第7話

 翌朝、拓哉たちは、唯一の肉親である父方の祖父に電話をかけた。

 事情を説明すると、祖父は「そうか……」と呟き、目立った驚きを示さなかった。電話越しだから驚きが伝わってこなかっただけかもしれないが。

 祖父は拓哉たちに家に来るように言ってきた。

 祖父の家は何度か行ったことがあり、場所も覚えていた。今日は土曜日で学校が休みだったこともあり、拓哉は唯菜を連れて今から向かうことにした。

「お兄ちゃん、準備できたよ」

 一晩明けて、唯菜は持ち前の明るさを取り戻していた。

 少なくとも表面上は、両親を亡くす前の唯菜と変わらないように見える。

「無理しなくていいんだぞ」

「ううん。いつまでも泣いてばかりじゃいられないもん。復讐するって決めたんだから、前向きに生きていかないと」

 復讐はどちらかと言えば後ろ向きに生きているんじゃないかと思ったが、わざわざ言うことでもない。

「行くか」

 拓哉たちは家を出て、祖父の家へと向かった。

 歩き慣れた山道を一時間ほど下って、電車の最寄り駅にたどり着く。

 ここから祖父の家までは電車で三十分ほどだ。ちょうど学校に行くときとは逆方向の電車に乗ることになる。

 ホームで電車を待っていると、向かいのホームに一人の女の子が姿を見せた。黒のつば付き帽子を目深に被り、顔はよく見えない。

 拓哉は彼女に釘付けになった。

 理由は?

 黒のキャップから覗く銀色の髪が目を引いたから?

 顔の見えないミステリアスさに心惹かれたから?

 あるいは、スタイルのいい体に見惚れてしまったから?

