第6話

 拓哉は目の前の光景が信じられず、喋る大鎌を呆然と見つめていた。

「手ぇ貸したほうがいいのか」

「いや、その必要はない。油断しすぎたようだ」

「しっかりしてくれよな。相棒が死んだらオレ様も困るんだからよ」

「善処する」

 柄に現れていた口が消失する。

「先ほどの攻撃は見事だった」

 男はそう言って、一瞬で拓哉の背後を取ると、耳元で告げた。

「両親の命を奪った私を殺したければ、強くなることだ。でなければ私を殺すことなど到底叶わないだろう」

 その直後、首筋に衝撃を受けて、拓哉は意識を失った。


 しばらくしてから、拓哉は意識を取り戻した。

 すでに男の姿はなかった。

 首元にジンとした痛みが残っていた。手刀で意識を刈り取られたのだろう。 

 拓哉は唯菜のもとへ駆け寄り、彼女の無事を確かめた。

 安堵の息を吐き、拓哉は弱々しい声で呟く。

「警察に、電話しないとな……」

 携帯を取り出して、警察の番号をプッシュする。

 携帯を耳に当てて呼び出し音を聞きながら、現場である道場の中へと足を踏み入れた。

「……は?」

 道場の中を見て、拓哉は呆気にとられた。

 耳に当てていた携帯が滑り落ち、ガシャンと音を立てて床に落ちた。

「――もしもし――もしもし?」

 警察が応答し、携帯から音が漏れていたが、拓哉はしばらくその場で立ち尽くしていた。

 両親の死体がなくなっていたのである。

 死体の周りにあった血だまりも、跡形もなく消えていた。

 先ほど見た光景は紛れもなく現実だったはずだ。現に床や壁の損傷はそのままである。

 死体や血痕など、両親の死に関するものだけが消えているのである。

 誰かが意図的に抹消したのは明らかだった。

「そうか。俺が寝ている間に……」

 犯人は、先ほどの男だろう。

 拓哉と唯菜が意識を失っている間に、両親の死体を持ち去ったのだ。

 それにしても、どうして男は両親の死体を回収したりしたのだろう。

 普通に考えるなら、殺人が露見するのを恐れて、ということになるのだろうが、男は気になることを言っていた。

 ――警察に通報したところで、私が捕まることはあり得ない。

 あれはどういう意味だったのだろう。警察に捕まらないと言い切れるほど逃げ足に自信があるのか、それとも何か別の根拠があるのか……。さっぱり分からない。

 いずれにせよ、拓哉たちは男の策略にはまり、殺人事件の証拠を失ってしまったのだった。


 それからしばらくして、唯菜が意識を取り戻した。

「……お兄ちゃん。あいつは……?」

「すまん、逃げられた」

「……そう」

 ここは母屋の二階にある唯菜の部屋だった。意識を失っていた唯菜を、拓哉がベッドまで運んだのだ。

「……うぅ……どうして……どうしてパパとママが……」

 唯菜は前腕で両目を覆い、嗚咽を漏らす。

「……許せない……あいつ……許せないよ……」

 許せない、か。

 拓哉は唯菜と違い、男に対する恨みの感情はほとんどなかった。

 拓哉の心を占めていたのは、後悔である。

 今朝、どうして父に酷い言葉をぶつけてしまったのか。もっと言い方があったんじゃないか。

 優しい言葉をかけてくれた母に、なぜ「ありがとう」と感謝を伝えなかったのか。

 そういった後悔ばかりが湧き上がってくる。

 拓哉は両親の死体が現場からなくなっていたことも唯菜に伝えた。おそらく男が持ち去ったのだということも。

「そんな……」

 唯菜は悲嘆に暮れた声を上げてから、

「殺してやる……絶対に殺してやるんだから……」

 男を殺したって、両親は還ってこない。復讐を成し遂げても、後には虚しさが残るだけ――そんな風にして唯菜を諭し、復讐をやめさせるべきだろうか。

「……そうだな」

 結局、拓哉は唯菜の考えを改めることはしなかった。

 なぜって。ベッドに横たわる唯菜は弱々しくて、今にも消えてしまいそうだったから。

 唯菜に生きる気力を与えてくれるのなら、それが復讐心であっても構わない。

 復讐の一番暗い部分は、どさくさに紛れて兄である自分が背負ってやればいい。

 拓哉は、男を殺して血まみれになった己の手を幻視しながら、静かに決意を固めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る