第14話

 翌日の午前中。

 拓哉たち三人は、祖父の家へと向かった。

 今後は亜耶香の特訓も必要だろうということで、祖父に電話で事情を話したところ、一度会って話をしたいと言われたからだ。

「よー来たな。待っておったぞ」

 家に行くと、祖父は相変わらずの挨拶で出迎えてくれた。

 祖父が亜耶香と二人で一時間ほど話をしたいと言ったため、拓哉と唯菜は家の近くを散歩して時間を潰すことにした。

 周りに田んぼや畑が広がるあぜ道を、しばらく二人でぶらぶらと歩く。

「……あいつ、今どこにいるんだろうね」

 唯菜の言う「あいつ」とは、両親を殺した男のことである。

 拓哉たちはこの一か月、稽古休みの日曜日に、男の居場所を突き止めようと街で聞き込みをしていた。

 黒装束に大きな鎌を持っている人物など、あの男くらいだろうと考えての聞き込みだった。

 けれど、今のところ目撃情報は一つも得られていなかった。

 男はおそらく人通りの少ない道を選んで移動しているのだろう。大きな鎌を持っている人物が堂々と街中を歩いていたら、あっという間に警察沙汰になることも考慮して。

 聞き込み以外の方法がないか考えてみたが、いいアイデアは浮かんでこなかった。

 拓哉たちは地道に聞き込みを続けるしかなかった。

「鬼狩りのアジトでもあれば、捜すのも楽だったんだがな」

 祖父に聞いた限り、鬼狩り皆が集まるようなアジトはないらしい。皆、普段は一般人と同じようにアパートや一軒家などで各々暮らしているとのことだ。

 鬼狩りと言っても、特別に考えなくていい。私生活は国家公務員のそれと何ら変わらないと思っていい、とは祖父の言葉だ。

「それぞれの鬼狩りの活動区域は決まっているらしいから、直に何か手がかりも見つかるだろ」

 これまた祖父によると、多くの鬼狩りは地方公務員のように働く地域が決まっているそうだ。中には特級と呼ばれる超エリートの鬼狩りもいて、全国を飛び回って鬼を退治する鬼狩りもいるらしいが、彼らは皆、仮面を被っているらしい。

 拓哉たちの両親を殺した男は素顔をさらしていた。特級ではない。

 根気よく調査を続けていれば、いずれ尻尾を掴めるはずだ。

「焦る必要はない。あの男と戦って確実に勝てるよう、今は力をつける時期だ」

「……そうだね。焦りは禁物だよね」

 唯菜は自らに言い聞かせるようにそう言った。

「そう言えば、お兄ちゃん」

 一転して、唯菜が明るい口調で話しかけてくる。

「刀はどうだった? よさそうな刀、あった?」

 鬼狩りと戦うにあたり、拓哉たちには他にも考えなければならないことがあった。

 その一つが、戦いにどの刀を使うか、である。

 刀身が大鎌によって噛み砕かれてしまったのは、記憶に新しい。

 あれから家にあった刀をすべて集め、大鎌との戦いに耐え得るような丈夫な刀があるか調べていたのだ。

 刀の数としては、母屋と離れを合わせて、実に百本以上もあった。

 けれど、その大半が、先日砕け散った刀と同様、奇天烈なものばかりだった。

 刀身にバチバチと電流が流れる刀とか、刀身が蛇のようにぐにゃぐにゃと曲がる刀とか、刀身の先からマジックステッキのように花が咲く刀とか……。

 どれもこれも個性が強すぎて、使いどころが限られる――もしくは使いどころさえ分からない、奇天烈な刀ばかり。

 普通の刀と呼べるものは、拓哉や唯菜たちが以前から使っていたものを含め、九本しかなかった。ひょっとすると、拓哉が「機能」に気づいていないだけで、それら九本の中にも奇天烈な刀が混じっているのかもしれないが……。

 ともかく、奇天烈な刀も含めて、取り敢えず使えそうな刀については、すべて刀身の具合を調べてみた。

 せめて一本でも――欲張るなら、唯菜の分も合わせて、二本の刀が丈夫であってほしい。

 そんな拓哉の願いも虚しく、いずれの刀身も、噛み砕かれた刀と同等もしくはそれ以下の出来だった。とてもではないが、大鎌に通用するとは思えない。

 そんな風なことを、ざっくりと唯菜に話した。

「そうなんだ……。刀もなんとかしないといけないね」

 唯菜は、うーん、と腕を組んで悩ましげだ。

 けれど刀の問題は、この後、思わぬ方向から解決を見ることになる。

 

