第8話

 両親が殺されてから一か月が過ぎた。

 学校が夏休みに入り、ここ最近は朝から夕方まで祖父の家で稽古する日々が続いていた。

「お兄ちゃん、買い物して帰ろ」

 今の生活にもだいぶ慣れてきた。一か月前は稽古帰りにくたくただった唯菜も、今では帰り道に買い物したいと言うほどに元気である。

「今日の晩ご飯はどうしよっか。唐揚げ、カレー、生姜焼き――オムライスもいいかも」

 料理は二人で作っていた。唯菜は母から料理の仕方を教わっていたらしく、とても頼りになった。拓哉はこの一か月、唯菜から色々と教わって、少しずつ料理の腕を上げていた。

「よし! オムライスにしよう! お兄ちゃんもそれでいい?」

「ああ」

 明日以降の分の食材も買って、拓哉たちはスーパーを後にした。

 家へと続く山道に向かう途中で、拓哉たちは路地裏のそばを通りがかった。

「――どうしてくれるんだよ、ああ?」

 路地裏から男の怒鳴り声が聞こえてきた。

 見ると、複数の男たちが一人の女の子を取り囲んでいた。

「弁償だよな! 当然! 俺様のバイクに傷をつけたんだからよ」

「さっさと金出せよコラ! 百万だ百万! それで許してやるって言ってんだ!」

「そ、そんなお金、持ってないです」

「持ってないだあ? じゃあ体で支払ってもらうしかねえなあ。――なあ、お前ら」

 いかつい金髪をした、リーダーと思われる男が言う。

 周りの男たちが下卑た笑いを浮かべて頷く。

「オラ! さっさとついてこい!」

 周りにいた男の一人が、女の子の手首を掴む。

「い、いやです!」

「ああ? 逆らうってのか! このアマ!」

 男が拳を掲げた。

「唯菜、ちょっとこれ、持っててくれ」

 拓哉はスーパーの袋を唯菜に預けて、走り出す。

 女の子の顔に向かって放たれようとしていた拳を、拓哉は掴んで止めた。

「ああ? なんだお前! 邪魔してんじゃねえぞコラ!」

「暴力はダメだろ」

「うっせーんだよ! ガキが調子に乗ってんじゃねえぞ!」

 男が反対の手で拳を作り、殴りかかってくる。普段から素早い剣戟を目にしている拓哉にとって、チンピラの拳はあまりにも遅く見えた。

 顔を逸らして男の攻撃を躱し、そちらの拳も反対の手で掴む。

「――く、くそ!」

 両手を封じられた男は、必死に拘束を抜け出そうともがいている。

 けれど、普段から鍛えている拓哉のほうが身体能力は高い。そのまま拓哉は握力を強めていった。男が痛みに呻き声を上げる。

「――こ、降参だ! は、放してくれ!」

 男の手を解放する。

 男はその場に蹲って、手をさすっている。

 周りで見ていた男たちはひるんだように一歩下がったが、一人だけ前に出てきた男がいた。リーダーと思われるいかつい金髪の男だ。

「てめえ。このまま生きて帰れると思うなよ」

 ゴキッゴキッと指を鳴らして、金髪男が近づいてくる。

「お兄ちゃん、あたしがやっちゃおっか?」

 てけてけとやってきた唯菜が耳打ちしてくる。怯えている様子は一切ない。拓哉も唯菜もこの一か月でかなり力をつけていた。刀がなくとも、この程度のチンピラであれば容易く返り討ちにできるほどに。

