37 好き

 学校を飛び出すと、駅までの通学路をひた走る。


 こんなに走ったのは、体育祭でいいところを見せようと走り込みをした時以来だ。


 運動不足のせいで、体力が落ちまくっているのがよく分かる。息をすることすら苦しいけど、できる限り沢山酸素を取り込むと、駅に到着するまで走り続けた。


 改札にICカードを叩きつけて、ホームに駆け込む。電車はまだ来ていなかった。


「……ッ!」


 電光掲示板を見上げると、隣の駅から電車が出るところだとある。


 息を整えながら今か今かと電車の到着を待つ間、スマホを取り出して日向が既読を付けていないかを確認してみた。


「日向……」


 画面には、やっぱり既読の表示は付いていなかった。俺に対する拒絶に思えて、唐突に叫びたくなる。だけど、ここには顔面を押し付けられるマイ枕がない。胸をドンドンと拳で幾度も叩いて、欲求を抑えつけるしかなかった。


 そうこうしている内に、電車が滑り込んでくる。俺は信号待ちで足踏みしているランナーみたいになりながら、電車が停止するのを待った。


 まだ帰宅ラッシュの時間には早いからか、車両内はそれほど混雑していない。ここのところずっと日向に支えられながら乗っていたから、ひとりで乗るのは久々で変な感じがする。


 ドアが開くと同時に電車の中に飛び込むと、スマホを握り締めて瞼を閉じた。



 日向の家の最寄り駅に降りる。


「あれ……どっちだったっけ」


 この駅に降りたのは、たったの一度だけ。あの時はゲリラ豪雨に降られてびしょ濡れだったこともあって、日向の背中を追うだけで精一杯だった。


 帰り道は日向に駅まで送ってもらっているけど、もう暗くなっていたこともあっていまいち景色を覚えていない。


 春香ちゃんに住所を聞いておけばよかったな、と思っても、後の祭りだ。


 それでもなんとか日向と行った思い出のパンケーキ屋を見つけた後は、半分以上勘を頼りに進んで行った。何度か立ち止まりながらも、ようやく見覚えのある綺麗な一軒家が視界に入った時は、膝から崩れ落ちそうになった。自分の方向音痴具合が、情けなさすぎる。


 表通りから見上げてみる。青いカーテンが閉められた窓。あそこが日向の部屋だろう。


「チャイム……はどうなんだろう……いやでも、俺の顔がモニターに写ったらきっと出てくれないよな……」


 これからやろうとしていることは、はっきり言って家宅侵入だ。家人のひとりである春香ちゃんから鍵を預かっているとはいえ、ビビリな俺にはかなり勇気がいる行動だった。


 玄関の前まで来たはいいけど、どうしても躊躇する。制服のズボンのポケットに入れておいた、白猫のアクリルキーホルダー付きの鍵を取り出した。


「はは……なにこれ」


 自分でも思わず笑ってしまうくらいに、俺の手はブルブル震えていた。


 心の中ではいくら強がっていても、どうしても怖いものは怖かった。


 日向に出ていけと言われたらどうしよう。俺に興味を失った目で拒絶されたら、抵抗できる気は一切しなかった。


「――よし、それなら……っ」


 拒絶される前に言いたいことを先に言っちゃえばいい。


 震え続ける右手の手首を左手で強く握り締めると、鍵穴に鍵を差し込み――回転させた。


 カチ、という音が、俺に対する死刑宣告のカウントダウンにも聞こえる。


 鍵を抜き取ると、なくさないように再びポケットの中にしまい込んだ。


 フー、と長い息を吐くと、両手で頬を二度、強めにパンパン叩く。


「いってえ……っ」


 頬がジンジンしたけど、これで気合いは入った。


 これまたお洒落な銀色の取っ手を握り締めると、一気に開いて中に入る。靴を脱いで揃えると、唇を噛み締めてから――駆け出した。


 あの日の春香ちゃんのように。


 春香ちゃんに「井出先輩! 行って!」と背中を押されている気分だった。


 緊張のあまり、段々頭が真っ白になっていく。階段を一気に駆け上ると、閉じられた日向の部屋のドアの取っ手を掴み、大きく開いた。


「日向あっ!」

「えっ!?」

 

 勢い余って、ドアが壁にバン! と当たって跳ね返る。俺はそれを腕で受け止めると、ベッドの上で胡座を掻いて目を大きく見開き滅茶苦茶驚いている様子の日向に向かって、ビシッと指を差した。


「いいか日向! 聞け!」


 日向は余程驚いたのか、固まったまま人形のように動かない。よし、作戦成功だ!


