第3話
一日の授業が終わり、拓哉は校門で唯菜を待っていた。
「お兄ちゃん、お待たせ~」
唯菜が小走りでやってくる。
二人とも部活に入っていないため、下校時刻も重なることが多い。下校時刻が異なる日は、どちらかが図書館で時間を潰すなどして、一緒に帰っていた。一時間かかる山道を一人で歩くのは、中々に暇だからだ。二人で雑談しながら歩けば、一時間の山道もさほど苦痛に感じない。
さっきから中等部の制服を着た女の子たちのグループが、いくつか校門を通過していた。唯菜と同じく部活に入っていない子たちなのだろう。
彼女たちは皆一様に拓哉たちのほうを見て、ひそひそと何事か喋っていた。
見られている側としては、正直いい気持ちはしない。
「お兄ちゃん、どうしたの? 恐い顔して」
「やけに周りが見てるなって」
「周り? ――ああ、あの子たち。いつものことでしょ」
「いつものこと……?」
「うん。もしかしてお兄ちゃん、今まで気づいてなかったの!?」
唯菜は軽く目を見開いている。
「お兄ちゃんってほんと、周りのこと全然見てないよね。周りへの関心が薄いって言うか」
「別にそんなことないだろ。むしろ俺は周りをよく見ているほうだと思うぞ」
「ほら、そういうとこだよ。周りをよく見ている人は、自分でそんなこと言わないって」
「そんなことは――」
「あるって。じゃあほら、今日のあたしはいつもと違います。一体どこが違うでしょうか?」
唯菜は一歩下がって、その場でくるりと体を回した。スカートがひらりと舞う。
拓哉は唯菜の全身を上から下までじーっと見つめる。
心なしか周りにいた女子生徒たちのひそひそ声が大きくなった気がする。
「……髪留めか」
「ぶぶー、ハズレ。正解は、前髪を一センチ短くした、でした」
「一センチって……そんな微妙な変化、分かるわけないだろ」
「『俺は周りをよく見ているほうだと思うぞ』――誰のセリフだったっけ。よく見ている人なら答えられたと思うけどなぁ」
「それは……」
「それにお兄ちゃん、髪は女の子の命だよ。それを『そんな微妙な変化』なんて言葉で片づけるなんて、男の子失格だよ。唯菜はお兄ちゃんの妹だから許してあげるけど、他の女の子におんなじこと言ったら、間違いなく幻滅されちゃうよ。そもそもお兄ちゃんは女心が全然分かってない。この前だって――」
「唯菜。いいから帰るぞ。話は帰り道にいくらでも聞くから」
「むぅ。ほら、そういうとこだよ」
唯菜は頬を膨らませる。
「でも、あたしはお兄ちゃんの妹だから許してあげる」
本気で怒っていたわけではないようで、唯菜は鼻歌を歌いながら歩きだす。
やれやれ、と思いながら、拓哉も後を追った。
帰り道の途中で、拓哉たちは駅前のスーパーに寄って、買い出しをした。
以前は拓哉たちが学校で授業を受けている昼間に、母が一人で買い物に出かけていた。けれど、買い出しのためだけにわざわざ片道一時間の山道を往復するのも大変だからと、「あたしたちが学校帰りについでに買って帰ってくるよ」と唯菜が言い出した。
それからというもの、拓哉は半ば唯菜に巻き込まれる形で、こうして買い出しに付き合わされている。拓哉が面倒だと感じながらも買い出しに付き合っているのは、唯菜の指摘が至極もっともなもので、反対する糸口が見つからなかったというものある。
「それで、さっき校門にいた女の子たちは、どうして俺たちを見ていたんだ?」
買い出しを終えて山道を上っている途中で、ふと思い出し、隣を歩く唯菜に尋ねた。
すると――、
「お兄ちゃんは中等部で人気者だから」
訳の分からない答えが返ってきた。
「俺が人気者? 部活にも入っていなかった俺が? 何の冗談だ」
放課後は家で稽古があるため、中学の時も部活には入っていなかった。下の学年との交流は一切なく、知り合いの後輩もいない。
人気者と言われても、悪い冗談にしか聞こえなかった。
「ほら。お兄ちゃん、いっつもあたしと一緒に帰ってるでしょ。校門のところで待ち合わせて」
「それがどうかしたのか?」
「中等部の女の子たちの間で、話題になってるの。白馬の王子様みたいって」
「……は? 白馬の王子様? 何言ってるんだ?」