 ――分からない。

 どういうわけか、彼女から目が離せなかった。

「――お兄ちゃん? お兄ちゃんってば!」

 隣にいた唯菜がくいと袖を引いてきて、拓哉は我に返った。

「どうしたの。ぼーっとして」

 拓哉が向かいのホームを見ると、すでに女の子の姿はなかった。

「……いや、何でもない」

「そう?」

 小首を傾げる唯菜の横で、拓哉は先ほど見た女の子のことを思い出す。

 なぜ自分はあれほど彼女を見つめてしまったのか。

 いや、そうやって自分の気持ちを誤魔化すのはやめよう。

 拓哉は、あの女の子に惹かれていたのだ。異性として。

 これまでにこんな経験はなかった。むしろ異性にはそれほど興味を持たないほうだと思っていた。それなのに、あの子にはなぜ――。

 祖父の家の最寄り駅に着くまで考え続けたが、答えは見つからなかった。


「ん~! 気持ちいい~」

 改札を出た唯菜が、大きく背伸びをしている。

 祖父の家は、田んぼや畑が一面に広がる田舎にあった。拓哉たちの家がある山の中とは違って、開放感のある場所である。

「こっちだっけ?」

 唯菜は右手のほうを指差す。

 前回祖父の家を訪ねたのは、二年ほど前。唯菜はまだ小学六年生だった。道を覚えていなくても無理はない。

「こっちだ」

 拓哉は左のほうへと歩きだす。

 唯菜がてけてけと駆け足でやってきて、隣に並ぶ。

「えへへ。お兄ちゃんとお出かけするの久しぶりかも」

「いつも一緒に学校行ってるだろ」

「もう、そういうことじゃないんだけど」

 唯菜が、ぷくぅと頬を膨らませる。

「ほんとにお兄ちゃんは妹心が分かってないよね」

 十分ほど歩いたところで、祖父の家が見えてきた。いかにも古き良き木造建築という感じの一軒家である。

 玄関のどこにも呼び鈴が見当たらなかったので、扉をノックした。

 けれど、反応は返ってこない。

「おじいちゃ~ん。唯菜だけど~」

 唯菜が大声で呼ぶと、「おー、ちょっと待っておれ」と家の中から声がした。どうやらノックの音が聞こえていなかったらしい。

 ガラガラと引き戸の玄関が開き、祖父が姿を見せた。歳は六十歳を超えていて白髪頭だが、がっしりとした体つきをしている。

「よー来たな。待っておったぞ」

 体つきとは対照的に、柔和な笑みを浮かべている。

「さ、こっちだ」

 祖父に案内されて、居間に通される。

 座卓にはすでにお菓子と飲み物が用意されていた。

 祖父と拓哉たちは、座卓を挟んで向かい合う。

「二人とも大きくなったな。最後に会ったのは確か……」

「二年前だね」

「そうかそうか。そんなにも前になるか」

 拓哉の答えを聞いた祖父は頷くと、美味しそうにお茶を啜った。

「さて、二人を呼んだのは他でもない。色々と話をしておこうと思ってな」

「話って、パパとママの?」

「うむ。その通りだ。これは、あの二人からの頼みでもあったからな」

「頼みって……父さんと母さんは、こうなることを予感していたってこと?」

 拓哉が驚きつつも訊くと、祖父は頷いた。

「どこから話したものか……」

 祖父はそう言っていたが、話す順番はおおよそ決めていたのだろう。迷いのない口調で父と母について話し始めた。

「まずわしの息子――二人の父親は、若い頃、鬼狩りという職務に就いておった」

「鬼狩り?」

「鬼を狩る仕事、と言えば分かるか。数百年以上も前から、国は秘密裏に腕の立つ者を雇い、鬼を狩らせてきたのだ。かく言うわしも、若かりし頃は鬼狩りをやっておった。刀で鬼をばっさばっさと斬り殺してな」

 父さんは自身のことを「剣士」と言っていたが、あれは鬼狩りのことだったのだ。

「ちょ、ちょっと待ってよ、おじいちゃん。鬼って、え!? まさかあの『浦島太郎』に出てくるような鬼が現実にいるってこと?」

 唯菜が驚くのも無理はない。拓哉も祖父が冗談を言っているのではと思ったくらいだ。

「ああ。鬼は実在する。多くは深い山奥に暮らしておるが、人間社会に紛れて街で生活している鬼もおる。鬼は意外とわしらの身近におるぞ。鬼と言っても、いつも角を生やしているわけではない。角を引っ込めることもできるからな。一見して人間と区別はつきにくい」

「で、でも、急に鬼なんて言われても……」

 唯菜は納得がいかないようだ。

 拓哉も信じられない気持ちだったが、角と言われて心当たりのあることがあった。

「角って、まさか……」

「あ!」

 唯菜も思い出したようだ。

「ママの角!」

 道場で母の死体を見たとき、額に角のようなものが生えていたのだ。

「見たのか?」

 祖父が軽く目を見開く。

 母の死体に角があったことを伝えると、

「そうか……」

 祖父は目を伏せた。

「ここに息子と二人で話をしにきたとき、彼女は言っておった。鬼であることは子どもたちには伏せていると。自分が死んだときに、わしの口から伝えてほしいと」

 祖父は顔を上げる。

「お前さんたちの母親は鬼だった。わしの息子は鬼狩りだった。これがどういうことか分かるか? わしの息子は鬼狩りという立場にありながら、鬼である女性と結婚したのだ」

 祖父の顔からは、怒りではなく諦観が漂っていた。

「鬼狩りである息子が鬼である彼女を家に連れてきたときは、とても驚いた。しかも結婚するとまで言うじゃないか。詳しい話を聞くと、鬼狩りの任務に向かう途中で彼女に出会い、一目惚れして、そのまま求婚。任務をほったらかして帰ってきたらしい。当時のわしは怒りを通り越して呆れてしまったよ。何を考えておるのかとな」

「立場を超えた恋! ロマンチック!」

 はしゃぐ唯菜を横目に、拓哉は祖父に尋ねる。

「こほん。おじいちゃんは二人の結婚に反対しなかったんだ」

「もちろん反対したさ。鬼狩りと鬼が結婚するなんて前代未聞だからな。だけど、息子の意思は固かった。最後にはわしのほうが折れることになった」

「結婚した後も、父さんは鬼狩りの仕事を続けたの?」

「いや。確か『妻の同胞は殺せない』とか言っておったか。だが、息子はあれでいてかなり腕の立つ鬼狩りだったからな。辞めると言って辞めさせてもらえるような立場じゃなかった。それに鬼狩りの宿敵である鬼と結婚して辞めるなど知れたら、打ち首ものだ。息子は姿をくらますしかなかった」

「もしかして、誰もいない山の中腹に家を建てたのは……」

「うむ。姿を隠すためだな。街中など人の多い場所で暮らせば、他の鬼狩りなどに見つかってしまうかもしれん。それを避けるためだ」

 言われてみると、父は外出するとき、いつもサングラスをかけていた。あれは顔を見られないようにするためだったのだろう。

「だが、姿を完全にくらますなどできることではない。特に相手が国の直轄組織であれば尚更だ。息子は居場所を突き止められ、鬼と一緒に暮らしていることもバレてしまった。それで今回、粛清されてしまったのだろう」

