39 恋している顔

 付き合い始めてから、初めて迎えた週末。


 とうとう、約束の絵のモデルになる日がやってきた。


 モデルって何か特別なことをするのかな。全く分かってないけど、ひとつだけ分かっているのは――描いている間、日向に見つめ続けられるってことだ。なにそれ、滅茶苦茶ドキドキしちゃうんだけど! 緊張し過ぎて挙動不審になったらどうしよう。


 どうして気軽にモデルをやるなんて言えたのか、あの頃の俺の神経が信じられない。だって、日向が俺の詳細までじっと観察するんだぞ!? よだれの跡とか髪の毛が跳ねてないかとか、これまで深く考えてなかったことまで急に気になってくるのが恋なんだと知った。俺は正真正銘、日向に恋している。


 ちなみに場所だけど、今は梅雨時でいつ雨に降られるか分からない時期だ。なら、どちらかの家にしようかという話になった。ここまでは問題ない。


 すると日向が「春香が話を聞きたがっていてうるさいから井出……じゃない、冬馬の家がいい」と言い出したんだ。えっ、俺んち!? てことは、俺の部屋だよな!? どうしよう! 雑誌とか床に詰んだままじゃん! と、大慌てで掃除したのが昨日までの話だった。


 ちなみに付き合うことになってすぐ、日向が「……俺も名前で呼びたい」と遠慮がちに言ってきた。以降、日向は俺を下の名前で呼んでいる。だけどどうしても井出が先に出てくるみたいで、言い直すところが可愛いんだ。


 尚、急に大掃除を始めた俺を見る母さんの目からは、何だか生暖かさを感じた。「青いねえ……」という呟きも聞こえた気がする。前にも同じ台詞を聞いたけど――え、まさか母さん、何か勘づいてる!? ビビリだから聞けないよ……!


 そんなこんなで、俺はリビングで日向が来るのを今か今かと待っていた。母さんは父さんを運転手にして、日帰り温泉に出かけた。「帰りは遅くなるから、夜ご飯は日向くんと食べたら?」とお金も渡してくれた時には、マジで泣きそうになった。感謝しかない。


 時計と睨みっこしている内に、日向が来ると言っていた時間になった。と、ピッタリの時間にピンポーン、とチャイムが鳴る。……まさか、外で時間調整してたりしない? 炎天下に外で待たせたくなんてないけど、日向は律儀だからなあ。


 ドタドタと駆け寄り、玄関のドアを開ける。リュックを背負った私服姿の日向が、緊張しているのか思い切り眉根を寄せながら立っていた。今日もいい睨みを利かせている。


「いらっしゃい!」


 珍しい日向の私服姿に、心臓が跳ね上がった。英語で『アイラブスウィート』って書いてあるだけの、シンプルなデザインの白いTシャツを着ている。あは、甘い物好きを堂々と主張してるのが日向らしい。


 下は黒いパンツに、真っ白なスニーカー。シンプルだけど、スタイルがいいし顔もいいから物凄くお洒落に見えるのはさすがだった。


「お邪魔します。井出……じゃない、冬馬の私服、似合ってる。可愛い」

「ゴフ……ッ! な、なんだよいきなり!」


 可愛いという表現が正しいのかは分からないけど、今日の俺の格好はオーバーサイズのTシャツに白と黒のチェックのパンツを合わせたものだ。いつもお世話になっているネット検索をしまくり、今どきの男子高校生のお洒落を頑張ってみたので、褒められたらそりゃ嬉しい。


 実は、日向がうちに来ると決まってすぐに「私服がダサいよ!」と頭を抱えていた俺に、母さんが「全く」と苦笑しながらネット通販であれこれ買ってくれたのだ。もう本当マジで感謝で一杯だ。「このご恩は必ず……!」と拝んだら、「あんたが楽しそうだからいいよ」とさらりと返された。……沢山心配かけてたんだな。


 相変わらず鋭い眼光で凝視しながら、にこりともせず日向は答える。


「可愛いから可愛いと言ったんだ。人より審美眼はあると思うから、間違いはない」


 なんか前も似たようなことを言われたな。あ、俺の顔について日向が意見した時だ。思い返してみれば、あの頃から日向の愛情は真っ直ぐ俺に向けられていたんだな。鈍感すぎる自分が、逆に心配になる。

 

「と、とにかく上がって」

「うん」


 ドキドキしながらも、平然を装って日向を部屋に通した。頑張って片付けた甲斐があって、それなりに片付いている。日向の部屋よりは狭い分、距離が近くなるのがあれだけど。


 日向をベッドに座らせて、俺は台所に冷たい麦茶を二人分取ってくる。部屋に戻ると、日向は早速スケッチブックと鉛筆を取り出して待機していた。


「ど、どうぞ」

「いただきます」


 礼儀正しい日向はきちんと口に出すと、美味しそうに麦茶をグビグビ飲んでいく。額から伝った汗が、くっきりした喉仏の横を通り過ぎていくのを見て、不覚にもときめいてしまった。男の色気ってこういうことを指すんだろうな。羨ましい。……って、俺の彼氏じゃん!


