④ 浮島シオンとメタローグ





 こんこんこん。


 ノックの仕方も落ち着きを帯び、サマになってきたようだ。


「団長、ただいま戻りました。」


 仮入団の時に切った髪はこの頃になってようやく顔に馴染んできた。

 そんな少年に何を見るのか、ごつごつとしたリゴラ族の男は自分のささやかな昔話を添えてさまざまを教え込んでいった。時代も環境も境遇も違う別部族だったが、今では誰もがその二人の間に絆を見て取ることができただろう。


「ご苦労ハユ。で、どうだった?」


 先ごろウルア執官史から『特任室』研究所への召集があった。ミガシ遊団長は手の離せない案件があったために同行できなかったものの、どうやらハユ一人で事は足りたようだ。


「あ、ありがとうございます。・・・あちっ、いえ、おいしいです。」


 上官以外には茶を立てることのないミガシも、自分に懐き忠誠を誓うこの少年にだけはつい甘い顔をしてしまう。

 子ども嫌いではなかったが、なんといっても接する機会がなかったのだ。ミガシ本人もここまで子どもに入れ込むとは思ってすらいなかっただろう。


「はは、そうか。いつかにもらった果実茶だ。上等なものらしいのだがな、俺にはよくわからん。

 ふう、しかし教皇も「お上」も何を目論んでいるのか。執官史に聞いたお前の血脈もいかがわしささえ感じられる。

 とはいえ単に俺の理解が足りないだけでは片付けられんからな。」


 教皇の配下・『特任室』がモクの獲得で活発になっているのは知っていた。ただそれと直接には関わらないながらも、最終的な目的のために多くの大人がハユを動かそうしているのが気になるのだ。


「教皇さまからの命令はありませんでしたが、お上、ええと、フローダイムさまより浮島シオンへと向うよう仰せつかりました。

 またウルアさまより「ついては遊団員を伴わせ大白樹ハイミンへの接見を実現させるように」と。追って遊団長には伝令が来るとのことです。

 フローダイムさまを帰宿とした蟲をつけてもらってますので、到達の頃合をみて放てば改めて指示を下すそうです。」


 まだまだヒトとしても団員としても半人前だったこともあり、ハユにとっても特別な任を帯びるのは悪い気がしなかった。なによりミガシにこうして一丁前に報告できることが、そして認めてもらえることが楽しみだったのだ。


「ふん。相変わらずヒトを傀儡のように扱う連中だな。」


 こんこん、とそこへテキパキした遊団員のノックが鳴るも


「失礼します。ウルア執官史より伝・・・」


 ハユを見つけて言い淀む。ハユに気を配らなくていい、と言われていたとはいえ、上級官僚の伝令となればさすがに迷ってしまう。


「かまわん。続けろ。」


 大きなソファにちょこんと座るハユも伝令員の言葉に耳を傾ける。

 自分が贔屓にされていることは団員たちの陰口と態度から分かっていた。しかしだからこそそれにうらぶれることも、またこの位置に安座することもしたくなかった。

 団員たちからも一人前だと言わせたいのだ。


「はい。東区近郊で散発的な統府駐在館への襲撃があったため周辺を含め厳重に配備するように、と。また浮島シオンへの護送事案には配慮を、とのことであります。では、失礼しました。」


 配慮、とは編成しうる最大限の努力を暗に示したものだ。


 精鋭をよこせと言ってしまえば兵団内外にその重要性が漏れるため、事前に兵を求める一文を添えておくことで目くらましとする手法だ。細かすぎる伏線ながら、蟲や紙鳥を使う時には意外と効果をもたらすので今も慣例として残っている。


「ふぅー。東区の襲撃もそうだが『ファウナ』が各地で小さな火の手を上げてるのは気掛かりだな。燃え広がることを願って取った行動というよりむしろ、我々の注意を散漫にさせているように見える。

 まあこちらは俺でなくとも部下で充分処しうる事案だ。問題はハユ、お前の護衛の編成だな。」


 大きな戦もない現在ならすぐにでも少数精鋭部隊は編成できた。

 しかしミガシが悩んでいるのは、自分も出るか、ということだった。


 混乱の小さな今のような状況であれば副長以下優秀な部下でも指揮は執れるだろうが、何かが起こった時に裁断できる権限を持つのはやはり自分だから二の足を踏んでしまう。

 それでも傀儡として扱われることに一物あるミガシには、自分たちを操っている者たちが何を遂げようとしているのか目にしたいという気持ちがないわけではない。


 前遊団長ヒナミの追撃指示など嫌なものもあったが、『スケイデュ遊団』の長へ抜擢したのがロウツ教皇であり、口添えしたのがフローダイムであることは重々承知している。

 そんな経緯もあるから自分も行くと簡単に割り切れる話ではなかったのだ。


「わたしのほうは大丈夫です。それよりもどんな理由であれ、力に訴える者を許してはいけないと思います。

 ・・・わたしはまだ正式な遊団員ではないですけど、オレたちの力があればせめて守ることはできるはずです。オレがここで頑張ろうって思ったのは、ヒトを守る力を持っているからです。浮島シオンにも、だから行くんです。

