第18話

 拓哉たちは一度家に帰り、夜までの時間を過ごした。

「――行こう」

 拓哉は唯菜と亜耶香に声をかけて、家を出た。

 麓の駅で電車に乗った。人目があるため、刀は竹刀を入れる筒状のケースにしまい、肩にかけて運んだ。

 乗り降りが激しかった車内も、やがて乗客は減っていき、拓哉たちの他に数人が乗っているばかりになった。

 車窓から見える街明かりも疎らになっていく。

「ここか」

 拓哉たちの降りる駅がやってきた。

 駅のホームは薄暗く、拓哉たち以外で降りる人はいなかった。

 無人の改札を出て、道を歩き始める。

 この辺りは人家も少なく、明かりがほとんど見当たらない。男に指定された廃病院のことは噂で知っていたが、行くのは初めてだった。

「……なあ」

 拓哉は左右を歩く二人に声をかけた。

「さっきから歩きにくいんだが」

 唯菜が右腕に、亜耶香が左腕に抱きついていた。

「だ、だって、恐いんだもん!」

「う、うう……」

 こんな調子で大丈夫なのか……。

 今から行く場所は廃病院。もっと不気味だと思うのだが。

「お兄ちゃん、ぎゅってして。そしたらあたし、頑張れると思うから」

 唯菜が上目遣いに見つめてくる。

 ……うん、唯菜は大丈夫そうだな。

 となると、問題は亜耶香だが――、

「うう……こ、こんなところに呼び出すなんて、許せないです。鬼狩り、ぶっ殺してやります……」

 …………うん、亜耶香も戦意は十分みたいだ。

 二十分ほど歩くと、廃病院が見えてきた。

 拓哉と唯菜は竹刀ケースから刀を出して、腰に差す。

 亜耶香は、額に角を生やして全力モードになる。

 廃病院の前には、広い敷地があった。かつては駐車場として使われていたのだろう。古い病院だったためか、地面にアスファルトは敷かれておらず、土や砂がむき出しになっている。至るところに雑草が生えていて、荒れ放題である。

 敷地内には街灯が立っていて、割と明るかった。拓哉と唯菜は夜目を鍛える訓練はしていたし、亜耶香は元から夜目が利くらしいから、たとえ真っ暗でも問題なく戦えたが。

「お兄ちゃん! あれ!」

 唯菜が廃病院の建物のほうを指差した。

 見れば、建物の前に人影があった。

 その人影もこちらの姿を認めたのか、近づいてくる。

「――来たか」

 人影――男は、拓哉たちから十メートルほどの距離で止まった。

 男が亜耶香のほうを一瞥する。

「約束通り、鬼も連れてきたようだな」

 今の亜耶香は角を生やしていた。一目見て、鬼と判断したのだろう。

 男は拓哉と唯菜のほうを見て、

「お前たちは、私がそこの鬼を殺すのを邪魔するつもり――そう考えていいのだな?」

 今にも男に飛びかかろうとする唯菜を片手で静止し、拓哉は答える。

「ああ、そうだ」

 拓哉は抜刀する。漆黒の刀身が露わになる。

 隣で唯菜も抜刀する。

 しかし――、

「あ、ああ……」

 亜耶香の様子がおかしい。己の体を両手で抱きかかえ、膝を震わせている。

「如月さん?」

 呼びかけるが、亜耶香は男のほうを見つめたまま「あ、ああ」と微かに声を上げるばかりだ。

「ちょっと亜耶香?」

 唯菜が肩を揺さぶると、亜耶香はがくりと膝を折って、地面に座り込む。

「しっかりしなさいよ!」

 唯菜がいくら話しかけても、亜耶香は背中を丸めて体を震わせている。

「来ないなら、こちらから行くぞ」

 大鎌を構え、男が向かってくる。

 ――速い!

「唯菜! 二人でやるぞ!」

 この二週間。祖父を男に見立てたスリーマンセルの実践訓練も行っていた。しかし、どうやら亜耶香の状態を見るに、二人で戦うしかなさそうだ。

 男が高速で振るってくる大鎌を拓哉が受け流し、唯菜が男の隙をついて攻撃する。本来なら唯菜とともに亜耶香も攻撃に加わって、短期決戦に持ち込むつもりだったが、それは難しそうだ。

「やあぁあああ!」

 唯菜の攻撃は確かに男に届いていたが、傷が浅い。

 男がうまく体の位置を変えて致命傷を避けているのだ。

 それに、徐々に男は唯菜の攻撃に慣れてきているようだ。唯菜が空振りする回数が増えている。

 このままだと、形勢をひっくり返されてしまう。

「はあぁあああ!」

 拓哉はカウンターを仕掛け、一気に攻撃に転じた。

 拓哉と唯菜のダブル攻撃が、男を襲った。

 男は完全に防御に回っている。このまま押し切ってやる――!