 男はおそらく、両親に二人の子ども――拓哉と唯菜がいることも知っていたのだろう。拓哉たちが昨夜帰宅した際に家中の電気が点いていたのは、おそらく拓哉たちのことを探し回っていたからだ。拓哉たちと会って、討伐対象か判断しようと考えていたに違いない。

「息子を殺した男は喋る大鎌を使っていたと、電話で言っておったな?」

 拓哉は頷く。

「それは鬼狩り専用の武器だな。喋る口は、敵の動きを敏感に察知し、鬼狩りの戦いをサポートする役目を担っておる。鬼狩りに第六感を授けてくれると言えば分かりやすいか。わしや息子の場合は、大鎌ではなく刀だったがな」

「でも、なんでそんな変わった武器を?」

「鬼は人間に比べて遥かに強いからな。動きも素早い。第六感の役目を担ってくれる武器は、鬼狩りの勝率を上げてくれるというわけだ。一部の優秀な鬼狩りは、第六感に頼らずとも楽に鬼を倒すと聞いたことがあるがな……。頑丈さという点でも、鬼狩りの武器は優秀だ。鬼狩りの肌はかなり頑丈だからな。そこいらの武器では傷一つつけることはできない」

 祖父はお茶を啜ってから、話を続けた。

「そもそも国が鬼の討伐に動いておるのも、鬼の力を恐れてのことだ。日本の歴史では『なかったこと』として抹消されておるが、鬼が反乱を起こした事件がかつて何度か起きておる。だからこそ国は秘密裏に鬼を処理し、反乱分子を消そうとしておるのだ。鬼は全力を出すときに額に角が生える以外、これと言って人間と見た目の違いはない。そのため一網打尽とはいかず、討伐は遅々として進まないのが現状だがな」

「……でも、ママは優しかったよ。反乱なんてそんな悪いことするはずない!」

 話を聞いていた唯菜が不満の声を上げる。

 祖父は慌てて、

「あ、ああ。もちろん鬼と言っても色々おるからな。人間にも悪い奴がおるのと同じように。お前さんたちの母親は善良な鬼だったよ。うむ、間違いない」

「えへへ」

 母のことを褒められて唯菜は嬉しそうだ。

 祖父が陰でふぅと小さく安堵の息を吐いているのが見えた。孫娘に嫌われずに済んで、ほっとしているのだろう。

「わしがお前さんたちに伝えるように言われていた話はこんなものだな。他に何か聞きたいことはあるか? わしが話せる範囲で答えよう」

 拓哉は改めて、今回のことを警察に通報すべきか訊いた。電話で話したときには「警察に連絡する必要はない」と言われ、思いとどまったが、やはり警察には連絡したほうがいいのではと思ったのだ。両親の死体という証拠がなくても、警察が動いてくれる可能性もある。

 だが、祖父は首を横に振って、

「警察に連絡しても無駄なのだ」

「どうして?」

「先ほど鬼狩りが国直轄の身分だという話をしただろう? 警察の上層部も鬼狩りのことは容認しておる。通報しても、上層部で揉み消されて、なかったことにされるだけだ」

 ――警察に通報したところで、私が捕まることはあり得ない。

 あのとき男がそう言っていたのは、警察の上層部が揉み消すことを知っていたからだったのだ。

「おじいちゃん、一つお願いがあるんだけど」

 唯菜が言う。

「あたしたちを強くしてほしいの。おじいちゃんも鬼狩りだったんでしょ」

「……ふむ」

 祖父は顎に手を添える。

「強くしてほしい、とは、刀を教えてほしいという意味か?」

「そうだよ」

「なぜだ?」

 そこで唯菜は拓哉のほうを一瞥して、祖父に目を戻した。

「昨日、パパ言ってたの。大切な話があるって。多分それ、今の話だと思う。自分が鬼狩りで、ママが鬼だっていう話」

 確かにそうかもしれないが、それがどう「強くしてほしい」という話と繋がるのか。

「あたしたちはママの血を引いているから、ひょっとしたら鬼狩りに狙われるかもしれない。パパはそう考えたんだと思う。だからあたしたちに刀を教えて、自分で身を守れるように育ててくれたんだよ」

