第15話

 美絵に刀の作製を頼んでから、一週間が過ぎた。

 拓哉たちは新たに加わった仲間――亜耶香とともに、祖父の家で鍛錬を積んでいた。

 亜耶香は拓哉たちとは違って刀を使わないため、別メニューである。

「や、やあぁあああ!」

 今は、祖父を相手に徒手格闘技を磨いていた。角を生やした全力モードである。

 一週間前はおどおどして声すら碌に出ていなかった亜耶香が、今は大きな声を出してパンチやキックを繰り出している。

「遅い! もっと速く!」

 防具を身に着けた祖父が、亜耶香の攻撃をガードしながらアドバイスする。

「は、はい! やあぁあああ!」

 元々センスがあったのだろう。この一週間で亜耶香はだいぶ体の使い方がうまくなっていた。パンチやキックの鋭さも格段に上がっている。

「お兄ちゃん! よそ見しちゃダメだよ!」

 竹刀を打ち合っていた唯菜が、鋭い一太刀を浴びせてくる。

「――っと」

 ギリギリで攻撃を受け流して、距離をとる。

 急激に成長している亜耶香を見て、対抗心を燃やしているのか、このところ唯菜の稽古に対するやる気が半端ない。特に、こうして打ち合いになると、まるで拓哉が仇敵であるかのように猛烈な剣戟を浴びせてくるのだ。

「唯菜。少し休憩しないか」

 しかも、先ほどからぶっ通しで一時間以上も打ち合いを続けている。

 喉が渇いたし、せめて水くらい飲ませてほしい。

 けれど、そんな拓哉の願いも虚しく、

「休んじゃダメ! あたしの剣で、お兄ちゃんの目を覚まさせてあげるんだから!」

 唯菜が距離を詰めて、竹刀を振るってくる。

 何を言っているのか意味不明だが、こうなったら、とことんまで付き合うしかない。

 拓哉は喉の渇きに耐えながら、打ち合いを続けた。

 そうしてついに、祖父から昼食の声がかかった。

 打ち合いが終了する。

「――ふぅ」

 我慢した後に飲む水はとても美味しかった。全身に活力がみなぎってくる感じだ。

 亜耶香はアイスを舐めていた。拓哉たちの家で食べてから、どうやらかなり気に入ったらしく、水分補給としてアイスを舐めている姿をよく見かける。

 ふと視線を感じたので目を向けると、唯菜が頬を膨らまして拓哉のほうを見ていた。

「……どうした?」

「何でもないもん!」

 唯菜がプイと顔を背ける。

 妹である唯菜とは、かれこれ十三年も一緒にいるわけだが、未だに唯菜の心の機微は分からない。

 近いうちに唯菜とじっくり話す機会をつくってみてもいいかもしれない。

 ひょっとすると、唯菜も色々と拓哉に話したいことがあるかもしれないし。

 そんなことをぼんやりと考えながら昼食を食べ、稽古を再開する。

 夕方になり、祖父が本日の稽古終了を告げる。

 拓哉たち三人は礼を言って、祖父の家を後にした。

 夏休みも半分を過ぎた。去年は、家族で花火大会に行ったり、海水浴に行ったりしていたが、今年は稽古三昧で、週一の休みも鬼狩り捜しに費やしている。

 同じ夏休みでも、その様相はがらりと異なる。

 拓哉は隣を歩く唯菜に目を向ける。

「どうしたの? お兄ちゃん?」

「あ、ああ。ちょっとな」

 少し目を向けただけだったのだが、唯菜は目ざとく気づいて小首を傾げる。

「変なお兄ちゃん」

 唯菜はそう言ってくすりと笑う。

 話している感じ、唯菜が疲れているようには見えない。

 だけど、稽古をつけてほしいと言い出したのは自分だからと、無理して元気よく振舞っているだけかもしれない。

 兄として、さりげなく息抜きを提案すべきだろう。

「あー、今日はいい天気だな」

「うん、そうだね」

「……」

 話題が見つからないときの雑談みたいになってしまった……。

 こほん。

 気を取り直して、拓哉は話を続ける。

「実はこの前、手持ち花火特集をテレビでやっててな。最近の手持ち花火は結構進んでいるらしい。俺もやってみたいなと思ってたんだ。――よかったら今日、家の庭で花火でもしないか?」

 我ながら自然でナイスな誘い方だ。

 これなら唯菜も誘いに乗ってくるのでは、と思っていると、

「手持ち花火特集! あたしも観たかった! どこ? どこの番組でやってたの?」

 なぜかテレビ番組のほうに食いついてきた。

 これは予想外だった。ちなみに、手持ち花火特集というのは真っ赤な嘘である。そんな番組、観てもいないし、そもそも放送されていたのかも知らない。多分放送していないだろう。