「仕方ない。――〈黒斬くろぎり〉、手を貸せ」

 男がそう言うと、大鎌の動きが急激に良くなる。まるで拓哉や唯菜の攻撃を先読みしているかのように、無駄のない動きである。これが祖父の言っていた第六感か。

「――くっ!」

 気づけば、拓哉たちが防御に転じていた。

 マズい。押し返される――!

「――がっ!」

「――きゃっ!」

 拓哉たちは大鎌の攻撃を防ぎ切れず、後方に大きく吹き飛ばされた。刀で受けて何とか直撃は免れたが、まさかこれほどまでに男が強いとは思わなかった。

「ギャハハハハ! どうだ、オレ様の力を思い知ったか!」

 大鎌に口が浮かび上がり、不快な声を出す。

「黒斬り、油断はするな」

「おいおい相棒、オレ様の力を借りておいて、その言い方はねえんじゃねえの。もっとオレ様に感謝すべきだろ」

「私が死ねば、お前も壊される。それを忘れたわけじゃないだろう。お前が私に手を貸すのは、別に私のためではない」

「ギャハハハハ! その通り! よく分かってるじゃねえか!」

 どうやらあの大鎌の名前は〈黒斬り〉と言うらしい。

 男が死ぬと、大鎌は破壊される。だからこそ大鎌は仕方なく男に力を貸している――男たちの会話をまとめると、こんな感じか。

「にしてもよ、あの二人、前回よりも格段に強くなってるじゃねえか。それに、刀にも何度か噛みついてやったが、全然ぶっ壊れねえしよ。かなり頑丈だぜ、あれ。こりゃあ斬り甲斐がありそうだな。ギャハハハ――!」

「戦いを長引かせて、これ以上強くなられても面倒だ。手早く倒す。だが、女のほうは殺すな」

 どうやら男は約束を守ってくれるようだ。

「ああ? なんでだ? 女のほうもぶっ殺そうぜ。一人よりも二人殺すほうが楽しいだろ」

「いいから言うことを聞け」

「ちぇ、しゃーねーな。オレ様の寛大さに感謝しろよ」

「ああ」

「……こういうときは素直なんだからよ。ほんと、調子狂うぜ」

 男が一気に距離を詰めてくる。

「――くっ!」

 拓哉たちは二人で必死に男の攻撃をガードするが、やはり押し負けている。

 このままだと、いずれ――、

「しまっ――!」

 男の鎌が、拓哉の腹に直撃する。

「――お兄ちゃん!」

 激痛が走り、体が吹っ飛ぶ。

「――がっ!」

 勢いを殺しきれず、地面を転がった。

「ぐっ……がっ……」

 痛みをこらえながら、腹に視線を落とす。

 中に着ていた楔帷子が真一文字に切れ、腹から血が滲んでいた。もし中に何も着ていなかったら、今頃体が真っ二つになっていただろう。

「お兄ちゃん! 大丈夫!? ――きゃっ!」

 駆け寄ろうとする唯菜に、男が蹴りを浴びせた。

 唯菜が地面を転がり、その隙に男が拓哉のほうへと接近してくる。

 腹は痛いが、このまま蹲っていたら殺されるだけだ。

 唯菜も見てる。情けない姿を見せるわけにはいかない。

「うおぉおおお!」

 拓哉は立ち上がって、男の大鎌を刀で受け止めた。鍔迫り合いになる。

「ギャハハハハ! いつまで持つかな!」

 ――重い!

 段々と押し込まれている。このままだと、あと数秒も持たないだろう。

「お兄ちゃんに、手を出すなぁあああ!」

 視界の端で、唯菜が刀を振りかぶって近づいてくるのが見えた。

「大人しくしていればいいものを」

 男目掛けて、唯菜が刀を振り下ろす。

 男は大鎌を引いて後方に跳び、唯菜の斬撃を躱した。

「――お兄ちゃん! お兄ちゃん!」

 鍔迫り合いから解放された拓哉は、その場で膝をついた。

 腹部からの出血が激しい。

「お兄ちゃん、ちょっと待ってて!」

 唯菜はそう言うと、自らのシャツの裾を手で破り始めた。

「唯菜っ!? 何してるんだ!?」

「怪我人は黙ってて!」

 唯菜はあっという間にシャツの裾をぐるりと一周破ると、それを拓哉の腹に巻きつけた。

「ちょっと我慢してね」

 拓哉の腹を強く縛る。

「――うっ!」

 腹が圧迫されて、傷が痛んだ。

「よし! 応急処置完了っ!」

 遅まきながら、止血してくれていたのだと気づいた。

「唯菜……止血の方法なんて、どこで習ったんだ?」

「もしものためにって勉強してたの。お兄ちゃんの役に立ちたかったから。えへへ」

 唯菜は嬉しそうに笑った。

「……終わったか?」

 男が訊いてくる。

 男は悠然と立っていて、襲ってくる気配はない。唯菜が応急処置をしている間は、隙だらけだったはず。なぜ襲ってこなかったんだ?

