35 戦友

 日向は今日、学校を休んだ。


 だから思ったんだ。ひょっとして、昨日は途中から具合が悪くなっちゃって、俺に移しちゃいけないと思ってあんな行動を取ったのかもしれないって。


 自分に都合のいい考えだっていうのは、よく分かっている。だけど本当に具合が悪かったのなら、態度が急変したのだって理解ができるんだ。それに、一向に既読が付かなかったのだって、熱でも出てうなされてたらそりゃあスマホなんて見ないだろうし。


 一瞬、「どうしよう」と迷った。だけど俺は、やっぱり日向の隣にいることを止めたくはない。日向に俺が離れていったとも思われたくはない。


 だから授業と授業の合間に、『具合大丈夫?』と送ってみた。


 でもやっぱり、既読は付かなかった。


 だけど、日向がいないことでよかったこともある。


 山本への返事だ。


 これまでのように日向が隣にいたら、抜け出すのは難しかった。それくらい、俺と日向は四六時中ずっと一緒に過ごしていたから。


 だけど、今日日向はいない。だから山本にメッセージを送って、昼休みに会うことにしたんだ。


 隣の席に日向の存在が感じられないことに淋しさを覚えつつ、昼休みになった瞬間に弁当を掻っ込む。


 待ち合わせ場所は、やっぱり映研部の部室前。旧校舎に学年の教室はないので、あまり人が来ないのだ。


 バクバクと勢いよく呑み込み、ペットボトルのお茶を半分ほど一気飲みにする。急いで空の弁当箱を片付けると、口許を手の甲で拭ってから立ち上がった。


 もしかしたら、泣かせるかもしれない。


 山本の告白を断っても、日向と付き合える可能性なんて無きに等しいのも分かってる。


 だけど――俺はもう、愛想笑いをして自分を誤魔化し続けたくはなかった。


 階段を駆け下りて、三階の渡り廊下を走る。


 昼飯は食べてないんだろうか。視聴覚室の前には、昨日と同じ体勢の山本がポツンと立っているのが見えた。


 どう伝えたら嫌われないかなと考えて、自分がまた無意識に逃げ道を探していることに気付く。覚悟しろ、冬馬。嫌われても仕方ないことをこれから言うんだから。


 山本が、俺の気配に気付いたのか顔を上げてこちらを見た。緊張の面持ちで、唇を噛み締めている。


 今日は山本の隣じゃなくて、正面に立った。自分が簡単に逃げられないように。


「山本、待った?」

「え、あ、ううん」


 山本の目線はあちこちを彷徨い、ちっとも落ち着いていない。日頃の山本と比べたら大違いだ。


 どう言おう。なんて言ったらいい。


 ここに来るまでの間、ずっと考えていた。でも結局結論は出なかった。だから、俺は――。


「ごめん」


 腰を折り曲げて、頭を下げたんだ。


 山本がハッと息を呑む音が聞こえる。


 頭を下げっ放しの俺の目に、強く握られていた山本の拳の力が抜けていくのが見えた。


「……ん。全く意識されてないのは分かってたんだ」


 顔を上げると、泣きそうな顔に笑みを浮かべる山本の姿がある。こんな顔を山本にさせているのは俺なんだと思うと、辛い。でも、それでもやっぱり俺は「付き合う」と言ってあげることはできなかった。


「山本……」


 なんて声をかけたらいいか分からなくてただそれだけ呟くと、山本がニカッとした笑顔を見せる。


「二年のさ、佐藤いるじゃん?」

「うん? あ、ああ」


 あれ? これって何の話が始まったんだ?


「実はさ、井出が休んでいる間に、こ、告白されて」

「えっ」


 なんか怪しい雰囲気だと思ってたら、俺の予想は当たってたのか。


 山本の笑顔が、ぐしゃりと歪む。


「い、井出のことが好きだからって断ったんだけど……でも卒業までは言うつもりないって言ったら、ふざけんな今すぐ告白しろって怒られてさ……っ」


 山本を介しての二年の佐藤の言葉は、俺の胸にエグく突き刺さった。何故ならそれは、まるきり俺がしようとしていた先延ばしと同じものだったからだ。


「成功したら悔しいけど諦めてやる、失敗したら俺が慰めてやるからなんて言われてさ、……乗せられて」

「そう、だったんだ」


 突然のように思えた山本からの告白の裏には、二年の佐藤の後押しがあったのか。


 ぽろりと涙をひと筋流した山本が、笑顔のまま告げる。


「私さ、ほら、結構変わってるじゃん?」

「否めない」


 俺の目にも、何故か涙が滲んできた。山本が、声を出して笑う。


「本当井出ってそういうところ井出だよね。……女らしい可愛い格好とか苦手だし、女子でつるんでも気が付くとひとりになってるし、言うことは可愛くないことばっかりなのも分かってるけど、それでも井出だけはずっと態度が変わらなくて」

「……そっか」


 そういうことだったんだ、とようやく腑に落ちる。どうして俺のことを? と思っていたけど、山本と俺は背中合わせになって互いを守る戦友みたいな存在だったのかもしれない。


「井出の近くは、息がしやすくて」

「うん。俺も山本といると息がしやすかった」


 と、ここで山本が俺が先程考えた言葉を口にする。


「なんていうか……ずっと戦友みたいな気分だった。だから好きだけど、失いたくなくて」

「俺にとっても山本は戦友だよ。断っても友達として付き合っていきたいって考えてた。狡いかもしれないけど」


 俺の言葉に、山本は「ううん」と微笑みながら首を横に振った。


「――井出」

「……うん」


 静かな目を向けられる。


「井出、好きな人いるでしょ」


 一瞬どきりとしたけど、真っ直ぐにぶつかってきてくれた山本には嘘を吐きたくはない。正直に頷いた。


「……うん」


 山本には、俺が恋を自覚してからは会っていない。つまり、自覚してなかっただけで、俺は日向のことがとっくに好きになってたってことなんだろう。


「最近よく一緒にいる背の高い人でしょ」

「……うん、そうだね」


 やっぱりね、と山本に笑顔が戻った。


「そっか。スッキリしたよ」

「……ん」


 言葉通りスッキリした表情に変わった山本が、身体の前で腕組みをする。


「実はさ、振られたら佐藤がスイーツ食べ放題を奢ってくれるって約束してるんだ。だから今日、部活休むね。井出に鍵をお願いしてもいい?」

「……うん、分かった」


 俺が頷くと、山本は笑顔のまま「じゃ、またね!」と手を振り、新校舎側へと駆け戻っていった。


 俺に振られたからといって、山本が佐藤と付き合うとは限らないだろう。だけど、山本の潔い姿は、惚れ惚れするほどに格好よかった。


 ――さすが、俺の戦友だよ。


 俺も、いつまでもグジグジしている場合じゃない。


「日向が答えなくても、他の手段はある――!」


 俺は両頬をパン! と手のひらで叩いて気合いを入れると、教室に戻ることにしたのだった。

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