第5話
「――っ!」
振り向けば、道場の入り口に男が立っていた。先ほど母屋から出ていくところを目撃した、大鎌を持った男である。母屋から出てきたとき、一度立ち止まって別の方向へと歩き去ったのは変だと思っていたが、どうやら男は拓哉たちが茂みに隠れているのに気づき、しばらく身を潜めていたらしい。
拓哉は咄嗟に唯菜を背にかばい、男と対峙した。
男は感情を匂わせない淡々とした口調で言う。
「警察に通報したところで、私が捕まることはあり得ない」
男の眼差しは空虚だった。
本気で言っているのか、それとも拓哉たちを動揺させるための罠なのか。
拓哉が何と応えるべきか迷っていると、背後にいた唯菜が前に出て、拓哉の横に並んだ。
いつの間に取り上げたのか、唯菜の手には死んだ父が手にしていた刀が握られていた。
「あんたが、パパとママを殺したの?」
唯菜の声は怒気と敵意を含んでいた。
「そうだ」
対する男は、淡々とした口調で答えた。
次の瞬間、唯菜は呪詛とも雄叫びともつかない声を上げて、男に斬りかかった。
「ちょうどいい」
男はそう言うと、唯菜の一撃を軽々と大鎌で受け止め、はじき返した。
唯菜の体は押し返されて、道場の中央まで大きく後退した。
男はその隙を突いて静かに後退し、道場の外に姿を消した。
「待て!」
「唯菜!?」
唯菜は男の後を追って道場の外へ出ていく。
拓哉も慌てて外に出た。
「よくもパパとママを――!」
唯菜が男に何度も斬りかかっている。
けれど、男は大鎌を軽々と操って、唯菜の攻撃をすべて防いでいる。
「この! この! この――!」
稽古の時の唯菜はもっと鋭い剣戟を振るうが、今は怒りに任せて刀を振るっているためか、本来の鋭さが失われていた。
「お前の力はこの程度か」
「うるさい!」
唯菜の振るう刀は、ますます荒々しくなっていく。
あれじゃあ敵に隙を与えているようなものだ。
しかし、男は唯菜の隙を突くことはせず、唯菜の刀を淡々と受け止め続けている。
何が狙いだ?
拓哉は必死に考えるが、男が何を考えているのかさっぱり分からなかった。
永遠にも続くかと思われた攻防だったが、
「考えすぎだったか」
男は唯菜の刀をはじき返すと、ここにきて初めて反撃に転じた。
唯菜の背後を取ると、鎌を持っていないほうの手で、唯菜の首筋に手刀を繰り出したのだ。
唯菜はその場で両膝をつき、うつ伏せに倒れ込む。
「唯菜!」
「安心しろ、意識を失っているだけだ」
男は唯菜の手から刀を取り上げると、拓哉に向かって放り投げてきた。
「拾え。念のためお前もだ」
「……何のつもりだ」
唯菜の時と言い、どうやら男は拓哉たちと戦って何かを確かめようとしているみたいだった。
「お前は知らなくていい。戦う気がないのなら、死んでもらう」
男は大鎌を構えて、拓哉のほうへ接近してくる。かなりの速さだ。
「くそっ!」
男が拓哉と戦いたがっている理由は分からないが、このまま黙ってやられるわけにもいかない。
拓哉は足元の刀を拾って、大鎌による斬撃を受け止めた。
「――どうした。反撃してこないのか」
男は繰り返し大鎌を振るってくるが、斬撃の合間に明らかな隙があった。拓哉の反撃を誘っているようだった。
罠か?
そんな疑念が頭をよぎって、拓哉は反撃に踏み切ることができないでいた。
「とんだ臆病者だったか。愚かな父親と同じだな」
「……訂正しろ」
「私は事実を言ったまでだ」
「……父さんは、臆病者なんかじゃない」
自由奔放な父親だったが、決して臆病ではなかった。
「だったら息子であるお前が証明してみせろ」
明らかな挑発だったが、親を馬鹿にされて黙っているような人間にはなりたくなかった。
「はぁあああ!」
刀を握りしめ、反撃を開始する。
様々な角度から斬撃を繰り出し、男の急所を狙う。
相手を殺すつもりで刀を振るったのは、これが初めてだった。
実戦そのものが初めて、と言ったほうが正確か。
普段の稽古よりも、太刀筋に鋭さがあるのが自分でも分かった。相手の動きもよく見える。
しかし――、
「お前の力はその程度か」
それでも男は難なく攻撃を防いでくる。しかも男は立っている場所から少しも動いていない。その場で巧みに大鎌を操って、拓哉の斬撃を防いでいた。互いの力量にかなりの開きがあるのだ。
まるで父を相手にしているような感覚だった。
いや、相手は父を倒した男だ。実際は父よりも強いのだろう。拓哉のように弱い人間では、両者の実力の差を見抜けないのだ。
男はそれほどに高い実力を持っているということか。
であれば、拓哉に勝機は無きに等しい。
それでも――、
「うおぉおおお!」
刀を止めるわけにはいかなかった。
ここで振るうのをやめれば、それこそ本当の臆病者になってしまう。
それに、策がないわけじゃない。
この刀は父が今朝持っていたものだ。父が言っていたあの機能を使えば、男の不意を突くことができるはず。
チャンスは一度きり。失敗は許されない。
拓哉は刀を何度も振るいながら、冷静に男の癖を分析していた。様々な角度から繰り出される拓哉の斬撃を、男がどういう風に大鎌を振るって防御するのか。
敵の防御の癖を理解し、裏をかけば、効果的に不意を突けるはずだ。
それに、拓哉が同じような攻撃を繰り返せば繰り返すほど、男もまた同じようにして拓哉の刀を防ぐことになる。そうして男の体に防御の癖を染みつかせる狙いもあった。
拓哉は特定の角度から斬撃を繰り出す回数を少しずつ増やしていく。
男の防御の仕方も特定のパターンに偏っていく。狙い通りだ。
力量に圧倒的な差があるのなら、思考でその差を縮めるしかない。
――準備は整った。後は仕掛けるだけだ。
拓哉は覚悟を決めて、一度限りの賭けに出た。
刀を左下段に構え、斜めに振り上げる。狙いは左胸。ちょうど切っ先が左胸の皮膚を薄く斬る程度の浅い攻撃だ。致命傷からは程遠い。左足を半歩引けば容易に躱せる斬撃だが――、
キンッ!
男はその場から動くことなく、大鎌で防ぐことを選んだ。ちょうど刀の切っ先が左胸に触れるギリギリのところで、大鎌の柄で受け止める形だ。拓哉の狙い通りである。
もっと手前で斬撃を防ぐこともできただろうが、男は斬撃をぎりぎりで防ぐ癖があった。腕によほど自信があるのだろう。
だが、その自信が命取りだ。
拓哉は柄のボタンに手を添えて、押し込んだ。
ズドンッと思っていたよりも重たい音がして、刀身が発射された。
刀の切っ先から男の左胸までは、ほぼゼロ距離。
回避不可能な刺突の攻撃になる――はずだった。
「――え?」
およそ理解できない出来事が、拓哉の目の前で起こった。
刀身に接していた大鎌の柄が、刀身を咥えていた。
柄の一部に突然、人間の口のようなものが現れたのである。
発射されるはずの刀身は、その口に咥えられ、動きを止めていた。
――バキッ!
「おいおい相棒。オレ様の手を煩わせるなよ。いや、この場合は口を煩わせるなって言ったほうが適切か。ギャハハハハ――」
しかも、その口は刀身を嚙み砕き、喋り始めたのだ。
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