意味が分からなかった。
「あたしを待ってる立ち姿がカッコいいとか、背筋をピンと伸ばして歩く姿が男らしいとか、色々と言われてるんだよ」
幼い頃から稽古を続けているためか、姿勢の良さは自然と身についていた。
「お兄ちゃんに校門のところで待ってもらいたい、なんて言う子もたくさんいるんだよ」
「……訳が分からん」
拓哉には女子中学生の考えることが全く理解できなかった。
「えへへ」
「……なんでそんなに嬉しそうなんだ」
「決まってるじゃん。お兄ちゃんが褒められたら、あたしも嬉しいもん。あたしが褒められたら、お兄ちゃんも嬉しいでしょ?」
「……そうか?」
唯菜が褒められているところを想像してみたが、あまりしっくりとこなかった。
「そうなの! もうほんと、お兄ちゃんは女心――妹心が分かってないんだから。もっとしっかりとお兄ちゃんしてくれないと」
一時間ほど歩き、道の先に家が見えてきたところで、拓哉は首を傾げた。
いつも玄関前で刀を振るっている父の姿が、今日は見当たらないのである。帰宅する拓哉たちに「お、学校はどうだった」と声をかけてくるのがお決まりなのだが。
父は雨の日でも、たとえ台風の日であっても、拓哉たちが学校から帰ってくるときは、いつも家の前で刀を振るっていた。一度、台風の日に外で刀を振るっていたら、刀を上段に構えた父に雷が落ちて、生死の境を彷徨ったこともあるくらいである。
そんな父が?
「部屋で話があるって言ってたし、先に部屋で待ってるのかな?」
隣を歩く唯菜がそう言うが、本人も納得はいっていないようで、小首を傾げている。
森を抜けて、家の全体が見えてきた。母屋は二階建てで、一階にはリビングや風呂場、両親の寝室などがある。二階には拓哉と唯菜の個室があった。離れは一階建てで、主に道場として使われている。
拓哉のいるところからは、一階のリビングや二階に並ぶ二つの個室の窓が見えた。それらの窓から明かりが漏れている。離れの道場に目をやると、そちらも明かりが点いているようだ。
拓哉はその光景を目にして立ち止まる。
「……やっぱりおかしいだろ」
「何が? 早く家に入ろうよ。重たいし」
唯菜は右手に持っていた食材の入ったビニール袋を少し持ち上げる。
「いいからついてこい」
唯菜の言い分を無視して、拓哉は空いている手で唯菜の左手を掴んだ。
そのまま近くの茂みに連れていき、二人で身を隠す。
「ちょっとお兄ちゃん、急にどうしたの? 家は目の前だよ」
繋いだ唯菜の手は微かに震えていた。ただならぬ拓哉の様子に不安を感じているのだろう。
「いいか、唯菜。よく聞け」
唯菜の不安を煽るような真似はしたくなかったが、このまま何も説明しないのは、それはそれでリスクが高いと判断した。唯菜には今がどれほど異常な状況かを理解してもらう必要がある。唯菜の身に何かあってからでは遅いのだ。
「家の窓を見てみろ。変だと思わないか」
「何が……あ」
唯菜も気づいたようだ。
「そうだ。ここから見える限り、全部の部屋の明かりが点いてる。おかしいだろ。家にいるのは父さんと母さんの二人だけだ。母さんはリビングで夕飯の献立を考えてるとして、父さんは……? 仮に道場にいるとしても、二階の俺たちの部屋の明かりが点いてるのはどうしてだ。俺たちはここにいるっていうのに」
「……泥棒、とか?」
「家中の明かりを点けてか? そんなことをしたら目立つし、部屋の中が丸見えになるだろ。せめてカーテンを閉めるはずだ。だけどそんな様子はない。泥棒だと考えると、あまりにも間抜けすぎる」
「でも、この辺りは人が住んでないでしょ。誰かに見つかるとは思ってなかったのかも」
「考えられなくはないが……。それでも普通は念のためにカーテンを閉める気がする。盗みに入るってなったら、誰でも慎重になるだろうし」
「そう言われるとそうかも。でも、だったらどうして家中の明かりが点いてるんだろ。お兄ちゃんはどう考えてるの?」
「……分からない。家で何か異変が起きていることは間違いないと思うが……」
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