 観ていない番組について答えられるはずもなく、拓哉はごまかすしかなかった。

「さ、さあ、どこだったけな……」

「ええ~。忘れちゃったの。もう、お兄ちゃんってば、仕方がないんだから。今度やってたら、ちゃんとあたしにも教えてよね。――それにしても手持ち花火かぁ。やるの賛成!」

 ふぅ。どうやら危機は脱したようだ。

「如月さんも、よかったら一緒に花火しないか? 今夜はうちに泊まっていけばいい」

「は、はい! 花火! 楽しみです!」

「ちょっと亜耶香。頭、頭」

「ハッ! あうぅ……」

 どうやら感情が高ぶると角が生えてしまうのは相変わらずらしい。

 亜耶香は慌ててキャップをかぶり直している。額はキャップで隠れていて、角自体は見えないが、こんもりと額の辺りが盛り上がっているのが分かる。

 祖父の家から駅へと向かう道は、幸いにも人通りが少ない。不審に思っている人はいないようだ。

 拓哉はほっと胸をなでおろした。

 駅に着く頃には亜耶香も落ち着いたようで、額のこんもりは消えていた。

 電車に乗って三十分。

 拓哉たちは家の最寄り駅で電車を降りた。

 それから駅チカのコンビニに寄って、花火セットを買った。

「花火、楽しみ~」

「た、楽しみです!」

 花火に期待を寄せる唯菜と亜耶香。

 二人の表情は明るい。

 誘ってよかった、と拓哉も頬を綻ばせて、コンビニを出た。

「混んでるな……」

 ちょうど電車が通過した直後なのか、道は仕事終わりのサラリーマンで混雑している。

 人ごみの中で、ふと一人に目が留まった。

 その人物は、まるで人ごみなど存在しないかのように、すいすいと人ごみを進んでいた。

 身のこなしに感心しつつ、何気なくその顔に目をやった。

「――っ!」

 拓哉は絶句した。

 その顔に見覚えがあった。

 忘れるはずもない。

 一か月以上も捜し続けた男。

 ――鬼狩り。

 両親を殺した男が、そこにいたのである。

 男の姿が、人ごみに紛れて見えなくなる。

「ここで待ってろ!」

 拓哉は花火セットが入ったビニール袋を唯菜に預け、人ごみに飛び込んだ。

「お、お兄ちゃん――!?」

 唯菜の静止の声に構わず、人ごみを掻き分けて進んだ。

 ――いた!

 人ごみの先に、男の背中が見えた。

 拓哉は必死で後を追った。

 ――どこだ!?

