第9話
「……美味しい」
一時間の山道を歩いて帰宅した拓哉は、唯菜とともに、亜耶香の作ったオムライスをリビングで食べていた。
「なにこれ……めちゃくちゃ美味しいじゃん!」
唯菜が絶賛の声を上げ、オムライスを口にかき込んでいる。
「確かに美味いな」
ふわふわとした卵がとろけて、口全体に広がる。
さらにハーブの香りが鼻腔を抜けて、上品な味わいに仕上がっていた。
「ちょっとあんた、家にハーブソルトなんてなかったでしょ! 一体どんなトリックを使ったの!」
テーブルの向かいの席で黙々と自分の分のオムライスを食べていた亜耶香が、顔を上げる。
「えーっと、ガーリックパウダーがあったので、塩と混ぜて代用しました。もちろん本来のハーブソルトと同じというわけにはいきませんけど、香りや味の深さを出すだけなら、それで十分なので」
よく味わって食べてみると、確かにガーリックの風味があった。
「……」
唯菜は唇を噛みしめている。唯菜の皿はすでに空っぽだ。よほど美味しかったのだろう。
「……料理が上手いことは認めてあげる。だけどあんた、いくらなんでも家で帽子はないんじゃない?」
亜耶香は家の中でもキャップを被ったままだった。
それは拓哉も気になっていたが、何か事情でもあるのかと思い、スルーしていたのだ。
「えっと、それは……」
亜耶香は居心地悪そうに両手で帽子を触っている。
「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ」
「――ちょっと唯菜、こっち来い」
拓哉は席を立ちながら唯菜を手招きして、テーブルから離れたところへ移動する。
亜耶香に聞こえないように、拓哉は小声で唯菜に話しかける。
「さっきから如月さんに強く当たりすぎじゃないか。どうしたんだよ」
「だって……」
「だって――どうしたんだ? もしかして如月さんと知り合いなのか? それであまり仲が良くないとか」
「ううん、初対面だよ」
「だったらなんでそんなにつんけんしてるんだよ。如月さんが可哀そうだろ」
「……ごめんなさい」
唯菜はしょぼんとしている。きつく言い過ぎたかもしれない。
「分かってくれたならいいんだ。無理に仲良くしろとは言わないが、もう少し歩み寄ってあげてもいいんじゃないか。別に悪い子じゃないだろ」
「……うん」
「よし。話はこれで終わりだ」
唯菜の頭を軽く撫でる。
「――ひゃい!」
唯菜が小さな悲鳴を上げた。
「悪い! つい……」
昔はこうして、唯菜が落ち込んでいるときはよく頭を撫でてやっていた。最近は妹の頭を撫でるのが照れくさくてやめていたが、唯菜がひどく落ち込んでいるようだったので、つい手が出てしまった。
「……ううん、大丈夫」
唯菜が目を伏せて呟く。頬がほんのりと赤く染まっている。子ども扱いされて恥ずかしかったのかもしれない。
「ごめん」
拓哉はそれだけ言って、テーブルに戻った。唯菜も少し遅れて隣の席に着いた。
唯菜は太ももの上で両手を握り、しばらく下を向いていたが、顔を上げる。
「あん――亜耶香は、今何年生?」
「えっと、学校は行ってないんです。歳は十三です」
「え、嘘!? てっきり年下かと……。言われてみると、かなり大きいかも……。でも十三でその大きさって反則じゃない……」
亜耶香の胸元に目を落としてぶつぶつ呟いていた唯菜は、ハッと顔を上げると、こほんと咳払いする。
「あたしも十三歳だから、同い年ね。ちなみに亜耶香、誕生日は?」
「十月二日です」
「よし!」唯菜は小声でそう言って、テーブルの下で小さくガッツポーズをしていた。「あたしは九月七日だから、あたしのほうがお姉さんなのは分かるよね?」
「え、えーっと――」
「分、か、る、よね?」
唯菜が圧をかけて言う。
「は、はい!」
亜耶香はぴしりと背筋を伸ばして頷く。
「よろしい」
唯菜は満足げに頷く。
そばで聞いていた拓哉は、果たしてこの話はどこに向かうのかと内心で首を傾げていた。
「亜耶香は、誰から料理を教わったの? マ……母親から?」
母親――という言葉を聞いたとき、亜耶香は一瞬悲しげな顔をした。
「……いえ。母とはしばらく会えてなくて……。料理は、初歩の初歩はアパートの大家さんが教えてくれました。一人で暮らしていくには必要だろうって」
「亜耶香、一人暮らしなの!?」
唯菜同様、拓哉も驚いた。
亜耶香はまだ十三歳。親元を離れて一人暮らしをするには早すぎる年齢だ。
けれど、母親としばらく会えていない、と言っていた。何か事情があるのだろう。
亜耶香が一人暮らしだと知った唯菜が、続けて言う。
「でも、それならちょうどいいか。親の許可もいらないし。――亜耶香、今日泊まっていきなよ」
「と、泊まる? ええっ!」
「何もそんなに驚くことはないでしょ。亜耶香は今晩あたしに料理を教えるの。あたしが納得するまでね。言っとくけど、年下に拒否権はないから」
年下ってわけじゃないだろ。単に亜耶香のほうが一か月ほど生まれるのが遅かっただけで……と思ったが、言うと話がややこしくなりそうだったので、別の角度から亜耶香をフォローすることにした。
「唯菜、いきなり泊まれなんて、如月さんに迷惑だろ。如月さんも明日の朝から予定があるかもしれないし」
「あ、えーっと、明日は特に何もないです」
亜耶香が律儀に答えた。
そこは嘘でもいいから「予定がない」って言えばいいのに……。
「決まりね!」
「あ、でも、着替えが……。汗で濡れて、その、着替えないのはちょっと……」
ここに来るまで一時間も山道を歩いたのだ。夏場だし、汗をかいて当然だろう。
亜耶香がちらりと拓哉のほうを見てくる。目が合うと、彼女は慌てて顔を伏せた。
「あたしの貸してあげるって。そうと決まれば、まずはお風呂ね。――亜耶香、こっちよ」
席を立った唯菜が、亜耶香の腕を掴んでリビングを出ていく。
「あ、え、私は後で一人で――」
「いいから早く。お姉さんの言うことは聞きなさい」
さっきまで冷たく接していた唯菜も、本当は亜耶香と仲良くしたかったのかもしれない。始めは初対面で恥ずかしがっていただけで。
同い年みたいだし、いい友達になれるといいな。
拓哉は二人の背中を見送った。
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