第4話
「パパとママ、大丈夫かな」唯菜は心配そうな顔になる。「もしかしたら家の中であたしたちの助けを待ってるかも。隠れてないで、助けにいったほうがいいんじゃない?」
「それは……」
父と母が何らかのトラブルに巻き込まれ、拓哉たちの帰りを待っている。
なぜ家中の電気が点いているのか、説明がつかない以上、その可能性もないとは言えない。
「ほら。ひょっとしたらあたしたちが悪いほうに考えすぎってこともあるでしょ。パパとママがあたしたちを驚かそうとして、家中の電気を点けただけかもしれないし」
唯菜が心からそう思っていないことは伝わってきたが、
「……そうだな」
拓哉自身も、何事もなければ――杞憂に終わるなら、それでいいと思っていた。
拓哉たちが茂みに隠れてから少しして、母屋の玄関の扉が開いた。
「……誰?」
出てきたのは、父でも母でもない。拓哉たちの知らない男だった。不気味な黒装束で、すらりとした背丈をしている。歳は二十代前半に見える。
彼の手には、見たこともないほど大きな鎌が握られていた。二メートルはあるだろうか。
ただの一般人でないことは明らかだった。
男は拓哉たちの隠れている茂みのほうへ、ゆっくりとした歩調で向かってくる。拓哉たちのそばには、拓哉たちが先ほど上ってきた山道がある。男はそこを歩いて下山するつもりなのだろうか……。
けれど、男は何を思ったか、少し歩いたところで立ち止まった。
そのまま体の向きを変えると、家の裏手のほうへと歩き去っていった。
「…………誰?」
唯菜が先ほどと同じ言葉を言う。
「初めて見る顔だったよね。それにあの大鎌……」
拓哉は嫌な想像が止まらなかった。それは唯菜も同じだったようで、
「お兄ちゃん、早く行かないと! パパとママが助けを待ってるかも!」
「ダメだ」
家に向かおうとする唯菜を、拓哉は引き留める。
「まだあの男が辺りをうろついているかもしれない。見つかったら危険だ」
「でも……!」
唯菜は納得がいかないようだ。
拓哉だってもちろん、今すぐにでも家に帰って両親の無事を確かめたい気持ちでいっぱいだった。さっきの男は単なる訪問者で、大鎌を持っていたのは近くで農作業に従事している農家の人だったからだと思いたかった。
拓哉が知っている限り、家族以外の誰かが家にやってきたことは一度もなく、近くで他の民家や畑を見たことはなかったが……。
それから三十分ほど茂みに身を隠していたが、男が再び姿を見せることはなかった。
「もうそろそろいいよね?」
「……そうだな」
拓哉たちは茂みを出た。周囲を警戒しつつ、母屋の玄関へと向かった。
玄関の扉を開けて中に入る。外からは分からなかったが、玄関や廊下の明かりも点いていた。トイレや風呂場も覗いてみたが、そちらも点けっぱなしになっていた。よくブレーカーが落ちなかったものだ。
「……いないね」
いつもなら母がいるリビングを含め、一階には誰もいなかった。無人の部屋に照明が煌々と輝く様子に、拓哉は薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。
「……行こう」
唯菜を連れて、二階へと続く階段を上がる。
二階もやはり廊下の電気が点けっぱなしになっていた。
先に拓哉の部屋を覗いた。
外から見て分かっていたことだったが、部屋の明かりは点いていた。
「荒らされた様子はないな」
一見して変わった様子はなかった。物が動かされた形跡もない。
続いて唯菜の部屋も見てみたが、唯菜も特に変わったところはないとのことだった。
二階の物置部屋など、他の部屋も覗いてみたが、いずれも異変は認められなかった。
「あと見てないのは……離れか」
一階に降りて、離れへと続く外の石畳に出ようとしたところで、拓哉は異変に気づいた。
いつもは家族の人数分、つまり四人分のスリッパが石畳の前に並んでいるのだが、それが今は二人分しかなかった。
「父さんと母さんは離れのほうにいるってことか」
二人して道場に?
