30 違和感

 今日の部活で観たのは、リュックベッソン監督の『ニキータ』だった。


 ストーリーはこうだ。死刑宣告を受けた女性、ニキータが、暗殺者にならないかと誘われる。暗殺者教育を受けたニキータは才能があったみたいで、メキメキ伸びていく。


 教育が終わったところでひとり暮らしすることを許されたニキータは、一般男性のマルコと知り合い、恋に落ちていくのだが――という、ハードボイルドラブロマンスだ。


 実はこの映画、先月『レオン』は鑑賞済みだった俺たちにとって、「うおおおおっ!?」と盛り上がる場面があった。


 ニキータに出てくる掃除人ヴィクトルが、レオンの主演を務めたジャン・レノだったのだ。映画の中では、ヴィクトルは血も涙もない男。それが『レオン』の時には少しずつ愛情というものを覚えて――という「うっそ! レオンってニキータのスピンオフじゃん!」と気付いた時の鳥肌といったら、凄かったのなんのって。


 ちなみにこの映画は『アサシン』という英語リメイク版も存在するらしいけど、山本の叔父さん曰く「もう絶対フランス版」なんだそうだ。ネットでの評判は分かれるから、あくまで叔父さんの意見だと山本は言っていた。多分だけど、ヴィクトルという要素があったかないかの差なのかもな、と思った。


 見終わって部室が明るくなると、みんな暫くの間、呆けていた。完全に世界観に呑まれていたんだ。圧巻の出来って、こういうことを言うのかもしれない。


 少しずつ日常が戻ってきて部室内がざわつき始めたところで、山本が一同を振り返る。


「ふっふっふ。この間レオンを先に観せたのは、実はこれの伏線だったんだなあ」


 山本がニヤリと笑うと、隣に座っている佐藤が「ぶちょー、悪い顔になってるよ」なんて言って揶揄った。


「悪い顔で悪かったね!」

「いい意味だってー」

「どんないい意味だよ」

「可愛げあるってことなのにぃ」

「嘘くさ!」


 ポンポン言い合う二人を見て、ふと気付いたことがある。


 ……この二人、前から仲がいいよなーなんて思っていたけど、いつの間にタメ口に変わったんだろう。


 そんなことを考えながら何となく二人の方を見ていたら、俺と目が合った山本が慌てた様子で立ち上がった。


「と、とにかく! 映画はこういう楽しみ方もあるよってことね!」


 確かにそれはそうだと思う。裏話や隠された内容を知ったり気付いたりした時の感動は、簡単に味わえるものじゃない。


 と、春香ちゃんたち一年女子が、興奮した様子で口々に言い始めた。


「私、凄い感動しちゃった……!」

「うん……! 途中から涙が止まらなくなっちゃった……!」


 目元が赤くなっている春香ちゃんと王子こと姫野さんに、八坂さんが呆れた一瞥をくれる。八坂さんだけは、泣いた形跡は一切ない。八坂さんって、いつも淡々と観てるんだよな。


 だけどアクションものにはとてもいい反応を示すことを、俺と山本は知っている。特に若かりし頃のジャッキー・チェンなんて、毎回拳を握り締めながら観てるんだよな。なので山本は、何も言わず時折こそっとアクション映画を混ぜる。部員ひとりひとりのことをよく見ている証拠だ。


 目尻を指で擦ろうとした春香ちゃんの肩を、相澤がトントン叩く。


「春香ちゃん、こ、これ」


 相澤が手渡したのは、ハンカチだ。うおお、春香ちゃんめっちゃくちゃ嬉しそうだな。いい雰囲気の二人を見ても、やっぱり俺は何も感じなかった。完全に失恋から脱却したことを自覚し、「俺って立ち直り早いなあ」と我ながら呆れる。


 姫野さんには、かなり大人しい二年男子がさり気なくティッシュを渡していた。姫野さんが照れくさそうに小声でお礼を言っているのを聞いて、こちらも微笑ましく思う。うんうん、なんかみんな幸せそうで、俺も嬉しい。


 ふと、気付いた。


 もしかして、俺が急に周りの人たちの幸せな姿が微笑ましく思えるようになったのって、俺自身が現在満ち足りていて心に余裕があるからなんじゃないか?