 だからオレは、あ、わたしは二の次で構いません。咎のないヒトを守ることを優先させてください。すみません、オレ、わたしなどが意見を述べてしまって。」


 省みて謝るハユと、省みて己にすら言い訳していたことに気付くミガシ。


「そうか・・・ならば東区には第一連隊の一部を常駐させておこう。万が一に備えて全部隊は遣れないが被害や状況に応じて再編隊させれば問題あるまい。

 ハユ、急ぐか? ならばとっとと準備をするぞ。」


 へ?となっているハユも、その意味に頭が及ぶとすくっと立ち上がってミガシの装備の取り付けを手伝った。


「あ、あの、団長・・・」


 常用の制服を脱いで編み金服や略式の防具を身につけるミガシは、大きかった。

 ハユ一人では本当は不安だったのだが、そんなものまで吹き飛ばしてしまうほど、大きかった。


「暴力は俺も許さぬところだ。だがそれはここの遊団員とて同じこと。そして咎なき弱き者の盾となる決意もまた然り、だ。

 ふふ。お前のような仮団員の護送に人手は割けぬからな、二人分はある俺なら一人で事足りるだろう。駆け馬も一頭で足りる。ま、こいつも俺の馴染みなのでデカイがな。」


 もう、ミガシを引き止めるものは何もなかった。


 幼さ故かもしれないその真っ直ぐな信念を、しかし守り抜いてやりかった。故郷の村に悲劇があってなお鍛えられた確かな心が、力を持ちながら打算や融通に腰を曲げてきたミガシには光明にさえ見えたのだ。


「戦う」「勝つ」ばかりを教え込んできた自分が今、それよりも手を伸ばしたいものがハユの中にはあった。

 もし兄が見つからずみなしごになってしまった時はハユを自分の息子にしてみたい、と素直にそうミガシは思ってしまう。


「あ、ありがとうございますっ! ミガシ団長っ!」


 くぅん、となって防具を括る力が弱まると、しっかり縛れ、と怒られる。だのでまたくぅん、となってしまうが、それでもハユはうれしかった。近くに居続けてくれた者が近くに居続けてくれるということが、あたたかかった。


「兄の方はもう少しお預けになる。話によれば風読みは聖都から出て行ったとのことだ。お前の兄もそれに同行しているのならもうしばらく捜索に時間が掛かるだろう。

 だが案ずるな。シオンより戻ってくる頃には所在は突き止められているだろう。待てるな、ハユ。」


 ふきゃん、と頷く。


 キペにも早く今の自分を見てもらいたかったから。

 気弱な、声の小さい猫背のキペもきっと褒めてくれるだろうから。

 ハユ、立派になったね、なんて言ってくれるから。


 そう思うと、そう思い描くと、また力がぐーんと涌いてくる。

 帰ってきたら会えるという言葉が、なけなしの力を駆り立ててくれた。


「がんばりますっ!」


 そうしてぎゅっ、と結ぶハユに、それはキツ過ぎだ、と怒るミガシ。


 高価な果実茶が冷めるまで、それは続いた。





 季節の止まぬ雪風を抜けると、大所帯が訪ねてくるとはとても思えない辺鄙な集落に一隊は辿り着いた。目的地となる浮島シオンがギコム湖の向こうに霞んで見える距離に選んだ中継地のようだ。

 そこではそんな住居跡を簡単に修繕した援護部局の食糧班がルマ一行を待っていた。

 荷の軽い食糧班はその数も絞れていたため森を突っ切ったルートを選ばせていたのだ。


「すぐにでも向われたいのでしょうがルマ様、いま少し兵を休ませるいとまを頂きたいところですな。」


 ケタ族の背の低い老翁が兵を見渡す青年に声を掛ける。

 それどころではないほど勇み立っているのは理解できたが、ユクジモ人にとって極寒の山越えは体力と気力を奪うものでしかない。今は信頼と士気を最頂点にまで引き上げなければならない局面だった。これから待ち受けている大規模な戦を体験するのは、多くの者が初めてだったから。