 一時間を少し過ぎてから、拓哉と唯菜は祖父の家へと戻った。

 居間に入ると、笑顔の祖父が迎えてくれる。

「おー、戻ったか」

「お、お帰りなさい」

 祖父の向かいに座る亜耶香も、特に恐縮している風ではない。

 どうやら話し合いは和やかに進んだらしい。

 祖父は湯呑のお茶を一口啜ってから、

「明日からは如月さんも連れてくるといい」

 亜耶香は祖父のお眼鏡にかなったらしい。祖父が鬼である亜耶香の稽古を認めるのか、正直半々だと思っていた。

 内心でほっとしつつ、今日は祖父の家でこのまま談笑するのも悪くないかと思っていたところで、亜耶香が言った。

「あ、あの。よければこの後、私のアパートに来ませんか?」

「如月さんのアパートに?」

 亜耶香の言葉の真意を測りかねていると、祖父が言う。

「如月さんのアパートの大家が、刀鍛冶師をしておるそうだ。この前、わしに刀について相談しておっただろう。わしでは力になれなかったが、その人であれば力になってくれるかもしれん」

 そういうことか。

 拓哉たち三人は祖父の家を後にして、亜耶香の住むアパートへと向かった。


 亜耶香のアパートの最寄り駅は、祖父の家から電車で三十分――拓哉たちの家の最寄り駅と同じだった。

 亜耶香がチンピラに絡まれていたのは、この駅近く。

 初めて彼女を見かけたのも、この駅のホーム。

 亜耶香と再会したときは運命を感じたものだったが、単にこの辺りが彼女の生活区域だったということらしい。

「ここから徒歩五分くらいです」

 亜耶香の住んでいるアパートは住宅街にあった。

 アパートの外観は、どこにでもあるような二階建ての木造アパートだった。

 刀鍛冶師が大家をしているアパートだと聞いていたから。「アパートも鉄を叩いて自作しました!」的なことを想像していたのだが、そういうわけでもなさそうだ。

「こ、こっちです」

 亜耶香に連れられて、アパートの裏手に回った。

 そこには、小屋が建っていた。

 小屋の中から、キンッ、キンッという音が漏れている。

「す、少し待っていてください」

 亜耶香はそう言うと、ドアを開けて中に入っていった。

 少しして、開いたドアから亜耶香が顔を出し、ひょいひょいと手招きしてくる。

 拓哉と唯菜は顔を見合わせてから、亜耶香が開けてくれたドアから小屋へと入った。

 一人の女性が、真っ赤に燃える鋼を打っていた。

 キンッ、キンッ、キンッ――。

 小槌が振り下ろされるたび、甲高い音が響く。

 鋼はすでに刀の原型になっていて、薄く細長い。

 女性の瞳はまっすぐに鋼へと向けられている。拓哉たちが入ってきても、鋼から目を逸らすことはなかった。

 女性は繰り返し鋼を小槌で叩き、さらに刀らしい形へと仕上げていく。

 拓哉は食い入るようにその光景を見つめていた。

 どれくらい経っただろう。

 鋼を打つ作業がひと段落したらしく、女性はそれを脇に置いた。

「悪いね。途中で手を止めるわけにはいかなかったんだ」

 拓哉たちが入ってきたことには気づいていたらしい。

 彼女は頭に巻いていたタオルを外しながら、拓哉たちのほうへ目を向けた。

 長い赤髪が、はらりと揺れる。歳は二十代前半くらいだろうか。勝ち気な目が印象的な女性だった。

「あたいに話があるんだって?」

 亜耶香が軽く話をしてくれたのだろう。

 世間話はそれほど好きではないし、早速要件に入ってくれるのはありがたかった。

「はい。丈夫な刀を探していて。もしよければ、打った刀を近くで見せていただくことはできますか?」

 拓哉は小屋の中を見回す。中は想像していたよりも広かった。四面の壁を埋め尽くすように、女性が打ったと思われる刀が飾られていた。

 できれば女性にオーダーメイドで刀を打ってもらいたかったが、さすがにそれは難しいだろう。

「好きなだけ見てくれて構わないよ。それにしても、丈夫な刀、ね。刀は本来丈夫な物のはずなんだがね。『折れず、曲がらず』と言うくらいだから。わざわざと付け加えるってことは、かなりの代物を探してるってことかい。一体何を斬ろうってんだい?」