 だとしたら、全部日向のお陰だ。あいつは手先は器用だけど、感情表現は不器用そのものだ。でもだからこそ、すぐに逃げ腰になる俺を物理的に掴まえた上で、俺といたいんだと伝えられることができたんだと思う。なんせ強引だからな。


 これで日向が俺のビビリ具合に遠慮するような人間でグイグイきてくれていなかったら、多分今の状況はない。そう考えると、日向が強引すぎるくらい強引な人間で本当によかった。


 そりゃあ大分、いやかなり強引で最初はビビリまくってたよ? だけど今じゃ、日向が隣にいない時の方が落ち着かないくらいだ。


 ちょっとさすがに依存気味なんじゃないかって不安に思う瞬間もあるけど、日向が俺といることを求めてくれているんだし別にいいじゃん、と思えるようにすらなってきたんだ。


 これは、俺にとって非常に大きな一歩だった。


 日向が隣にいてくれるだけで、俺はこんなにも前向きになれる。下ばかり見ていた視線が、日向を見上げる為にどんどん上を向いていく。


 日向を仰ぎ見れば、日向の近くには眩い太陽がある。だから、これまで影ばかり見つめていた俺にはまだちょっと眩しすぎるけど。


 でも、眩しいよって言いながら笑っている俺は、思ったほど嫌いじゃないかもしれない。


 久々に、自分のことを好きだと思えたんだ。



 部室の片付けの後、みんなでぞろぞろと部室の外に出る。


 鍵は部長の山本と副部長の俺の二人が管理責任者になっている。殆ど部室に来ることのない顧問に鍵を返却するのも、どちらかが必ず行うことになっていた。


 忘れ物チェックをして、山本がドアを開けて待つ中、室内の照明を落とす。


「鍵さ、ずっと山本がやってくれただろ? 今日は俺が渡してくるよ」


 山本に声をかけると、山本はいつもとちょっと違った遠慮がちな様子で「う、うん。あ、あのさ……」と小声で言った。


 ドアを閉める山本の顔は俯きがちで、日頃は凛としている山本には珍しく、視線が泳いでいる。


 どうしたんだろう? そういえば、今日俺が来た時も何かを話そうとしていたよな。俺の不在時に、部長ひとりじゃ対処できないことでも起きたのかもしれない。昨日メッセージのやり取りをした時は、そんな素振りは一切見せてなかったけど。


「……どうした?」


 俺はほぼ名目だけの副部長だけど、山本はぼっちでビビリな俺とまともに話してくれる数少ない相手でもある。山本に何か悩みがあるのなら、相談に乗るのはやぶさかじゃなかった。相談に乗ったところで、いい答えを捻り出せる自信は一切なかったけど。


 まあ、話を聞くだけなら俺にだってきっとできるだろう。


 きゅ、と下唇を噛んだ後、山本がパッと顔を上げた。決意を秘めたような真剣な表情に、これはマジで何か起きたのかも、とビビリな俺が顔を覗かせる。


「あ、あのさ!」

「うん」


 と、パッと顔を上げて俺を見た山本の視線が、俺の肩の向こうに移動した。


 キリリとしている眉が、少しだけ八の字に垂れ下がる。


「……あ、いや、今日はいいや……」

「へ? なんだよ、気になるんだけど」


 山本が、ボソリと答えた。


「……お友達、迎えに来てるよ」

「え?」


 山本の言葉に振り返る。のんびり歩いている部員たちの向こう側から、こちらに向かって歩いてくる日向の姿が見えた。


「お、日向ーっ!」


 笑顔で手を振ると、日向は相変わらずの仏頂面で手を振り返す。すぐに山本に視線を戻した。


「あ、山本さ。他の部員の前じゃ話しにくいことだったら、どこかで時間作って聞くけど?」


 山本は、俺の言葉に唇を噛み締める。暫く考え込むように止まった後、こくんと頷いた。


 何だか深刻そうだもんな。早い方がよさそうだ、と山本の背中をぽんと叩いて笑顔を向ける。


「じゃ、夜にでも電話する?」

「……電話じゃない方がいい、かな……」

「そう? じゃあ後で連絡するから、会う時間決めよっか」

「……うん」


 再び俯いてしまった山本に、「じゃ、鍵は返してくるから!」と声をかけると、大丈夫かなあと思いながらも日向の元に走って向かったのだった。

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