29 山本
放課後を告げるチャイムの音と共に、立ち上がる。
隣の席で、同じように立った日向に声をかけた。
「じゃあ、終わったら教室で集合な!」
「うん」
勿論、帰りも一緒の予定だ。日向は部室の前まで迎えにくると言っていたけど、もう怪我も治ったことだし、さすがに断った。
廊下を並んで歩きながら、睨むようにこちらを見下ろしている日向に尋ねる。
「美術部にずっと顔出してなかったんだろ? 大丈夫なの?」
俺の問いかけに、日向は相変わらず仏頂面のまま答えた。
「平気。元々緩いし、事情も顧問に説明してあるから」
「そっか。あ、じゃあ俺ここだから!」
「うん。後で」
旧校舎に続く渡り廊下の前で、手を振り合って日向と別れた。渡り廊下を進んでいくと、なんとなく背後に視線を感じて振り返る。
するとやっぱり日向が俺を見ていたので笑顔で手を振ると、日向も手を振り返して立ち去っていった。
「……へへ」
日向が俺を気にかけてくれているのが、日向の行動から伝わってくる。やっぱり友情っていいなあ、としみじみ思った。
日向に抱き締められた、満員電車の後。
日向のイケメンすぎる行動に心臓の高鳴りが止まらなかった俺は、通学路で日向の顔を見ていることができなくて、周りに目を向けていた。
すると、あることに気付いたんだ。
同じ進行方向に歩く同じ高校の奴らの姿がちらほらあったけど、彼らの距離は俺と日向くらいに近いように見えた。
はっきり言って、衝撃だった。だって、ネットで調べた内容と全然違ったんだから。
やっぱりネット情報って鵜呑みにしちゃ駄目なんだな……! と深く実感した瞬間だった。
そもそも俺は、日向と仲良くなる前は、紛うことなきぼっちだった。なので、基本は歩きスマホ通学。
危険なのは分かっちゃいた。だけど周りばかりが仲睦まじいのなんてみたくなかったから、そうせざるを得なかったんだ。
その後の日向の送迎が開始して以降は、日向の顔ばっかり見ていたから同じく周りは見なかった。
つまり、同じ通学路を通る同じ高校の奴らの姿を、これまで俺は全く視界に入れてなかったという訳だ。
観察してみて、意外なことが分かった。彼らは男同士でも肩を組んだり、二人並んで歩いている時に腕を掴んだり二の腕同士が触れていたりと、かなり距離が近い。
それを見た俺は、「あれ? じゃあネット情報って嘘だったんじゃん」と気付いた訳だ。
結論。今どきの男子高校生は、男同士でも気の合う奴とだったらスキンシップが激しい。
つまり、日向の一連の行動は今どきの男子高校生の正常な範囲内に収まっていて、感覚がアップデートされていなかった俺の盛大な勘違いだったってことだ。
これに気付いた時、「日向に何かを言っちゃう前で本当によかったあー!」と心からの安堵を覚えた。
そもそも、イケメンで超優しい日向が俺如きに恋しちゃってるかもなんて思いついたこと自体が烏滸がましかったんだ。ああ恥ずかしい。とんでもない勘違いが日向に伝わる前で良かった。
日向にしてみりゃ、勝手に俺に恋してることにされて、勝手にドキドキされて、いい迷惑以外の何でもない。第一、俺たちは男同士なのに何が恋愛的に好き、だ。ごめん日向。気持ち悪いとか思われたくないから、このことは墓場まで持って行きたい。
で、俺の勘違いだと気付いた途端、さっきまでは日向の顔を見るのが何だか恥ずかしかった筈なのに、いっぱい見ちゃっても別にいーじゃん! に切り替えることができたんだ。
俺がこんな馬鹿な勘違いをしてしまったのは、周りに目を向けていなかったせいだ。これからはちゃんと周りも見て、今どきの男子高校生の適度な距離感を掴んでいくんだ、うん!