 喋る大鎌に噛み砕かれない刀を探している、などと言って信じてもらえるとは思えない。

 それに、そのことを話すには、自ずと鬼狩りや鬼のことにも触れなければならなくなるだろう。

 拓哉が鬼や鬼狩りの存在を認めているのは、亜耶香やあの男との出会いがあったからだ。それらがなければ、鬼や鬼狩りなどと言われても、到底信じることはできなかっただろう。

 まさか、この場で亜耶香に「角を生やしてくれ」などと言えるわけもないし――などと悩んでいる拓哉に、亜耶香が言う。

「た、拓哉さん。美絵みえさんは、私が鬼であることを知っても、親切にしてくれました。私に居場所も与えてくれました。だ、だから、すべて話しても、大丈夫だと思います」

「お、まさかそこまでーちゃんに信頼されてたとはね。あたいも鼻が高いってもんだ」 

 美絵というのが、この女性の名前なのだろう。

 それにしても、美絵は亜耶香が鬼であることを知っているらしい。

 亜耶香は鬼狩りからの逃走中に美絵に助けられたと言っていたから、おそらくそのときに美絵に角を見られ、正体を知られたのだろう。

 亜耶香の言う通り、美絵が善意から亜耶香に親切にしているのであれば問題ないが、悪意が潜んでいることも考えられる。

 美絵とは会ったばかり。拓哉はまだ彼女が信頼に足る人物なのか見極められないでいた。

「ふーむ。だけどどうやらそっちの拓哉君? からは信用されてないみたいだ。あたいたちは会って数分しか経ってない。当然と言えば当然だ。だけど拓哉君、これだけは言わせてもらおう。――君は、亜ーちゃんの言葉も信じないつもりかい?」

 次の瞬間、美絵からむき出しの敵意が放たれた。

「――うっ!」

 大量の氷水を頭から浴びせられたような寒気に襲われる。

「お兄ちゃん!?」

 異変を感じたのか、そばにいた唯菜が心配げな目を向けてくる。どうやら敵意は拓哉だけに向けられているらしい。

「さあ、どうなんだい?」

 敵意が強まる。膝が震えて、とてもじゃないが立っていられなかった。

 拓哉は膝をつく。

「お前かぁあああ!」

 元凶を悟った唯菜が、怒りの声を上げて飛び出した。美絵へと向かう。

 マズい!

 ここで争いに発展したら、刀を見せてもらうどころの話ではなくなる。

「はあぁあああ!」

 拓哉は気合いで寒気を跳ね返した。体の震えが止まる。

 そのまま唯菜に追いついて、首根っこを掴んで動きを止める。

「ちょっとお兄ちゃん! 離してよ! 早くしないとお兄ちゃんが――って、え!? お兄ちゃん!? いつの間に動けるようになったの? 大丈夫なの?」

 唯菜が体をペタペタと触ってくる。

「俺は大丈夫だから、安心しろ」

「よかったぁ……」

 唯菜がその場で膝をつく。

「で、でも! お兄ちゃんに悪いことしたあいつは、やっぱり許せない!」

 立ち上がって再び美絵に飛びかかろうとする唯菜に、後頭部へのチョップをお見舞いする。

「うぅ……痛いよ、お兄ちゃん」

 後頭部を両手で押さえながら、唯菜が涙目で訴えてくる。

「言うことを聞かないからだ」

「うぅ……ごめんなさい」

「……いや、別にそこまで怒ってないぞ」

「そう、なの?」

 唯菜が、ちら、ちら、と上目遣いに見てくる。その顔がなぜか物欲しそうに見えるのは、拓哉の気のせいだろうか。

 前にもこんなことがあったような……。

 だけど、今回も唯菜が何をしてほしがっているのか分からなかった。

 結局、唯菜の表情には気づかなかったふりをして、「ああ、怒ってないから安心しろ」と言うに留めた。

 唯菜がぷくぅと頬を膨らませるが、それにも気づかないふりだ。

「ハッハッハ! いやあ、いいものを見せてもらった。妹ちゃん、悪かったね。少しお兄ちゃんを試させてもらった。拓哉君が妹思いの優しいお兄ちゃんだと分かって安心したよ。――それで拓哉君、どうだい。あたいは信用に足る人物かい?」

