34 すれ違い

 覚悟を決めて、日向に伝える。


「その……告白、された」

「え」


 あ、驚かれた。ちらりと見ると、滅茶苦茶驚き顔になってるじゃないか。いや俺だって驚いたから気持ちは分かるけど、そんなに驚かなくてもじゃね?


 なんとかこのおかしな空気を払拭しようと、へらへら笑いながら早口で続ける。


「いやその、全く気付いてなかったっていうかさ、俺鈍感すぎるしって我ながら呆れたけどさっ」

「……」


 ……こんな時に限って、なんで黙るんだよ!


 進行方向の暗がりをぼんやりと眺めながら、さてどうしようと考えていると。


 日向が、掠れ声で尋ねてきた。


「返事、したの?」

「あの、いや、まだ。しようと思ったら、ひと晩考えてほしいって走って行っちゃって。だから明日返事をすることになっててさ。その、どう伝えようかって悩んでたの、あは、ははは」

「……そうか」


 うわあ、気不味い。日向をチラ見すると、とてもいい姿勢のまま、正面のどこか遠い一点を見つめている。だから怖いって。その目には何が見えてるんだよ。


 ちなみに、日向の反応を見た結果、「よく分からない」という結論に達した。うん、まあ何となくその可能性もあるのかなって知ってたよ……くそう、ちょっとは凹むとかそういうのがあれば、俺だって……。


「あ、あはは……っ。あ、話変わるけどさ、モデルっていつやる? 日向の部活がないのって――」


 と、日向が前を向いたまま、俺の話を遮る。


「井出。明日から待ち合わせはやめよう」

「――へ? な、なんで」


 なに、突然どうしたんだよ。変な形に固まってしまった笑みを浮かべたまま、震えそうになる声で聞き返した。


 日向は、正面だけを向いている。俺の方はちっとも見てくれない。え、どうして? 俺が顔を向けるといつだって睨んでるじゃん。なのになんで今は俺のことを見ないで話をしてるんだよ。


「……彼女ができるのに、いつまでも俺が隣でベタベタしてたら嫌だろ」

「えっ?」


 あ、まさか日向は俺がオッケーすると勘違いしてる!?


「いやあのさ、日向――」


 と、日向の歩みが突然止まる。


「日向?」

「……部室に忘れ物した。スケッチブック」


 なんと。そりゃ重大だ。俺の横顔が沢山描かれてるあれだもんな。


「じゃあ一緒に取りに戻――」


 俺が踵を返すと、日向が拒絶の意思を見せた。


「いや、井出はいい。遅くなるから、先に帰って」

「えっ、でも」

「じゃ」


 日向はくるりと背中を向けると、突然の猛ダッシュで学校に戻っていく。突然のことにぽかんとしてしまった俺の視界から、どんどん日向の後ろ姿が遠ざかっていった。


「えっ、ちょっと日向……」


 なに? 突然どうしたんだよ……!


 呆気にとられて暫くその場に立ち竦んでいたけど、五分待っても十分待っても日向が戻ってこない。もしかして、スケッチブックを忘れたのは口実で、俺と帰りたくなくなったんじゃ。


「え……」


 考えてしまうのは、中学時代の同級生たちのこと。俺が好意を見せて縋り付けば付くほど、あいつらは俺をうざがって馬鹿にするようになった。


 俺の記憶の中に未だ濃くこびりついているこの感触を、俺は知っている。


 疎外感と、喪失感。それに新たに諦念感が加わったものだ。


 誰も、俺を求めない。俺に寄ってきても、その内嫌になって離れていくんだ――だって、所詮俺だから。


 ただ道路の真ん中に突っ立って、それでも日向が戻ってくるのを辛抱強く待った。その間考えたのは、「やっぱり嫌われたんじゃないか」ということだ。


 あんなに俺と一緒にいたがってくれたのに、突然手のひらを返したように「明日から待ち合わせはやめよう」なんて言われたら、そう考えるのが普通だろう。それかもしかしたら、今朝の心臓の音を聞かれていたのかもしれない。


