第12話――唯菜side――

 唯菜と亜耶香は、母屋の二階にある唯菜の部屋で運動着に着替え、離れにある道場へと向かっていた。兄はすでに道場で唯菜たちが来るのを待っているだろう。

「こっちよ。急いで」

 後ろを走る亜耶香に声をかけ、唯菜は足早に道場へと向かう。

 無駄に兄を待たせるわけにはいかない。

「ゆ、唯菜さん、は、速いです――」

 遠く後方から聞こえる声に振り返ると、亜耶香はまだ廊下の奥を走っていた。

「ちょっと亜耶香。遅すぎ。あたしたちの仲間になりたいなんて、無謀にもほどがあるんじゃない?」

「そ、それは、角、生やしてないですし」

 亜耶香が息を切らしながら、立ち止まっていた唯菜のもとにやってくる。

「だったら、とっとと生やしなさいよ。そうしたら全力で走れるんでしょ」

「そ、そうですね」

 亜耶香の額から小さな角がにょきっと生える。

 唯菜は再び走り出す。今度は亜耶香もちゃんと並走できている。

「なんで最初から角を生やしておかなかったの?」

「えーっと、できるだけ鬼の力には頼りたくなかったんです。その……唯菜さんに、ズルしてるって思われたくなくて」

「はあ? なんで鬼の力を使うのがズルになるわけ?」

「そ、それは……」

 亜耶香はそこで一度言葉を切って、

「唯菜さんは、鬼の角を生やせませんよね?」

「うん。人間と鬼のハーフだけど、かれこれ十三年、鬼の角が生えたことは一度もない」

「その……私の鬼の力が、羨ましくないんですか?」

「はあ? なんで?」

「だ、だって、普通の人が厳しい修行をして、それでようやく身に着けられるような強い力を、私は始めから持ってるわけです。羨ましいと思うのが普通じゃないですか」

 ここにきて、唯菜も亜耶香が何を言いたいのかようやく掴めてきた。

「あたしは別に、亜耶香が羨ましいとは思わない。亜耶香は鬼であることに苦労してるんでしょ。感情が高ぶると角が生えちゃうから、額を隠しておかないと街を出歩けないとか。あたしはずっと額のことを気にして街中を歩くのはごめんだね。――だから、別にズルとか気にしなくてもいいでしょ。何事も一長一短。そもそも角を生やした状態が亜耶香の本来の姿なわけだし、ズルでもなんでもないじゃん」

「……あ、ありがとうございます」

「礼を言われるようなことは何もしてないと思うけど……?」

「いえ。唯菜さんのおかげで、少し気持ちが楽になりました」

「……やめてよ。お礼なんて」

 唯菜は隣を走る亜耶香に聞こえないほどの小声で言う。

 唯菜は基本、自分のためにしか行動しない。

 これからやる模擬戦だって、唯菜は自分のことしか考えていない。

 兄の前では、亜耶香に仕返しをするため、という風なことを言ったが、あれは建前だ。

 本当は、兄が亜耶香と戦う姿を見たくなかったのだ。

 兄が亜耶香と模擬戦をすると言ったとき、唯菜は模擬戦の様子を思い浮かべた。

 毎日稽古の相手として、兄の前に立っているはずの自分が、亜耶香に置き換わっている。

 その光景を想像したら、心がざわついた。

 唯菜の居場所が、亜耶香に奪われる――そんな不安が押し寄せてきた。

 兄と亜耶香の二人だけの世界。

 そこに唯菜はいない。

 ――そんなのダメだ。

 兄のそばにいていいのは、唯菜だけ。

 誰にも居場所を奪われてなるものか。

 その思いから、唯菜は模擬戦の相手を志願したのだ。

 そんな自分勝手なやつが、誰かに感謝されていいはずがない。

「……ここよ」

 唯菜は一つ深呼吸をしてから、離れの道場の扉を押し開いた。

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