第22話――死神side――

 男は仰向けに空を眺めていた。

 レイナにやられて痛んでいた下半身も、感覚は今や曖昧である。

 顔を横に向けると、レイナと鬼の子が向かい合っていた。鬼の子は地面にぺたんと座り、その太ももには剣が突き立っていた。レイナに弄ばれているのだろう。

 廃病院にやってきた鬼の子を見たとき、驚いた。背丈は伸び、顔は大人びていたが、五年前に取り逃がした少女に間違いなかった。もはやどこか遠くに逃げ隠れて生活しているか、他の鬼狩りに殺されてしまったかと思ってたが、生きていたらしい。

 五年経っても少女の顔を覚えていたのは、彼女の母親のことをよく覚えていたからだ。

 少女を守ろうとした鬼の女――彼女は怯むことなく、命を賭して立ち向かってきた。

 男のほうが強く、力の差は歴然だったが、それでも鬼の女は引かなかった。

 死の間際に彼女が放った言葉は、今でもはっきりと覚えている。

「可哀想に……」

 一瞬、娘に向けての言葉だと思った。母を亡くしてこれから一人で生きていかねばならない娘を思い、思わず最期の言葉として口にしてしまったのだと。

 だけど少しして、違うのではないか、という考えが頭をもたげた。

 今はもう何も映していない虚ろな瞳だが、息を引き取る間際の目は、男を見ているようだった。

 鬼の女は、男に向けて「可哀想に」と言ったのではないか……。

 何が可哀想と言うのだろう。

 当時の男は分からなかった。

 けれど、その後も鬼狩りを続けていく中で、鬼を狩るたびに彼女の「可哀想に」という言葉が思い出された。

 可哀想に可哀想に可哀想に……。

 いつしかその言葉は楔のように打ち込まれ、男の頭から離れなくなった。

 やがて、殺した鬼が夢の中に出てくるようになった。鬼が下半身を潰されながらも、男に向かって手を伸ばし、呪詛を吐いてくるのである。

 寝覚めの悪い日が続いた。

 鬼の死体を持ち帰らず、燃やして処分することを思いついたのは、それからしばらくしてのことだ。現場も、逃走前の限られた時間の中でできるだけ元の状態に戻すようにした。

 効果は覿面で、呪詛を吐く鬼は夢に出てこなくなった。相変わらず、鬼の女の「可哀想に」という言葉は脳裏にリフレインしていたが。

 レイナに敗北し、特級から降格することが決まったとき、転属希望地を聞かれ、真っ先にこの街が思い浮かんだのも、鬼の女の言葉にずっと囚われ続けていたからかもしれない。ここに来れば、その言葉の意味が分かるかもしれないと、藁にも縋る思いがあったことは否定できない。

 鬼の女の言葉の真意を悟ったのは、今日――半人半鬼の少年から指摘を受けたときだ。

 罪悪感――。

 始めはその言葉にしっくりとこなかったが、少年の話を聞いて納得した。

 鬼の女は、男が鬼を狩ることに罪悪感を抱いていることを、見抜いていたのだろう。

 そんな男の境遇を憂い、「可哀想に」という言葉を放ったのだ。

「ちょっと~汚れたじゃ~ん。どうしてくれるの~」

 レイナがきいきい声を上げている。

 鬼の子は目を伏せて呆然としているように見えた。

 男は顔を動かして、少し離れたところに落ちていた大鎌に呼びかける。

「……黒斬り」

「何だ相棒? オレ様の力を御所望か?」

「……ああ」

「ボロボロにやられちまって……。見るも無残じゃねえか。おかげでオレ様のお先も真っ暗だ」

「……すまない」

「……そう簡単に謝られちまうと、調子狂うぜ、ほんと」

 黒斬りが、ふぅと小さなため息をつく。

「で、オレ様はどうすればいいんだ?」

「……助かる」

「けっ。礼なんて要らねえよ。オレ様も、あの女には散々イライラさせられてきたからな。ここらでちょっとやり返してやるのも悪くないって思っただけだ」

 男は下半身を引きずりながら、黒斬りのもとへと向かう。

 慣れ親しんだ柄に手を添えて、黒斬りに――最後の一撃について話す。

「ギャハハハハハ! それは最高だぜ、相棒!」

 レイナに聞こえないようにか、その声は控えめだったが、鬼狩りは心底笑っているようだった。

「それじゃあ相棒。最高の一振りを頼むぜ!」

 男は大鎌を真横に構え、投擲した――。

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