「おいおい嬢ちゃん、ナメたこと言ってくれるじゃねえか」

 どうやら唯菜の声が聞こえたらしく、金髪男は眉間をピクピクとひくつかせる。

「だって事実だもん。お兄さんたち、激弱げきよわでしょ」

「……ナメやがって。――おい、お前ら! こいつらを取り押さえろ!」

 周りにいた男たちが、一斉に拓哉たちに襲いかかってくる。

「唯菜は俺の後ろに。食材が傷んだら大変だろ」

「りょーかい!」

 男たちを相手に、拓哉は急所を狙って掌底や蹴りを叩き込んでいく。

 祖父の稽古は、刀を使うメニュー以外に、基礎体力をつけるメニューもあった。それが身体能力の向上に一役買ってくれた。

 今も稽古で全身の筋肉を酷使した後だったが、体は軽い。

 三十秒とかからず、拓哉は十人ほどの男を蹴散らした。

「そんな、バカな……」

 傍観していた金髪男が、呆気にとられた顔をしている。

「あんたで最後だな」

「ひぃ!」

 男は短い悲鳴を上げると、ドタバタと路地裏から走り去っていった。

 拓哉は戦いの構えを解いて、助けた女の子へと歩み寄った。

「大丈――」

 大丈夫か、と訊こうとして、拓哉は驚いた。

 さっきは遠目で気づかなかったが、拓哉の知っている女の子だったのだ。

「君は……」

 黒いキャップに、輝く銀色の髪。

 一か月前に駅のホームで見かけた女の子だった。肉感的で大人の女性らしい体つきをしているが、顔は幼げだ。ひょっとすると唯菜よりも年下かもしれない。

「お兄ちゃん、知り合いなの?」

「い、いや、初対面だ」

 思わずじっと見つめていたが、唯菜の声で我に返る。

 女の子は居心地悪そうに帽子を手でいじりながら、チラチラと横目で拓哉たちを見た。

「あ、あの、助けていただきありがとうございました」

「気にするな。無事でよかった」

「そ、それでは、私はこれで――」

「ちょっとあんた、待ちなさいよ」

 路地裏から立ち去ろうとする女の子の肩を、背後から唯菜が掴む。

「――ふぇ!?」

 女の子が驚きの声を上げる。

「お礼は相手の目をちゃんと見て言う。小学校で教わらなかったの? チラ見で済まそうなんて、お兄ちゃんに失礼じゃない。ちゃんとお礼言いなさいよ」

「おい、唯菜――」

「お兄ちゃんは黙ってて。これはあたしとこいつの問題なの」

 拓哉は、自分も関係あるよな、と思ったが、唯菜は一度怒ると手が付けられなくなるので、すごすごと引き下がった。

「そもそもあんた、助けてもらったんだから、名前くらい名乗るのが礼儀ってもんでしょ」

「す、すみません。如月きさらぎ亜耶香あやかです」

「亜耶香ね。亜耶香、お兄ちゃんにお礼! もちろんまっすぐに目を見てね」

「あ、え、その――」

 亜耶香がチラチラと拓哉のほうを見てくる。

「ちょっと、さっさとしなさいよ」

「あうぅ……」

 目深に被ったキャップの下で、亜耶香が涙目になっているのが分かった。

 さすがにこれ以上は見ていられない。やめるように唯菜に直接言っても聞いてくれないだろうし……。

 拓哉はどうしようかと悩み、ふと頭をよぎったアイデアがあった。

「如月さん、この後の予定は空いてる?」

「え、はい。特に予定はないですけど」

「じゃあ、俺たちにオムライスを作ってくれないか?」

 言ってから、自分は何を言っているのか、と一瞬思ったが、よく考えると、これはこれで悪くないアイデアに思えた。

「お兄ちゃん、急にどうしたの? オムライスって、え、こいつに晩ご飯を作ってもらうってこと?」

 唯菜が目を見開いて訊いてくる。

「ああ、そうだ。言葉で言うだけがお礼じゃないだろ。オムライスを作ってもらう――それをお礼にしたらいいかと思ってな」

 我ながらいいアイデアだと拓哉が思っていると、

「うーん、お兄ちゃんがそうしてほしいなら、それでいいけど……」

 唯菜はなぜか頬を膨らませて不満顔である。

「どうした唯菜。気に入らないことがあるなら言ってくれ」

「――くないってこと?」

「え?」

 小さな声だったため、拓哉には唯菜が何を言ったのか聞き取れなかった。

「あたしの作るオムライスが、美味しくないってこと?」

 しまった――と拓哉は思った。まさかそんな風に受け取られてしまうとは思わなかったのだ。

 だけど確かに、毎回料理の献立や調理方法を決めている唯菜からすれば、自分の作るオムライスが美味しくないから亜耶香に頼んでいる、と受け取っても不思議ではない。

 拓哉はしどろもどろになりながらも、唯菜のオムライスはすごく美味しいことを伝えた。

 かなりテンパっていたため、自分でも何を言ったのかよく覚えていない。

 ぷくぅと頬を膨らませていた唯菜だったが、くすりと笑って、

「冗談だよ、お兄ちゃん。ちょっとからかってみただけ」

「……お前なぁ」

 拓哉はがくりと肩を落とす。

「ごめんってば。許して。あたしも亜耶香にオムライスを作らせるの賛成だよ」

 唯菜は亜耶香に目を向ける。

「でもあんた、そもそもオムライス作れるの?」

「あ、えーっと、それくらいなら……」

「それくらい!?」

 唯菜が亜耶香に食ってかかる。

「よっぽど料理の腕に自信があるみたいね。楽しみだわ。どんなチョー美味しいオムライスを作ってくれるのか!」

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