父が稽古で離れを使っている可能性は否定できないが、母も離れにいるというのは解せない。拓哉の経験上、母が離れに行くのは、食事の準備ができたことを知らせるときくらいだ。
「……行こう」
嫌な予感がしたが、いつまでも立ち尽くしているわけにもいかない。
隣にいる唯菜に声をかけて、拓哉は離れへと向かった。
離れの入り口まで来たところで、嫌な予感は確信へと変わった。
入り口の引き戸はわずかに開いていて、そこから生臭い悪臭が漏れていた。
拓哉が扉を開けるのをためらっていると、
「パパ! ママ!」
隣にいた唯菜が扉を勢いよく開け放った。
離れの中は、想像の何倍も酷い有様だった。
綺麗だった壁は、鋭い刃物で斬りつけられたように、至るところに傷がついていた。
拓哉たちが毎日雑巾がけしていたフローリングの床は、抉られたように、あちこちがめくれ上がっている。足の踏み場にも困るほどだった。
何より酷かったのは、父と母だった。
父と母は、道場の真ん中辺りで倒れていた。
「パパ! ママ!」
唯菜が二人の下へ駆け寄る。足場が悪く、何度も転びかけていたが、唯菜は決して足を止めなかった。
拓哉も唯菜の後を追って、両親の下へと近づいた。
「――パパ! ママ! ねえ! 起きてよ!」
唯菜は両膝をつき、父と母の体を懸命に揺すっていた。
けれど、二人が目覚める様子は一向になかった。
父と母は、明らかに死んでいた。二人とも仰向けで、虚ろな目を天井に向けている。
二人の死体の周りには血だまりができていた。膝をついた唯菜の制服のスカートが赤黒く染まっていく。拓哉はその光景を半ば放心状態で眺めていたが、急激な吐き気に襲われて、道場の入り口へと向かった。
外でひたすらに吐いていると、背に柔らかな感触があった。
振り返ると、唯菜が「大丈夫?」と言って背中をさすってくれていた。
「……ありがとな。唯菜は――」
大丈夫なのか、と訊こうとしてやめた。
唯菜の頬には、痛々しい涙の跡が残っている。
父と母が死んで大丈夫なはずがない。
「もう大丈夫だ」
胃の中が空っぽになるまで吐いた拓哉は、ゆっくりと上体を起こした。
正直、まだまだ気分は悪かったが、気遣ってくれる妹の前で、これ以上無様な姿を見せるわけにはいかない。
「俺は中に戻るが、どうする?」
二人の死体をこれ以上見たくはないだろうし、唯菜はこのまま外で待っていたほうがいいんじゃないか――言外にそんな意味を込めたつもりだった。
唯菜は首を横に振った。
「……ううん。あたしも行く」
「……そうか」
唯菜がそう決めたのなら、反対する理由はなかった。
拓哉は唯菜とともに道場の中へと戻った。
さっきは二人の死体を直視する余裕がなかった。警察に連絡する前に、父と母の姿を最後に見ておきたかった。
父の体には、肩からわき腹にかけて斜めに深い切り傷があった。その右手は強く刀を握りしめている。
母の体は、腹の真ん中に鋭い刃物が貫通したような跡があった。父とは違って両手は空っぽだった。
激しく争ったのか、二人の体には小さな傷もたくさんあった。
「ねえ、お兄ちゃん」
拓哉の隣で死体を見ていた唯菜が話しかけてくる。その顔には、先ほどまであった悲愴さは感じられない。懸命に感情を押し殺しているのだろう。
「これ、何かな?」
唯菜が指差したのは、母の額だった。
母の額から、何やら小さな突起のようなものが飛び出していた。
「……取れないな」
飛び散った床の木材でも載っているのかと思ったが、突起状のものは母の額に固くくっついているようで、指でつまんで引っ張っても取れなかった。
間近で見ると、突起は薄い桃色で、直径二センチほどの円錐型をしていた。
その形を一言で表すなら、
「角、か」
「あたしも思った。角みたいだなって」
父の額も見てみたが、そっちに角は付いていなかった。
「これが何かは分からないが……」拓哉は母の額から目を離す。「後は警察に任せたほうがいいだろうな」
「……そうだね」
両親を殺した犯人は、間違いなくあの大鎌を持った男だろう。
警察に情報提供し、男が捕まるのを待つ。拓哉たちにできることはそれくらいだった。
拓哉はズボンのポケットから携帯を取り出し、警察に電話しようとした。
しかし――、
「警察に連絡するのは、やめておいたほうがいい」
突然、背後から声がした。
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