 人ごみを抜けて、左右を見回す。

 路地へと入っていく姿が見えた。

「待て!」

 拓哉は走って、路地に飛び込んだ。

 男の姿はない。

 この辺りは住宅街で、道が左右に何本も走っている。

 どの道を男が選んだのか分からない。

「くそっ!」

 左右に並ぶ道に目をやりながら、拓哉は男の姿を求め走る。

 しかし――、

「――畜生! あと少しだったのに!」

 走る先で拓哉を待っていたのは、壁だった。

 男を見つけることができないまま、道は行き止まりになってしまったのだ。

 拓哉は壁に拳を叩きつける。

 折角掴んだ手がかりを、みすみす逃してしまった。

「……帰ろう」

 コンビニに唯菜たちを置いてきてしまった。困り果てているだろうし、早く戻らないと――。

「何の用だ?」

 背後から聞き覚えのある声がして、拓哉は身を固くした。

 カツ、カツ、と足音が近づいてくる。

 拓哉の脳裏に、殺された両親の姿がフラッシュバックする。

 込み上がってくる恐怖を押さえつけて、振り返る。

 間違いない。両親を殺した男が立っていた。

 拓哉の背後は行き止まり。まさに袋のネズミである。

 おそらく男は、拓哉が通り過ぎた左右の道のいずれかに身を隠していたのだろう。

 男を追い詰めたつもりになって、追い詰められていたのは拓哉のほうだったというわけだ。

「何の用だと聞いている」

 男の目は空虚で、相変わらず何を考えているのか分からない。いきなり襲ってこないところを見るに、依然として拓哉は討伐対象から外れているのだろう。

 男は大鎌を手にしていなかった。

 服は、前に見た死神のような黒装束ではなく、黒シャツ黒ジーンズといった格好である。

 どうやら普段から黒装束で大鎌を持ち歩いているわけではないらしい。

 道理で聞き込みをしても、一向に目撃証言が得られないわけだ。

「答える気がないのか? だったら力づくで吐かせることもできるが」

 淡々とした口調で、男が脅しをかけてくる。大鎌がなくても戦いには自信があるのだろう。あるいは、ただのハッタリか……。

 いずれにせよ、男とは一対一で話をしたいと思っていた。

 拓哉は唇を湿らせてから、口を開いた。

「俺は鬼の居場所を知っている」

「……ほう」

 男の眼差しは空虚だったが、口調は軽い驚きを表していた。

「それが本当だとして、なぜ私にその話をする?」

「鬼の情報を渡す代わりに、あんたに一つ頼みたいことがあるんだ」

「取引か。言ってみろ」

 ――食いついてきた!

 拓哉は、冷静な態度を崩さないように気をつける。がっついていると思われたら、足元を見られてしまうかもしれない。

「俺の妹が、あんたに復讐しようと躍起になっている。いずれあんたに戦いを挑んでくるだろう。そのときに、妹のことを見逃してやってほしい」

「妹を殺すな、ということか?」

「ああ」

 唯菜が男に再戦を挑み、今度こそ殺されてしまう可能性――拓哉はそれを心配していた。

 今回の取引は、その懸念をなくすのが狙いだった。

 拓哉の話を聞いた男は、意外な答えを返してきた。

「端からお前の妹を殺すつもりはない。討伐対象ではないからな。他に何か頼みがあれば聞いてやる」

 男は黙って首を縦に振ることもできたはずだ。

 そうすれば、タダで鬼の情報を手に入れられたのに。

 にもかかわらず、男はそうしなかった。別の頼みを聞こうとまで言ってきた。

 真面目な性格なのか、あるいは何か裏があるのか……。

 考えてみても、結論は出なかった。

 拓哉はもう一つ――後で話そうと考えていた内容を、取引として持ち出すことにした。

「今から教える鬼についてだが、討伐は次の日曜日の夜以降で頼みたい」

「なぜだ?」

「俺の知り合いなんだ。別れの時間くらいくれてもいいだろ」

「……いいだろう」

「取引成立だ」

 拓哉は亜耶香の情報を男に伝えた。

「確かに情報は受け取った。討伐は日曜の夜以降に行う」

 ここまでの話し合いで、拓哉は十分に目的を果たしていた。

 けれど、もう一押ししてみよう。

「時間と場所を指定してくれたら、俺が鬼を人気のない場所におびき出すこともできるが、どうする? 街中で襲うのもリスクが高いだろ」

「……どういう風の吹き回しだ。それでお前に何のメリットがある」

 しまった。やりすぎたか。不信感を与えてしまっただろうか。

 拓哉は焦りを顔に出さないように気をつけながら、軽い調子で答える。

「別に大した意味はない。取引したからには、できるだけ協力したほうがいいかと思っただけだ。それに、万が一にも鬼を討伐できなかったときに、やっぱり妹を殺さないのはなしだ、と手のひらを返されても困るからな」

 ちょっと苦しい言い訳だったか……。

「そんなことはしない。端からお前の妹を殺すつもりはないと言ったはずだ。――だが、そうだな。確かに鬼を人気のない場所に連れ出してくれるのなら、討伐は楽になる」

 男は少し間を置いた。拓哉の提案を吟味しているのだろう。

「その申し出、受けるとしよう。時間と場所は――」

 次の日曜日の深夜十時、街外れの廃病院に亜耶香を連れてくるように、男は言った。

 拓哉は頷いた。

 取引が終わって去ろうとする男を、拓哉は呼び止めた。

「――なんだ?」

 男が振り返る。

 拓哉の握り拳は、じっとりと汗で濡れていた。

 今日一番に緊張していた。

 次の拓哉の一言に、男がどのような反応を示すのか……。

 男の怒りを買って、ここまでの取引が水泡に帰す可能性も大いにあった。

 それでも、ここで何も言わなければ、拓哉たち三人の抹殺という最悪の事態が待ち受けているかもしれない。

 それだけは避けなければ。

「もし……もしも俺や妹がその鬼をあんたから守るように行動したとしても、妹を殺さないと誓ってくれるか?」

 男は相変わらずの空虚な目で拓哉を見つめ、

「いいだろう。そうなったとしても、お前の妹だけは見逃してやる」

 男は言外に、亜耶香の討伐を邪魔した場合、拓哉は殺すと言っているのだ。

 拓哉も自分が見逃してもらえるとは思っていなかった。唯菜の無事が保証されるのなら、それだけで大金星だ。

 そうして男は今度こそ、路地を去っていった。

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