「ギャハハハハ! とっとと倒しちまえばよかったのによ」

「不意打ちはしない。それが私のやり方だ。何度言わせる気だ、黒斬り」

「愚痴だよ愚痴。さっさと斬りたいのに待たされるオレ様の気持ちにもなってみろよ。ちょっとぐらい不満を言っても、バチは当たらねえよ」

 男は不意打ちをしないという主義を掲げているらしい。先日の取引の件と言い、男は生真面目な性格をしているようだ。

 拓哉は立ち上がって刀を構えた。唯菜が隣に並ぶ。

「準備はできたようだな」

 男が大鎌を構え、ぐんと迫ってくる。

 ほぼ同時に、隣に立っていた唯菜も風のごとく走り出した。

「――唯菜っ!?」

 先ほどまでは、拓哉が男の攻撃を受けて、唯菜が隙を見て剣戟を浴びせるフォーメーションだったのに、なぜ?

 ――もしかして、自分を気遣ってくれているのか。

 唯菜は拓哉の腹の傷がこれ以上開かないように、自分が積極的に男と刃を交えようと考えているのだろう。

「やあぁあああ!」

 唯菜と男の刃がぶつかり合う。

 キンッ、キンッ、キンッ――刃が幾度も交錯し、火花が散る。

 剣速だけであれば、唯菜は拓哉よりも速い。全身の使い方が上手いのだ。

 だが、男は唯菜の剣戟についてきている――それどころか、どこか余裕すら感じさせる。

「ギャハハハ! その程度じゃ、オレ様には勝てねえぜ!」

 大鎌の速さが少しずつ上がっている。

 唯菜も必死に食らいついているが、表情は険しい。

 二人の立ち位置がひっきりなしに入れ替わっていて、拓哉の入り込む余地がない。

 今すぐにでも唯菜を援護したい気持ちを押し殺しながら、拓哉は刀を構えて、その時を待ち続けた。

 そうして――、

「今だ!」

 二人の立ち位置が絶妙に定まった一瞬――拓哉は急接近して、男と唯菜の刃の狭間に、己の刀を滑り込ませた。

「――えっ! お兄ちゃん!?」

「交代だ! 唯菜!」

 拓哉は唯菜の代わりに男と刃をぶつけ合う。唯菜が、怪我をしている拓哉の分も、と頑張ってくれるのは嬉しかったが、無理をさせるわけにはいかない。

「――くっ!」

 致命傷は避けているが、男の大鎌で拓哉の全身の傷が増えていく。拓哉は今みたいな手数の多い刃のぶつけ合いは、どちらかと言うと苦手だった。唯菜のほうが上手くて苦手意識があるというのもあるが、強力で鋭い一太刀を浴びせるほうが単純明快で性に合っているのだ。

 だが、ここで引き下がるわけにはいかない。

 拓哉が男の攻撃を受け流すことで、男にわずかな隙が生まれている。

「やあぁあああ!」

 その隙を突いて、唯菜が刀を振るってくれている。

 拓哉は少しでも男の隙を作り出せるように刀を振るった。

 だが、無理をし過ぎたのだろう。

「――ぐっ!」

 先ほど大鎌で斬られた腹が痛み、束の間動きが鈍ってしまう。

 それでも大鎌からは目を離さなかったが――、

「――がっ!」

 拓哉の意識の隙間を突くように、強烈な蹴りが拓哉の脇腹に叩き込まれる。

 拓哉の体は宙を舞い、盛大に地面に打ち付けられる。

「お兄ちゃん! ――うっ!」

 意識を逸らした唯菜の腹に、男が峰打ちを食らわせた。強烈な痛みからか、唯菜はその場で膝をつき、うつ伏せに倒れる。

「……くそっ」

 拓哉は立ち上がろうとするが、先ほどの蹴りで腹の傷が広がったのか、痛みで起き上がることができない。

「さて……これで邪魔者はいなくなったな」

 未だ地面にぺたんと座って体を震わせている亜耶香に、男は歩いて近づくと、大鎌を振りかぶる。

「――終わりだ」

 亜耶香に向かって、大鎌が振り下ろされる――。

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