「……そうですね。今みたいなやり方は金輪際やめてほしいですけど」

「え!? ええ!?」

 唯菜が、拓哉と美絵の顔を交互に見ながら驚きの声を上げる。

「お兄ちゃん、何がどうなってるの? なんであんなやつを信じちゃうわけ? お兄ちゃんに酷いことしたやつだよ?」

「美絵さんが、如月さんのことを本気で大切に思っていることが分かったからな。それだけ分かれば十分だ」

 美絵が向けてきた敵意は本物だった。

 亜耶香のことを大切に思っていなければ、あれほど敵意をむき出しにすることはできないだろう。

 少なくとも悪い人ではなさそうだ。

 それにしても――、

「敵意で相手の動きを封じるなんて……美絵さんは一体何者なんですか?」

「昔、色々とあったってだけさ。常人離れした奴らと付き合わなきゃいけないような危険な職場だったからね。仕方なく覚えたって話。それだけ、それだけ。なんともつまらない話だろう。必要に迫られたから行動する、なんてさ」

 昔のことは思い出したくないのか、美絵は、この話はこれで終わり、とでも言うように顔の前で手を振った。

「それじゃあ、丈夫な刀が入用だっていうわけを聞かせてもらおうか」

 拓哉は事の経緯を話した。

「ふーむ。なるほどね……」

 美絵は顎に手を当てて、中空を見つめている。

「難しいですか?」

「ん? ああ――」

 美絵は何か別のことを考えていたのか、気の抜けた声を出してから、

「鬼狩りの持ってた喋る大鎌。それに噛み砕かれないような丈夫な刀ねぇ……。結構ハードル高そうって印象かな。だけど、ぶっちゃけ、丈夫じゃなくても噛み砕かれない刀ならいいわけだ」

「……ええ、まあ。そんな刀があれば、ですけど」

「だったらさ」美絵はにやりと笑う。「もっと面白い刀を試してみない?」

「面白い刀、ですか?」

 ……嫌な予感がするのはなぜだろう。

 面白い刀――この言葉に、どこか引っかかりを感じる自分がいた。

「そう、面白い刀。そうだね、例えばこんなのはどうだい。目には見えない透明な刀――目に見えないから大鎌も噛めなくなるんじゃないか。それか、ぐにゃぐにゃと曲がる柔らかい刀、なんてどうだい。これだったら噛まれても折れないだろう。なにせ元々折れてるようなもんだからね。あとはそうだね――」

 ああ……まさか、そんなことが……。

 嬉々として「面白い刀」について語る美絵を見ながら、拓哉は先ほど感じた引っかかりの正体に思い至る。

「……美絵さん。質問してもいいですか?」

「――ん? ああ」

「以前にこんな刀を打ったことはないですか――刀身に電流が流れる刀とか、刀身の先から花が飛び出す刀とか」

「おお! あるぞ! だが、どうしてそれを……むむ?」

 美絵がぐっと顔を寄せてきて、まじまじと見つめてくる。

「どこかで見た顔だな……。いや、正確には面影に見覚えがあると言うべきか……。ああ、もしかして芹沢の旦那の――」

 美絵が、隣に立つ唯菜のほうを見る。

「妹ちゃんは、母親似かい?」

「ママに会ったことがあるの!?」

「いいや。ただ、そうじゃないかと思っただけさ。拓哉君は父親似、妹ちゃんは母親似ってことかい。――ふーむ。それにしても、まさか本当に二人がやってくるとはね」

 拓哉は美絵の最後の言葉に引っかかりを覚える。

「『まさか本当に』って、どういう意味ですか?」

「ん? ああ。薄々気づいていると思うが、あたいが芹沢の旦那に刀を作ってやってたんだ。今時、旦那みたいにいい趣味を持ってる客は中々いないからね。あたいも楽しく刀を打たせてもらっていたんだが……。そうか、芹沢の旦那は死んじまったのか……」

 拓哉は先ほど事情を説明した際に、両親が鬼狩りに殺されたことも話していた。

 美絵は目を閉じた。

 少ししてから目を開けて、彼女は話を続ける。

「まさか本当にって言ったのは、芹沢の旦那から、ひょっとしたら将来二人が工房を訪ねてくるかもって聞いてたからさ。旦那はよく二人の話をしていたよ。自慢の息子と娘だって。でも、あたいの工房について、旦那から聞いたわけじゃないんだろう?」

 美絵は亜耶香のほうをちらりと見る。

「はい。話を聞いたのは、如月さんからです」

「ふーむ。これはまた、とんだ偶然もあったもんだ。……いや、偶然でもないのか」

 美絵は先ほどまで打っていた刀の原型を手に取る。

「今時、刀鍛冶をしているやつは限られる。この辺りでしているやつは、あたいぐらいだろう。となると、この近くに住んでいる二人があたいのところを訪ねてきたのは、偶然と言うよりも必然と言ったほうが正しいのかもな」