 だ、だけど、あれ、何を言うつもりだったっけ!? 準備していた言葉があった筈なのに、あまりの緊張からかすっぽ抜けてしまった。


 ええと、その、え、あの……! 早く、早く何か言わないと、帰れって言われたら……!


 俺が好きなのは、好きなのはだな――!


「おっ、俺がドーベルマンが好きだって言ったのはな!」


 あ、なんか違う。そうだ、最初に山本とは付き合ってないって言うつもりだったのに! でももう行くしかない!


「ひっ……――日向がドーベルマンにそっくりだからだあああっ!」


 ……言った。言ってしまった。


 ぽかんとしたままの日向が、何度か口を動かした後、呟く。


「……へ? 俺が……え、どういう……」


 ええい! もうこうなったらとことん言ってやろうじゃないか!


 俺はぐるりと部屋を見渡すと、俺の横顔ばかり描いた例のスケッチブックを探す。――机の上に見つけた!


 それを手に取ると、ドカドカ足音を立てながら日向の前に仁王立ちする。


 俺を見上げる日向の目には、若干怯えが見えるような気がしないでもないけど……いや、気にしちゃ駄目だ、いけ、冬馬!


「あのなあ! そもそも山本と付き合うなんてひと言もいってないだろ!」

「――え? で、でも」

「でももへったくれもない! 人の話を最後まで聞かないでさ、何なんだよお前!」


 段々腹が立ってきて、怒り顔に変わっていたんだろう。日向が怯えたシェパードみたいな顔になって、俯きがちの上目遣いになった。


 ……可愛くしても駄目! 言ってやらないと気が済まない!


「わ……悪かった……けど」

「けども何もないんだよ! いいか! 耳を穿ぽじってよーく聞きやがれ!」


 俺はスーッと息を吸い込むと、隣近所に響き渡るくらいの大声で言ってやった。


「俺はな! 日向! お前が好きなんだよ! 分かったかバーカ!」


 あ、バカは取り消す! わ、や、やっちゃった……!


 日向が固まる。それが否定されているように思えて仕方なくて、泣きそうになった。だけど、例えそうだとしても、だったら俺に誤解されるような態度を取り続けたのは日向の方だ。


 中学の時とは違って、絶対俺ばっかりのせいじゃない――今度ばかりは!


 だって、俺には証拠があるんだから!


 スケッチブックの最後のページを開く。このスケッチブックに描かれた俺の横顔の中で、一番丁寧に描かれていた笑顔があるページだ。


「お前はどうなんだよ!? こんなに俺のことばっかり描いて、1ミリも好きじゃないって言うのか!?」

「……ッ!」


 戸惑うような不安げな日向の目線が、あっちを向き、そっちを向き。


 最後に窺うように、俺を見上げた。


 眉間に、それはそれは深い皺を刻みながら。


「俺も……ずっと好きだった……」


 じわりと滲む切れ長の瞳を見ている内に、俺の瞳もどんどん濡れてくる。


「じゃあ……! 避けるなよ……!」


 俺の腕を、震える日向の手が掴んだ。


「い……っ、井出が、彼女ができたって言うのが……聞きたくなくて……っ!」

「……言わないって言ってんだろ」


 日向は俺の腕を持ち上げて額を付けると、嗚咽を漏らしながら絞り出すように言う。


「傍にいたら、俺の方がずっと好きだったって……言ってしまうんじゃないかと思って……っ。俺の気持ちがバレたら、今度こそ井出が離れるんじゃないかって、怖くて……っ」


 ……なんだよ、その可愛い理由は。


 掴まれてない方の手で、日向の頭にそっと触れた。やっぱり見た目のワイルドさとは違って案外柔らかい黒髪を、子供をあやすように幾度も撫でる。


「……じゃあ、お前の予想は外れたな」


 ぐす、と鼻を啜りながら、小さく笑った。すると、日向がバッと顔を上げて俺を思い切り睨みつけてくる。だから、その眼光。


「井出……泣いてる……」

「お前が突然俺を拒絶するからだぞ」

「ごめん……ごめん、井出……っ!」

「分かってくれりゃあ――おわっ!?」


 日向は突然俺の腰を引き寄せると、日向の膝の上にぽてんと座ってしまった俺をぎゅうぎゅうに抱き締めてきた。


 苦しい。


「ごめん……っ、好きだ、好きなんだ井出……っ!」


 でもさ。


 俺の方に瞼を付けて泣きじゃくる日向を見ていたら、可愛さにキュンとしてしまい。


「……ん。俺も好き」


 両腕を伸ばすと、日向の頭を抱き締めた。

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