 ああ……。

 拓哉はこの瞬間、父の不器用な愛情を理解した。

 父が拓哉たちに刀を教えていたのは、決して自己満足などではなかったのだ。

 それなのに……。

 拓哉は昨日の朝の父とのやり取りを思い出し、より深い後悔に苛まれた。

 唯菜の話を聞いた祖父が言う。

「だが、昨日お前さんたちは鬼狩りと戦い、見逃してもらえたのだろう? おそらく鬼狩りはお前さんたちを鬼ではないと判断したのだろう。これから先、鬼狩りに襲われることはあるまい。強くなる必要などないだろう」

「それは、そうだけど……」

 唯菜が言葉に詰まる。

 拓哉は唯菜の本心を理解していた。唯菜は力をつけて、あの男に復讐したいのだ。

 だが正直にそう言っても、祖父は刀を教えてくれないだろう。孫が復讐のために刀を振るうなど、祖父として許せるはずがない。

 拓哉は一つ息を吐いた。

 ここが分水嶺だ。

 このまま傍観していれば、唯菜は祖父に言いくるめられ、刀を教わることはできないだろう。

 元鬼狩りである祖父のような人物が、他にそう簡単に見つかるとも思えない。

 唯菜は一人で我武者羅に稽古をして、それでも強くなれず、いずれ復讐を諦めることになるだろう。

 拓哉としては、唯菜にはできるだけ危ないことをしてほしくなかった。昨夜は見逃してもらえたが、次はどうなるか分からない。

 元々、拓哉自身には復讐したいという強い思いはない。あるのは深い後悔だけだ。

 唯菜が復讐を諦めてくれるなら、唯菜の安全という点では一番都合がいいのだ。

 だけど――、

「俺からもお願いします。刀を教えてください」

 拓哉は丁寧に頭を下げる。

「お、お願いします!」

 唯菜も慌てて頭を下げた。

「ま、待て待て。顔を上げておくれ。別に刀を教えないとは言っておらん。ただお前さんたちがどうしてそこまでして強くなりたいのか、それが気になったから訊いただけだ」

「それは……」

「いや、言わんでいい」

 祖父は手を前に出して、拓哉の言葉を遮った。

 それから祖父は立ち上がると、居間を出ていこうとする。

 やはり刀を教えてもらうことはできないのか――。

 諦めかけていた拓哉に、祖父が振り返って言う。

「何をしておる。ついてこい」

「ついてこいって……」

「強くなりたいのだろ。刀を教えてやる」

 拓哉は唯菜と顔を見合わせる。

 唯菜は口をぽかんと開けていた。拓哉も今、同じような顔になっているだろう。

「やったぁ!」

 唯菜が抱きついてくる。

「お兄ちゃん! ありがと!」

「お礼は俺じゃなくておじいちゃんにだろ」

「ハッ!」唯菜は祖父を見る。「おじいちゃん! ありがと!」

「……別に、いいってことだ」

 祖父は明後日の方向に目を向けて、頬をぽりぽりと掻いた。


 夕方までみっちりと祖父の指導を受けた拓哉と唯菜は、帰りの電車に乗っていた。

「おじいちゃん、パパよりスパルタだったね……」

 隣に座る唯菜が、ぐでーっともたれかかってくる。よほど疲れたのだろう。

「そうだな……」

 拓哉もへとへとだった。

「おじいちゃんが言ってたの、どうする?」

 祖父の家から帰るとき、祖父から「よければうちで暮らすか」と誘われた。これから祖父に刀を教わるのなら、通うよりも住んだほうが楽だろうからと。

 拓哉たちはその場ですぐに決めることができず、保留の返事をしたのだった。祖父も「ゆっくり考えるといい」と言ってくれた。

「唯菜はどうしたいんだ?」

「あたしは……」

 唯菜は一度言葉を切ってから、

「今のまま家で暮らしたい。だってパパとママが大切にしてた居場所だもん。……お兄ちゃんがよければ、だけど」

「もちろん構わない」

「いいの!?」

 反対されると思っていたのか、唯菜は目を丸くする。

「だって大変だよ。稽古で疲れた体で山道を歩かないといけないし、これからはあたしたちでご飯の用意もしなきゃいけないし、掃除だって大変だろうし……やることいっぱいだよ?」

「少しずつやっていけばいい。慣れるまでは大変だろうが、俺たちなら何とかなるさ」

「……うん、そうだよね。……ありがと。えへへ」

 唯菜はそう言って、さらに体を預けてくる。

 電車の向かいの窓から、茜色の陽射しが車内に淡く差し込んでいる。

「……唯菜?」

 ふと見れば、唯菜は目を閉じて寝息を立てていた。

 唯菜の寝顔を見ながら、拓哉もまた、ゆっくりと眠りに落ちていった。

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