決意も新たに、部室である視聴覚室に向かった。
二週間ぶりの部活だ。昨夜の内に山本には「明日から行く」と伝えてはあるものの、こんなに長い間顔を出さなかったのは初めてのこと。
「忘れられてたりしたらどうしよう」なんて臆病な俺が顔を覗かせる中、視聴覚室の扉をどこか緊張気味に開ける。
「――こんちは」
俺が顔を覗かせた瞬間、弾かれたように俺の方を振り返ったのは、部長の山本だった。今日も綺麗に切り揃えたボブに真っ直ぐな眉が凛々しい。
「井出! やっと来たね!」
「これなくてごめんなー。今日からはまた、普通に参加するからさ」
「本当だよ、来るの心待ちにしてたからね!」
「あは、そんなに? うっそだー」
まだ他のメンバーは来ていないようで、部室内には山本だけだった。
「嘘じゃないって。やっぱりさ、副部長がいないと何か決めるのも自分ひとりでになってさ。かなり大変だったんだよ」
山本が、小さく頬を膨らませる。いつもは姉御肌って感じな態度ばかりだから、甘えるような仕草はちょっと新鮮に感じる。
「あー……確かにそれは」
相談しながら部活を進行していくことが多い映画研究部だ。普段は山本が俺に「どっちがいいと思う?」と聞いてくるので、俺が深く考えずに「これがいいんじゃない?」「こっちはやだなあ」なんて言う感じだったけど、あんな適当な相槌でもあるとないとじゃ違ったらしい。
「どうしよっかって聞いても、二年男子は好き勝手言うし、一年はまあまあって言うだけで主張しないし」
俺がいない間、かなり不満を募らせていたらしい。
「分かったって。愚痴なら聞いてやるからそう膨れるなって」
くは、と笑うと、何故か山本が口を真一文字に結び、急に黙り込んでしまう。あ、あれ? 俺、何か変なこと言った? いや言ってないぞ。これに関しては、ここ最近俺のコミュニケーション能力が否応なしに鍛えられつつあったから、断言できる。
日向と活発に話すようになったことで、ぼっち時代には咄嗟に出てこなかった言葉も、今は大分スムーズに出てくるようになってきたんだ。
それまでは、急に話しかけられても何と答えていいか分からず逡巡することも多かった。だけど、ここのところは瞬発的に言葉を出せるようになってきている。成長したと、我ながら思う。というか、リハビリできたというか。
とりあえず、友達と何気ない会話を交わすのにも練習が必要なんだな……としみじみ実感したよ。
「山本? どうしたの?」
春香ちゃんほどじゃないけど俺よりは背の低い山本が、俯き加減になる。
「おーい」
屈んで山本の顔を覗き込んだ。すると、どこか恥ずかしそうにも見える目で、俺を上目遣いに睨む。
「なんで睨むんだよ」と、前の俺だったらビビっていたかもしれない。だけど俺は、「そんなに憎まれてんのか」っていうレベルの日向の睨みのお陰で、既に耐性ができていた。
「何? 言ってくんないと分かんないって」
へらりと笑いかける。山本が、制服のスカートを拳でぎゅっと握り締めるところが見えた。あれあれ、マジで俺がいない間に何かあったってやつかもしれないぞ。
すると、山本が意を決したようにバッと顔を上げ、俺を正面に見据える。
「……その、さ」
「うん」
山本の目線が彷徨う。余程深刻な話かもしれない。俺如きで相談に乗れるかな。急に不安になってきた。
「井出って、今日の部活の後――」
「お疲れ様ーっす!」
「!」
勢いよくドアを開けて部室に入ってきたのは、二年男子の内のひとり、苗字が春香ちゃんと被っている佐藤だった。
俺を見て、ちょっとチャラそうに見える長めの茶髪を掻き上げる。
「お、井出先輩じゃないすか! もう大丈夫なんすか?」
「佐藤、久しぶり! うん、もう怪我もすっかりよくなったよ」
「そっすか! いやー俺も怪我だけは気を付けよ」
「それな」
佐藤と話している間に、山本がDVDが並べられた方に向いてしまった。あ、しまった。慌てて山本の横に行く。
「山本、ごめん! 会話の途中だったよな。それで――」
「あ、ううん! 何でもない! 大丈夫だから!」
どことなく赤い顔をしあ山本は笑顔で言うと、「今日はこの辺りにしようと思ってるんだよね」と誤魔化すかのように話題を変えてしまったのだった。
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