポさんに無理強いはしたくありませんが、事は一刻を争うのですよ。」


 正規の医法師ではないぶんニポの容態についてはどうとも言い切れないシクロロンに、しかし今「決断」が求められていた。


 今まで誰も、担ぎ上げられてきた今までに一度たりとも求められることのなかった「それ」は、本物の決断だった。


「よ、・・ってたかって、大のオトナが、イジメてんじゃ、ないよ。・・・ったく。」


 そこでもんのすごい不機嫌な顔で目を覚ますニポ。


 そんな緩慢な動作にだから、シクロロンは言葉を飲み込んでしまう。


「ダ、メです。・・・私が、行きます。・・・確証はありませんが私もシム人ですから。自分でも部族がわからないのでシム人特有の特殊代謝機能がどう働くか疑問ですけど、免疫はたぶんみなさんより強いと思います。


 ・・・リドミコちゃんとキペさんを一人一人連れて帰れば、きっと大丈夫です。」


 それはまったく、正しかった。

 そして、立派だった。

 だからだろう、


「はっは・・・言うねえ、お飾り姫さん。ちょっと肩ぁ、貸してくんな。ヒマ一体くらいなら負担が軽くて済むからね、やってやるよ。ウチのパシェと三下がかかってんだ。

 ・・・コマっ! ヤシャっ! 分解だっ!」


 そしてシクロロンの肩を借りて立ち上がると、一番下にあるコマ号のとーちぱねぃに触れてニポは声を絞る。


 すると、ぎゅーん、がしょーんっ!とまた大袈裟な音と共にコマ号、ヒマ号、ヤシャ号が分かれて着地する。


 おおー、と拍手で応えるサムラキやヤアカの陰でニポはその苦痛を奥歯で堪えた。


「悪かったな、腹出し女。・・・見くびってたよ。ほんと、悪ぃ。

 サムラキ、ダイーダ、学者さん、おたくらちっこいから、中に入っててくれ。シクロロン、おまえさんもだ。しっかり、支えてやれよ。・・・エレゼ、おまえさんは、おれとこいつの上に乗っかろう。ますくを付けときゃなんとかなる。」


 ぐったりしたニポとぐったりしたアヒオに皆は従う。

 息も絶え絶えの男女に、その自信や思いに、みてくれや体の具合など度外視して言葉を受け入れる。


 強大な組織の長であることに安座して、皆が聞く耳を持つのが当然と思い上がって、でも聞き入れてくれないことに不満を抱いて拗ねていた自分がとても小さく、とても幼く、シクロロンは強く感じた。


 さっきのような場面であっても自分にこれほどの強靭な信念があったのならニポに無理をさせることもできただろう。そしてそれに、ニポ自ら従ったことだろう。

 そしてだから、ただの盗賊となじられたニポにシクロロンは光るものを見つけていた。

 それは『ファウナ』の中にいては、残っていては決して目に手にできなかったものだった。


「ヒマん中なら、換気機能も備わってるから問題ないけどさ、あんたは外でいいんだね? なんでも丸呑み毒歯ヤロウ。」


 引っ掴みあう気力が枯れていても皮肉めいた笑みだけは忘れなかった。


「ダメです、今度こそ私が外に出ます。お兄さまは中で休んでいてください。」


 よいこらせとニポをヒマ号へと運搬するちびっこ三人組。エレゼは曲を奏でながらそれを羨ましそうに眺めている。


「そうダメダメダメダメ言いなさんな。おまえさんは大切な・・・おまえさんは、女なんだ。中で出尽くし前歯の面倒見ててもらわなきゃならない。できるな、シクロロン。」


「おまえさんは大切な(中略)女なんだ(おれにとって、な)」が頭の中でいい塩梅に補正されながらこだまするシクロロン。


 割愛された「『ファウナ革命戦線』にとっての」がアヒオとシクロロンの気持ちを大きく隔てるものとは露とも思わない。


「しかしねぇアヒオくーん。ボクはねー、ニポちゃんとロロンちゃんに挟まれて揉みくちゃにされたかったんだよ? いやむしろ、揉みくちゃにしたかったんだ。もう今夜はメチャクチャにして、みたいにな――――」

「悪かったよ。このヤマ乗り越えたら好きにしてくれ。ほれ、がすますくだ。」


 ふんー、と不満の鼻息を漏らしてエレゼも仕方なしにがすますくをつける。

 それを見計らっていたかのようにふわーっと霧が手を伸ばしてきたところで準備が整った。


 エレゼの錘絃が鳴り止んだ森は、とても静かだ。


「「行くぜヒマっ! 待ってろ三下ぁっ!」」


 そして静寂を打ち破るのがほとんど趣味のニポの声がヒマ号を通して《膜》に轟いた。

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