 あの時、俺が取るべきだった行動は、もしかしたら「なにくっついてんだよ、離せよ」って抵抗することだったんじゃないか。


 日向といるのが嬉しすぎて浮かれていた俺は、やり方を間違えたのかもしれない。


 どうしよう。もしかしたら日向は、俺の日向に対する好意に気付いてしまったんじゃないか。それで俺のことが気持ち悪くなって離れたいなと思ってたところで、降って湧いたような山本の話題だ。丁度いいから離れようって思われたとしたら――?


 一気にどん底に突き落とされた気持ちになった。


 それかもしかして、俺が彼女を優先すると思って裏切られた気持ちになったのか? でもそもそも俺は付き合う気はなかったのに、それすら言わせてもらえる前に日向がいなくなってしまった。


 萎れてしまいそうになる気持ちを奮い立たせて、己を鼓舞するように拳を握って呟く。


「……うん、駅で待ってよう」


 何か誤解があるのかもしれない。日向が俺の好意に気付いたのなら、「勘違いだよ」って伝えるんだ。日向が俺を裏切り者だと思ったのなら、「付き合わないよ」って伝えればいい。


 だって、日向は別に俺のことが嫌だとかは言ってなかったじゃないか。だから、だから――。


 勇気を振り絞り、『駅のホームで待ってる』とメッセージを送る。駅までの夜道を、トボトボ歩いた。


 何度かスマホを見たけど、一向に既読が付かない。


 改札を通り、ホームのベンチに座って改札を見ていることにした。


 十分待ち、二十分待ち。たまにスマホを確認しても、既読にはならず。


 どうしよう、嫌われたら、もう俺――。


 泣き出しそうになるのを必死で堪えた、その時。


 駆け足の音が聞こえてきて改札に視線を移すと、日向が走って改札にICカードを叩きつけている姿があった。


「ひな――」


 と、丁度到着していた電車に脇目も振らず乗り込んでいく日向。


「え」

 


 ドアが閉まり、俺はその場で立ち尽くした。


 日向はこちら側に背中を向けて、姿勢良く立っている。


 俺の方は一度も振り向かないまま、電車はいってしまった。



 今日は両親の帰りが遅い日だから、家の電気は暗いままだった。


「……ただいま」


 誰もいないリビングに向かって声をかけても、当然答えなんか返ってはこない。


 帰りの電車でも、ぐるぐる考え続けた。もしかしたら、本当にとんでもない忘れ物をして、焦りすぎて周りが見えていなかった可能性だってある。最初に日向がスケッチブックをひっくり返した時だって、そんな感じだったし。


 とにかく、日向とちゃんと話がしたい。


 もう、以前までのビビリな俺はいい加減卒業したかった。それ以上に、中学の時のあいつらとは違って、どうしても日向は手放したくないんだ。だったら、俺が自分で能動的に行動するしかない。


 勇気を出して、震えそうになる手で「明日も待ち合わせしようよ」とメッセージを送った。


 だけどやっぱり夜になっても既読は付かず、スマホを握ったまま寝てしまう。


 朝目が覚めてすぐにスマホのロックを解除すると、最後に送った俺のメッセージの画面がそのまま表示された。


「……未読」


 心臓が凍りついたような感触って、こういうことを言うんだって初めて知った。


 ――もしかして、ブロックされたのかな。だから送っても何も反応がないのか。


 泣きそうな気持ちになりながら、それでも日向と待ち合わせている電車に乗るべく、支度を始める。


 俺はちゃんと、約束の電車に乗った。電車が駅のホームに滑り込む際、ホームに日向の姿がないかを確認してみた。


 ――だけど、日向の姿はなく。


 俺が送ったメッセージは、未読のまま読まれることはなかった。

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