「キビジ・・・先の食糧班につけられていた蟲、どう思う? お前の嫌いなヒナミからだが看過はできん。」


 聖都を管轄するヒナミからの蟲、となれば気にならないわけもない。


「信憑性に疑問は残りますが、わざわざルマ様の心を乱そうと嘘を吐くとも思えません。真贋の程はあの男に任せるにして、今は為すべきことのために目を向けた方がよろしいかと。

 ・・・場所が場所ならあるいはと思います。しかしよもやコロナィを引き合いに出してくるとは。あやつも時を考えればいいものを。まったくあの男の勝手にはほとほと呆れてしまいますな。」


 ふ、とそれに合わせて口の端を上げてみるも、やはり長くはもたなかった。


「そう言うな。それとも、いや、お前を疑うわけではないが山での話もあったろう。偶然にしてはあつらえすぎに思えてな。

 どのみちまだユクジモの民衆には伝わっていないのだろう? 我々としても今はまだ公表されては困るからな、黙っているつもりだ。

 ただ、ヒナミの話が本当だとするなら我々のいま為そうとしてる一歩がさらに大きな飛躍となる。

 おそらく、だからこそカセインは隠し続けてきたのだろう。

 失敗すればさらなる離反と信頼低下は免れ得ぬ。だが一方で成功の対価は我々『フロラ木の契約団』に限らずユクジモ人全体の意志を統合するに至るはず。

 ・・・ふふ、キビジ、お前の言うとおり目前の為すべきことを全うしたなら、その暁には我々はきっと大きな求心力を得られることだろう。無論、俺という旗もそれを求めるに値する色を手にできるしな。


 大白樹ハイミンの奪還、か。

 くく。こんな大博打、確かに多くのユクジモ人を束ねていたカセインには不可能だった。今こうして少しずつ閉ざされていた歴史や推移、そういったものが解るようになってようやくカセインの頑是無い保守主義が納得できたようだ。

 卑屈な見方だが、カセインにしろ時代にしろ、俺のような向こう見ずがこんなふうに行動する瞬間を虎視眈々と狙っていたのかもしれんな。

 しくじっても責を押し付けることができ、成功してもその由縁を紐解けば果実を民衆へと分け与えることができる。くく、英雄が光を浴びるのではなく、英雄で光を浴びるよう仕組まれていたのかとすら思えてしまう。


 ふ・・・ダメだな、どうも疑心暗鬼になってしまって。俺も少し疲れたか。」


 そう言ってルマは囲暖敷の今は亡き名家の居間で火をくべる。


「ルマ様。敢えて申し上げますが、あなたはまだ若い。

 歳を重ねた者とてこの重責に心惑わす言葉が行き交えば悩むものです。心中慮るには至りませんが、わたしとて迷うでしょう。

 それでも目を上げ見渡してください。あなたに従うとあの山を越えた者たちを。彼らも、勿論わたしも、迷い悩む心を携えながらもあなたを選び、そしてついてきたのです。

 大白樹ハイミンの知恵を借りられるかは今もって不確定ではありますが、まずは堅固な柱を手にしなければ道は拓かれますまい。」


 争いを避ける者も争いに臨む者も、本当は一つの平和を願っているのはわかっている。

 にもかかわらず双方が異なる手段を選ぶ同種を「枷」のように見なしていることも知っている。そして一部にはそうした反発が同種の中でいざこざを引き起こしていることも耳にしている。

 ルマやキビジが、あるいは枢老院が懸念しているのはそうした「手段の違いにより生まれる同種のくだらない対立」なのだ。

 本来は手と手を取り合い共に進むべき存在が、目的を同じくする存在が牽制する情勢こそ、ユクジモ人の平和の枷なのだから。


「ああ。俺たちが大白樹を翳せばきっと古来種の知恵者たちも種の結束に一役買ってくれるはずだ。ユニローグに次ぐ存在であり、大白狼サイウンたちと並ぶメタローグのハイミンなのだからな。

 そしてもし、もし、ユクジモをひとつにまとめられたのなら、このような戦闘もせずに話し合いができるだろう。武具の代わりに農具を握り、木漏れ日と緑の風を浴びながら生きられる。

 はは、今では貧しかった辺境の村が耀かしく思い出されてしまうな。・・・キビジ、あともう少しだ。」


 疲れたか、そう言っていたルマもあとわずかのところまで近づいた理想に思いを馳せれば自信と元気がみなぎった。その健気に映る力強さに一抹の罪を覚えながらも、キビジはルマに頷いて返す。


 これより浮島シオンにいる『ファウナ』に気取られぬよう近づかなければならないため見えていてなお遠かったが、もう手の及ばない願いではないのだ。

 たぎる熱情はその時にとっておくとして、今宵はゆっくりと暖を取り休むことにする。

 来たるべき日はもう、その目に映る浮島ほど霞んではいないのだから。

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