 頭の中では俺は大騒ぎしているけど、不慣れな状況すぎて実際は静かだった。だって、声に出したら震えそうなんだよ。


「じゃあ早速いい?」

「あ、うん。ど、どこにどうすればいい!?」


 アワアワしながら聞くと、日向が「ふはっ」と吹き出す。


「自然な井出の顔を描いてみたい。というか、これまでずっと横顔しか描けなかったから、正面から井出を描きたい」

「お……おうっ」


 挙動不審げに頷くと、日向と向い合せになってベッドの上にペタンと座った。日向は胡座を掻くと、スケッチブックを膝の上に置いて早速鉛筆を持った手を動かし始める。


「う、動かない方がいい?」

「楽なようにしてくれたらいいよ」

「そんな感じなんだ」

「うん。毎日ずっと見つめ続けてたから、パーツは記憶してるし。実際のバランスを確認したい感じ」

「へ、へえ」


 ……さり気なく毎日見つめ続けてたって言われたぞ。やっぱりあの睨んでる風のって、見つめてたってことなんだな。日向、どれだけ俺のことが好きなの? へ、へへ。


 お互い、無言になった。部屋に響くのは、二人の僅かな呼吸音と、鉛筆が紙を擦る音だけ。


 日向の眼差しは真剣そのもので、目が合っても笑うこともない。――き、きっついよこれ! 何がって、ドキドキし過ぎて息苦しい!


 これは駄目だ。俺が保たない。


 早々に耐えられなくなった俺は、日向に頼んでみることにした。


「日向……き、緊張する……っ! 目、瞑ってもいい……?」


 日向は少し考え込んでいたけど、やがて小さく頷く。藁にも縋る思いで瞼を閉じると、視線と息遣いは感じるものの、逃走したい気持ちは若干落ち着いた。うん、これなら何とか日向の要望を叶えてあげられそうだ。


 だけど、いつまでこの状態なんだろう。日向のスケッチのスピードが速いのは知ってるけど、詳細も描くとなると時間がかかりそうだ。


 俺は昨夜、必死で片付けをしていた。日向が俺の部屋に入ることに興奮して、なかなか寝付けなかった。


 つまり、早い話が俺は寝不足だったのだ。


 段々睡魔が忍び寄ってきて、気付けばふわふわした半分眠っている状態になる。


 どれくらいその状態だったのかは、俺には分からない。


 目を覚ましたきっかけは、ふに、とやけに柔らかい感触が唇に当たったからだった。……ん? なにこれ。


 急激に、意識が浮上していく。重い瞼をゆっくり開くと、日向の睨んでいるような顔がすぐ目の前にあるじゃないか。下瞼が赤くなっていて、バチッと視線が合った瞬間、驚いたように目を見開いた。


「あ……可愛くて、我慢できなかった」

「……あ、うん……?」


 え――、え、えっ!? これってもしや!?


 俺の方こそ驚いて目をまん丸くして固まっていると、日向は身体を引いて横に置いていたスケッチブックを手に取る。


「できたよ」

「お、おお……」


 スケッチブックに描かれていた俺の顔を見て、更に衝撃を受けた。


「……俺、こんな顔してたの?」

「ん? ああ、そうだけど?」


 どこか照れ臭そうな様子の日向が、何が問題か分からないとばかりに答える。


 だ、だって、モデルになって目を瞑っている時、俺は普通に目を閉じてるつもりでいたんだ。なのにこれじゃ。


 日向が不思議そうに首を傾げた。


「……違った?」

「う、ううん! そうじゃないんだ! ただこれじゃ、俺こんな嬉しそうな顔してたのかって思って、どんだけ日向のこと好きなんだよって、あは、はははっ」


 そう。描かれていた俺は、俺を描いてくれている相手に恋している顔そのものだったのだ。


 と、日向がスケッチブックをまた横に置く。照れ臭そうに、だけど嬉しそうに微笑んだ。


「……俺も、冬馬が大好きだよ」


 日向の言葉と表情に、俺の顔にも勝手に笑みが溢れる。


「日向……俺、滅茶苦茶幸せ。へへ」

「……俺も」


 俺たちはどちらからともなく顔を近付けると、今度は不意打ちではないキスをしたのだった。


―完―

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