 美絵は立ち上がって、「よし!」と言うと、

「拓哉君と妹ちゃん――二人にとっておきの刀を打ってやるよ。鬼狩りの武器に噛まれたくらいじゃ、到底壊れないような代物をね」

「……いいんですか?」

「ああ。もちろんだ。なに鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔してるんだい?」

「いえ……。まさかこんなにあっさりと刀を打ってもらえるとは思ってなかったので」

 それこそ雨の日も風の日も、毎日工房に通って熱意を見せ、初めてオーケーをもらえる――そんな少年漫画的な展開を予想していた。いい意味で予想を裏切られたわけだ。

「ハッハッハ! 芹沢の旦那との約束だからね。父親に感謝することだ」

 現実的な話として、刀の作製費用も聞いておかなければ。

 二本打ってもらうので、かなり高額な費用請求を覚悟しなければならないだろう。

 両親は拓哉と唯菜が死ぬまで生活に困らないほどの大金を遺してくれていたが、散財していたらあっという間に貯金が底を尽きてしまう。

 値切り交渉も視野に入れながら、拓哉は費用の話を持ち出した。

 すると――、

「金は要らないよ」

 拓哉は耳を疑った。

「ちょっと待ってください。刀ですよ。正確なところは知りませんけど、刀ってかなり高い代物ですよね。それがタダって……」

 話に裏があるんじゃないか――拓哉は疑いを持った。

 いくら父がお得意様だったからといっても、無料で刀を打ってくれる、なんてことがあるだろうか。しかも二本も。

「まあそう疑いなさんな」

 美絵はそう言うと、工房の奥にある戸棚から大きな巾着袋を取り出して、拓哉に手渡す。

 巾着袋はパンパンに膨らんでいて、ずしりと重かった。

「中を見てみ」

 言われるままに巾着袋の口を開けて、中を覗いた。

「これは……」

 大量の札束が入っていた。その総額は、パッと見ただけでは分からないほどだ。

「芹沢の旦那が、二人のためにって置いていった金さ。あたいは成果報酬で前払いは好きじゃないんだが、旦那がどうしてもと言って聞かないもんでね。仕方なく受け取ったのさ。おっと、もちろん手は付けてないから安心しな」

「父さんが……」

 拓哉たちの身を案じて刀を教えていたことと言い、父はどうやら拓哉たちのことを色々と考えてくれていたらしい。

 父を自由で勝手気ままな人だと思っていただけに、拓哉の受けた衝撃は大きかった。

 拓哉は父のことを何も分かっていなかったのだ。

 いや、分かろうとしていなかったと言うべきか……。

 中学に入って、剣士という在り方に疑問を持ち始めた頃から、父と距離を置くようになった。拓哉が一方的に距離を取っていたのだ。

 そのことに、父が気づいていたのかは分からない。拓哉がそっけない態度をとるようになっても、父は変わらず接してきたから。

 もし一度でも、父とちゃんと話をしていたら――。

 ひょっとしたら、父に対する見方が変わっていたかもしれない。

 だけど、現実はそうはならなかった。拓哉は変わらず父に冷たい態度をとり続けた。

 表立って反抗はしなかったが、父への不満や苛立ちは胸の内で燻り続けていた。

 そうして、よりによってその感情が爆発したのが、あの日――二人が殺された日だったのだ。

 この一か月、拓哉は罪悪感に苛まれていた。

 この先もずっとこの罪悪感を背負って生きていくのだろう。

 それが、拓哉にできる唯一の贖罪なのだ――。

「――どうしたんだい? ぼーっとして」

 美絵の声で、拓哉は我に返った。

「……いえ、ちょっと考え事をしてしまって」

「考え事ねぇ。あんまり悩みすぎるのも体に毒だよ。若いうちは、当たって砕けろってね。取り敢えず我武者羅にぶつかるくらいがちょうどいいんだ」

「はあ……」

「なんだい、覇気がないねえ。やっぱり刀を打つのはやめようかねえ」

 それはマズい……。

「ハッハッハ! 冗談だよ冗談。刀はちゃんと作ってやるさ。芹沢の旦那との約束だからね。不本意ながら金も預かっちまってるし」

 美絵は立ち上がって拓哉と唯菜のほうを見ると、

「二週間だ」

 彼女の目はやる気に燃えていた。

「再来週の日曜にまた来な。二人にとっておきの刀を用意しておいてやる」

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